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「エベレストトレッキング紀行」
                理工・精密機械科卒 新井 (まこと)


                      中央奥左の雪煙をあげている山がエベレスト

雲のような真っ白い雪煙りをたなびかせ、青空の中にくっきりと浮かぶエベレストを、この眼で見た瞬間、
思わず”ヤッタァ!”と叫びバンザイをした。これが標高8848mの世界一高い山だ。


私は還暦になる1年前にハイキング程度の山登りを始めてから10年になる
古希を目前にして年齢、体力を考えるとエベレストトレッキングは今年がラストチャンスかもしれないと、
平成22年の元旦に思い立ち、準備にとりかかる。先ずカミさんを説得することから始める。「保険を掛
けておいて下さい」、ま、そんなもんか。
インターネットで調べ、2月始に旅行社の説明会を聞きに行き、それから準備品のリストとスケジュール
を作り、出発までの2ヶ月間、体力作り、買い物、健康診断など結構忙しい準備期間だった。
トレッキングツアーは平成22年3月26日〜4月7日までの13日間。この時期(雨季に入る前)旅行社は
ヒマラヤ方面へ様々なツアーを企画している。中には標高5千メートルを超え、テント泊をしながら一ヶ月
近くもかかるツアーもある。私は自分の体力、資金力に合わせたツアー”ゆったりエベレストトレッキング”
を選択した。高度4000m、エベレストの南方30kmくらいまでの接近だ。もっと欲張りたいが自分には
これが精一杯。
エベレスト(ネパール名:サガルマータ、中国名:チョモランマ)は標高8848m、ヒマラヤ山脈の東端近く
に位置する。今回はネパール側(南)からのアプローチ。

日 程 
 H22・3月26日 成田→上海→成都(泊) 
        27 成都→ラサ→ヒマラヤ越え→カトマンズ(泊)
       28 カトマンズ→ルクラ→パクディン(ロッジ泊)
       29 パクディン→ナムチェ(ロッジ泊)
       30  ナムチェ滞在(高度順応 (ロッジ泊)
       31  ナムチェ→シャンボチェ 
     4月01  シャンボチェ滞在・近場をハイキング (ロッジ泊)
       02  シャンボチェ→ナムチェ→パクディン (ロッジ泊)
       03  パクディン→ルクラ (ロッジ泊)
       04  ルクラ→カトマンズ (泊)
       05  カトマンズ観光 (泊)
       06  カトマンズ→ラサ→成都 (泊)
       07  成都→北京→成田 

以下に残る写真以外は容量低減のため削除。(2015/05/23)

ラサ空港、標高3500m
中国成都から空路、ラサを経由して(中国出国)ヒマラヤ越えでネパールの首都カトマンズへ、ラサでの入出国検査はとても厳しかった。
私はサイフの中までチェックされた。
ラサ→カトマンズ
飛行機の窓側の席へ座れれば雄大なヒマラヤ山脈を見ることができる。
写真左上の高い山は世界3位の高峰カンチェンジュンガ8586m中央 奥の黒っぽい山はジャヌー7710m


カトマンズから30人乗りほどの小さなプロペラ機で、東へ約45分でトレッキングの開始地ルクラ(標高2800m)
へ着く。飛行場は急斜面の山肌を削り取って作った小さな飛行場だ。滑走路は傾斜していて200mくらいしかない。
滑走路の先は谷底まで崖だ。
乗り合いバスのごとく頻繁に離発着する。しかし霧が出たら1日でも2日でも、晴れるまで待たねばならない。
帰国して4ヶ月後、あのプロペラ機が、悪天候でルクラ飛行場に着陸できず、引き返す途中で墜落し、日本人1名
を含む14名が亡くなられたとのニュースがあった。

     
山肌を削り取って造られた小さな”ルクラ”飛行場  荷物はゾッキョが運ぶ 
     
 ルクラの街  ルクラからいざエベレスト街道へ

飛行場を出て、直ぐ近くにあるロッジでわれわれパーティーをサポートしてくれる現地のスタッフと合流。
荷物を入れた大きなダッフルバッグは飛行場から現地スタッフがゾッキょに背負わせて先発。
現地スタッフと茶を飲みながら顔合わせをして、いざエベレスト街道へと踏み込む。20kmほど先の目的地まで
3日がかりのゆったりとした日程だ。

     
桜にも出会う 日本の田舎のようなのどかな風景も   吊橋をいくつも渡る
     
 急な石段もあり  川沿いに奥へ奥へ  ゾッキョがきたらお先へどうぞ
     
 吊り橋には安全祈願のタルチョ(布きれ)  サーダー:一行を取仕切る親分  シェルパ

街道は石段があったり、吊橋ををいくつも渡ったりするが、そんなに険しい道ではない。
世界各地から訪れたトレッカー、大きな荷を背負うポーター、ゾッキョなどと頻繁に出会い、「ナマステ」(こんにちは)
が共通語となる。満開の桜にも出合い、ネパールの国花シャクナゲの赤も鮮やかだ。
始めはゆったりしたハイキング気分で、シェルパと片言英語と身振り手振りで交流しながら余裕の行進だ。

渓谷をさかのぼって行くと6000m級の山が左右に見え始める。渓谷からだと星空を見るように見上げなければな
らない。ヒマラヤだ!という実感が沸いてくる。

     
パクディン、ロッジ  大きな荷を背負うポーター 
     
6000m級の山が左右に現われる   急坂を喘ぎながら登る

トレッキング中の宿泊ロッジは、2人部屋で、ベッドが設備されている。(板ベッドに毛布を敷いたようなベッド)
各自に専用の寝袋が与えられベッドの上で寝袋を被る。朝起きたら寝袋は袋に詰め込み、ダッフルバッ グ
(荷物を全て詰め込むバッグで一人当たり10kg以上はある)と一緒に部屋の前に置くと、あとはすべてサポ
ーターが運んでくれる。我々は小さなザックに自分の飲み水 、少しの菓子類、雨具程度を背負うだけの殿様
登山だ。
それでも高度3000mを超えるあたりから状況が変ってくる。急坂にさしかかるとカタツムリのように
のろのろになり、背負っている軽いザックさえシェルパに預ける人もでる

・現地サポーター
われわれパーティーをサポートしてくれる現地の人達は、サーダー1人、シェルパ3人、キッチンスタッフ6人、
ポーター2人、ゾッキョを操る人1人とゾッキョ2頭の大集団。サーダーとシェルパは我々に付き添うが、他の
サポーターは次の宿泊地または昼食をとる場所まで先行して、茶の準備をしたり、食事を作って待っていてく
れる。スタッフはトレッキング期間中専属で、食事は概ね日本人好みの食事を作ってくれる。美味しいといって
食欲旺盛な人(特に女性)もいたが私は食べられなかった。(食事がまずいのではなく体調の問題で)
ゾッキョは重い荷物を背負ってくれる牛(正確にはヤクと牛を交配してできたおとなしい牛)。急な階段でも人
よりずっと早い足取りだ。
サーダー;我々をサポートしてくれる人達をまとめるシェルパ頭。英語はペラペラ。若い頃はシェルパとして
エベレストへ登ったことがあるという。ナムチェでは彼の経営ロッジに泊まった。娘さんはアメリカへ留学中と
のことだった。

     
シェルパの里と言われるナムチェ   ナムチェの南方にコンデリ6187m  東方にはタムセルク6618m
     
 ナムチェの学校  初めてエベレストが見える(北方向)  ナムチェの丘にてシェルパと記念写真
     
緑の屋根ばかりのクムジュン村 、とても綺麗な村だった。 


 ・トイレ
ロッジには部屋に設備されている所もあるが、多くは共同トイレだ。水洗だが水が出 ない場合もあるので、
バケツに水とヒシャクが備えてある。トイレットペーパーは無 いところがほとんどなので持参する。トイレット
ペーパーは便器には流さずに横にお いてある箱に捨てる。トレッキング街道にはロッジが多いので概ね困
ることはないがオープントイレ(野原)も覚悟しなければならない。女性 でもオープントイレで用を足せるタフ
さがないと、ヒマラヤトレッキングには行けな い。

・高山病
私は富士山に3回登ったが高山病症状を少し感じたことは最初の1回だけだった。 今回はせいぜい4000
mで富士山より少し高いだけだから高山病の心配は無かろう と高をくくっていた。食べ物だって好き嫌いは
ないし、今まで外国旅行で食べられな かったこともないし、下痢だってなかった。
後の祭りだがもう少し調査しておくべきだった。後から知ったことだが、どのヒマラ ヤトレッキングツアーでも
半数以上の人は何らかの症状がでるということだ。今回我 々10人中、何も無かったのは1人(女性)のみで、
軽重の症状差はあるが、頭痛、 下痢、食欲不振、眠れないなどの症状があった。トレッキング中の一番高い
(約4000m)ロッジから300mほど高い小ピークへのハイキングがあったが参加したのは女性6名のみで、
男は全員ダウン。改めて女性の強さを認めざるを得なかった。

参加者10名の年齢は63歳〜75歳強者揃いだった。

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