会員だより

会員だより —八束一郎—

 会員だよりトップへ

~2018年  2019年  2020年  2021年

2018年12月27日~28日
  暮れの網代旅行

 毎年、12月末に私たち夫婦は東京近郊で1泊旅行することにしています。それは、共稼ぎの娘夫婦が年末の休みに入り、日頃孫の面倒をみている私たちが孫の世話から解放されるからなのです。
 昨年は甲府の湯村温泉、一昨年は日光の金谷ホテル、その前は福島の磐梯熱海という経過でしたが、今年については伊豆の網代(あじろ)温泉にしました。網代については、相談した旅行社からは「漁港しかないところ」と言われましたが、実は伊豆半島が好きな私としては、大分前にも網代旅行を企画したことがあり、その時は直前に義母が体調を崩してキャンセルしたという経験があったのです。従って今回は、ずいぶん時間差のあるリベンジ旅行という訳なのです。
 また、この年末の旅行というのは難しい面があり、例えば昨年の甲府では、楽しみにしていた山梨美術館が年末の休館に入っていたり、昼食を予定していた恵林寺境内の“ほうとう”屋や草団子屋までもが年末休みだったりするのです。おまけに、最近のニュース等を見ていると北関東でもこの時期に大雪が降るようになってきており、今後の年末旅行は南関東方面に限定されてしまうようです。

▲ 網代漁港

○第1日目(12月27日・木曜)
 午前9時に家を出て、上野駅から山手線で東京駅に向かいました。そして10時発の伊豆急(踊り子107号)で熱海に向かいました。熱海には11時21分に到着し、ここから各駅停車に乗り換えて来宮~伊豆多賀~網代という予定でしたが、車内放送でこの電車が網代にも停車することがわかり、そのまま網代に向かいました。
 駅に降りて、荷物をコインロッカーに預けてから適当な昼食の店を探すため歩きはじめました。旅行社の人が言った通り何もない所で、干物屋が1軒と郵便局などがあるだけでした。でも、しばらく歩いているうちに旅行社の人にもらったパンフレットに出ていた「漁師屋大次郎丸」という海鮮屋があったので入りました。座敷3席、テーブル2席の小さな店でしたが、壁には有名人の色紙や写真がたくさん貼られていて、地元では有名なようでした。私はブリの漬丼、家内はこの日の日替わり定食(ブリの刺身とサバのフライ)を注文しました。店の雰囲気や食器などに洗練さはありませんが、素材が新鮮なせいか味は満足できるものでしたし、家内も美味しいと言って完食していました。
 腹ごしらえができたところで、そこから数分の漁港の方に向かいました。暖かい日差しを浴び、風はなく、海岸通りをのんびりと歩き、テトラポット越に漁船やレジャーボートを眺め、遥か遠くに広がる青い海と伊豆半島の緑の山並みなどを見ていると、まるで時間が止まったようで実に気持ちのよいものでした。その後、網代駅に戻り、荷物を取り出し、予定通りタクシーに乗って簡単な地域観光をしようと思いました。以下がタクシーの運転手との会話です。

私: ホテルのチェックインまでに時間があるので、この周辺を観光したい。
運: この辺りには観光するようなものは何もない。
私: でも旅行社にもらった資料には、「石丁場跡」というのがある。
運: あれは昔の石切り場の跡ということで、現在あるのは岩が1個だけだ。
私: 他にも、行基が奈良と鎌倉の長谷寺の観音像と同じ木から作った観音像が祀られている長谷観音堂があると
   書かれている。
運: そこには観音像を祀った小さな祠があるだけで、別に大きな寺がある訳ではない。お客さんは今晩がどこに
   泊まるのか。
私: 松風苑である。
運: あそこは、元日本赤十字の偉い人の別荘だった所で、立派な庭があるのでそこを観光した方がいいと思う 。

▲ 松風苑の錦鯉

 こうして、この地元観光に詳しい運転手の勧めに従って1時過ぎに松風苑に入り、部屋が整う2時半頃まで庭を散策することになりました。ロビーから庭に出ると池があり、大きな錦鯉がたくさん泳いでいました。由来によれば、ここに別荘を建てたのは、日本赤十字社の創設者である佐賀県人の佐野常民伯爵とのことでした。庭は山の中腹を利用して作られており、曲がりくねった山道を登っていくと、しだれ桜やしだれ紅梅の木、やま椿、ゆず、クチナシなどの60種類の植物が植えてあり、なかなかのものでした。ちょっと見たところではわからなかったのですが、このホテルの敷地は1万坪もあり、この庭が4千坪という4階建ての立派なホテルでした。私たちの部屋は4階の410号室で、先ほどの庭園を見下ろせるとてもいい部屋でした。
 夜間には、庭園の池の周囲にはイルミネーションが灯され、また違った景色を楽しむことができました。まずは風呂ということで、1階の大浴場に行きました。3時ということで、私一人だけの貸し切り状態で、普通、ジャグジー、露天の3つの浴槽をゆっくりと満喫しました。湯質はアルカリ性で、湯温はやや高めで、普段は孫と一緒に入浴するため熱い湯に入れない私には久しぶりの熱めの湯でした。私と交代で入浴した家内も、とてもいいと満足していました。
 夕食は6時なので、テレビを見ながら待ったのですが、家内ともども最後は居眠りしていました。夕食会場は2階の食事処「相模」という所で、他の数組の泊り客と一緒でした。酒はホテルオリジナルの冷酒にしました。献立は、4種類の前菜、マグロやイカ、ホタテなどのお作り、豚肉の陶板焼き、蒸した伊勢エビ、蒸しアワビその他でした。また、事前に電話で追加注文したサザエのつぼ焼きも出てきました。料理はどれも美味しく、量的にも適当でした。伊勢エビもさざえも予想を超えた大きさで、電話で追加注文をした時にさざえを2個 にするか4個にするか迷った私でしたが、2個で正解でした。夫婦ともどもご飯、デザートも含めて完食でした。部屋に戻ってから、テレビを12時頃まで見てから寝ました。

○第2日目(12月28日・金曜)
 この日は7時頃起床して朝風呂に入り、8時から朝食を食べました。朝食会場は3階の「オレンジルーム」という場所でした。このホテルは我々の部屋がある東館の他に西館があるのですが、朝食会場は西館とは別のようで、テーブル席が11か所だったので、東館の宿泊客が11組だったことがわかりました。献立はアジの干物、イカソーメン、サラダ、ベー コンエッグ、漬物などで、昨晩の夕食でも感じたのですが、ご飯がとても美味しかったです。
 9時半出発の送迎車で網代駅に向かいましたが、送迎車が出る直前に支配人がバスに乗り込んで挨拶をしてくれたのには驚きました。ホテルの玄関で手を振るというのなら普通なのですが……。
 各駅停車で熱海に到着した後、まずは熱海駅ビル内の喫茶店でコーヒーを飲みながらこの日の予定を考えました。旅行社からは千円分の「タクシーチケット」と、MOA美術館等が無料で見学できる「わくわくチケット」をもらってあるので、この二つを有効に使うことにしました。まずはタクシーでMOA美術館に行きました。私はこの美術館は2度目でしたが、とにかく大きな山の中腹に建てられた展示室まで行くのに7つのエスカレーターを延々と乗り継いで行くのです。まるでSF映画か007シリーズに出てくるような大きな施設に圧倒されます。この日は、京都出身の日本画家「竹内栖鳳」の作品展ということでした。ヨーロッパに留学して西洋美術の影響を受けた画家らしく、日本画とは多少違う色使いのある作品が多かったように思いました。竹内栖鳳以外の画家の作品も多く展示されており、その中には尾形光琳の「達磨」などもあり、全体としてはなかなか見ごたえのあるものでした。豊臣秀吉の黄金の茶室もありましたが、本物は大阪落城の時に焼失したとあり、あくまで想像で再現したものということでした。
 また、MOA美術館の創設者である岡田茂吉(1935年~1955年)は、浅草橋場に生まれ、画家を目指すも挫折し、その後小間物問屋などを創業して財をなすも数々の身内の不幸に遭遇し、1935年に「世界救世教」を起こしたことなどもわかりました。「MOA美術館を十分に堪能した後、バスで熱海駅に戻り、駅前の喫茶店でホットケーキの昼食を食べ、商店街と駅ビルで買い物をしたりした後に、13時33分発の伊豆急(踊り子106号)で東京に向かいました。東京駅到着は14時49分でした。
 今回の旅行はあくまで“骨休み”のためなので、年末の寒空の下、あちこち観光することなく、静かなホテルでゆっくりと温泉に入り、美味しい海鮮を食べることに専念することが目的でしたが、それらは網代ののどかな海山、ホテルの素晴らしい庭園そしてMOA美術館の見事な美術品の鑑賞などで十分堪能できました。これでまた忙しくなる年末・年始を元気に乗り切ることができると確信しました。

【参考サイト】
http://www.ajirospa.com/
history/index.htm

2018年11月21日~23日
  山形・新潟 城巡り旅行記

▲ 新発田城

 11月21日(水)~23日(金)の2泊3日で山形・新潟の城巡り旅行をして来ました。参加者は伊勢丹の仲間であるA・Bの両名で、この城巡りは2015年の9月に、福井県で6城を巡って以来久しぶりでした。
 今回の企画は私八束が作成したのですが、米沢城~山形城見学の後に銀山温泉で1泊、翌日は電車をいろいろと乗り継いで鶴岡城を見学した後に瀬波温泉で1泊、3日目は新発田城を見学した後に新潟に出て上越新幹線で上野に戻るという複雑かつ欲張ったものだったので、近畿日本ツーリストに持ち込んで精査してもらい、何とか実現可能な形にまとめてもらったのでした。

第1日目(11月21日)
 この日、上野駅に集合した3名は9:02発の山形新幹線で米沢に向かいました。米沢駅到着は11:04で、荷物を駅のコインロッカーに預けてからタクシーで米沢城に向かいました。この城は、戦国時代は伊達氏の本拠地で、その後上杉氏が越後から会津に移封され、120万石の領土の一城郭になりました。関ケ原の後に上杉氏は30万石に減封されて米沢を本拠地として幕末に至っています。と言っても現在ここには城郭はなく、本丸跡に建てられた上杉神社や上杉謙信の銅像で当時を偲ぶしかありませんでした。
 昼食の時間になり、米沢牛のステーキでもと思いましたが、タクシーで通った大きな蕎麦屋が目に入り、運転手も「ここは美味しい」と勧めてくれたので蕎麦を食べることにしました。「伝右エ門」という店で、小さな器5つになめことか山菜とか、天ぷらなどと蕎麦が入ったものを注文し、ビールを飲みながら出てくるのを待ちました。この蕎麦はやや太めでしっかりと冷やしてあり、なかなかの美味しさでした。私は東京でよく“蕎麦三昧”というのを食べているのですが、それでも3つ目になると蕎麦の味が落ちてくるのです。ここのは5つ目でも最初の味が維持できているのです。それは蕎麦が太目なのとしっかり冷やしてあるからだと思いました。とにかく、今回の旅行の最初の食事が良かったので幸先がいいと満足しました。 昼食を終えてからタクシーで米沢駅に戻り、13:07発の特急に乗って山形に向かいました。山形駅には13:44に到着し、路線バスで城に向かいました。路線バスなので多少遠回りしましたが、15分ほど乗って「霞城公園前」という停留所で降りました。この城は、室町時代初期に羽州探題に任命された足利一族の斯波氏が築城したもので、その後斯波氏の末裔の最上氏が長くここを本拠地に栄えていましたが、徳川時代に改易となり、その後藩主は鳥居氏、松平氏、保科氏、堀田氏など多くの変遷があり、最後は“天保の改革”で有名な水野氏(5万石)となって幕末を迎えています。ここも城郭はなく、堀や門そして最上義光の銅像などがあるだけでした。列車時刻の関係で見学時間が2時間半もあったので、すぐそばにあった「山形美術館」に行きました。地方の普通の美術館と思って入ったのですが、ピカソ、ルノアール、シャガール、ユトリロ、モネ等の巨匠の名画が揃って展示されていて驚きました。いずれも、山形出身の金持ちの寄贈によるものとのことでした。東京の美術館と違って、名画をゆっくり鑑賞できるので、今度は家内を連れて来たいと思いました。 この日の観光はこれですべて終了したので、山形駅まで戻り、16:50発の特急に乗って大石田駅まで行きました。大石田駅到着は17:24で、ここから銀山温泉までは路線バスに乗り、この日の宿である「銀山荘」に向かいました。約40分で「銀山荘」に到着し、我々は2階の207号室に通されました。時間が遅いので、すぐに夕食をということで、2階の「暁春」という部屋で夕食を食べました。胡麻豆腐の先付、旬菜、お作り等が並んでおり、更に尾花沢牛ステーキ(小さい肉三切れ)や鍋物、焼きものなどが出され、我々は美味しい酒を飲みながらこれらの料理を十分に堪能しました。
 食後、大浴場でゆっくりと入浴し、その後今回が初めてのA氏を私が案内して徒歩で5分ほど坂を下った所にある、この温泉の見どころであるレトロな街並みを歩きました。突き当りにある滝も勢いよく音を立てていましたが、夜の9時になっていたのでお土産屋などの商店が閉まっており、その分明るさが無くなってしまい迫力ある景観が見られずA氏には気の毒でした。都内の多くの駅で銀山温泉のポスターが貼ってあることで心配していた外国人観光客は、幸いなことにそれほど多くはいませんでした。     

第2日目(11月22日)
 8:25発の路線バスで大石田駅に向かい、9:31発の各駅停車で新庄に向かいました。9:52に新庄駅に到着し、ここで10:15発の列車に乗り換えて余目(あまるめ)駅に向かいました。余目駅に11:01に到着した後に12:09発の列車に乗って鶴岡駅に向かうまで約1時間の待ち時間があったので、駅の隣のお土産屋兼喫茶店に入りコーヒーを飲みながら愛想のよい販売員の女性から情報収集を行いました。結論は、近くの市場以外に見るべきものは無いとのことでした。そこでお勧めの市場に行くと、いろいろな物産を販売していましたが、重いものや生ものなどは買えないので、干し柿や酒のつまみなどを購入しました。B氏などは、重いビン詰の桃のコンポートを購入してその後重い重いと言っていました。とにかく、このような辺鄙な駅で1時間近く過ごせたことに一同感激し、駅前で記念写真をとりました。
 12:09発の列車に乗って、鶴岡に向かいました。鶴岡駅到着は12:19で、駅前の商業ビルの中で昼食を食べることにしました。朝食をしっかり食べたので軽いものがよいということで、また蕎麦にしました。私は「麦切り」という稲庭うどんをもう少し細くしたような付け麺を、あとの二人は麦切りと蕎麦の「あい盛り」を食べたのですが、のど越しのよい美味しいものでした。
 その後、駅前から路面バスに乗って鶴岡城に向かいました。この城は戦国時代の武藤氏に始まり、上杉氏や最上氏と支配者は変遷しましたが、その後“徳川四天王”の一人である酒井氏が庄内藩主(17万石)となって幕末に到っています。戊辰戦争における庄内藩の活躍はご承知のことと思います。但し、この城も現存せず、城のあった場所には「庄内神社」があり、その周辺に昔の藩校だった「致道館」や石垣などがあるだけでした。この頃になると雨が強くなってきて傘を差さなければならなくなりましたが、とりあえず庄内神社にお参りし、「致道館」に入りました。ここは水戸の「弘道館」と似たような作りで、「孔子」の像などがある「聖廟」もありました。更に、近くにあった「藤沢周平記念館」も見学しました。私も彼の著書「三屋清左衛門残日録」を読んだ記憶があり、懐かしい思いで見学することができました。
 次の村上行きの電車の時間もあるので、帰りのバスの停留所に行ったのですが時刻表には教えられた時間の記載がありません。そこでタクシーを呼んで鶴岡駅に戻りました。
 14:50鶴岡発の羽越本線に乗り、15:50に村上駅に到着しました。ホテルの送迎バスに乗って15分ほどでこの日の宿、瀬波温泉「大観荘」に到着しました。案内された室は3階315号室で、かなり広く、窓側にはマッサージチェアが、そして部屋の露天風呂まであるのです。そこで思い出したのは、近畿日本ツーリストの担当が「ホテルの都合で予約したのと違う部屋になるが、前よりグレードが高い」と言われたことです。これはラッキーと一同喜んで、部屋の露天風呂には後で入ることにしました。この日のホテルは満室に近く、団体も宿泊しているというので、早めに同じフロアにある「天国の湯」というやや小さい浴場に行きました。とてもいい湯でしたがその頃になると天候が大変化し、大雨と台風のような風が吹き始めました。
 このホテルを選んだ最大の理由は、日本一奇麗な夕日が見えるということでしたが、今や夕日どころか嵐です。部屋に戻ってTVで相撲を見ているうちに、6時の夕食の時間になり、食堂に向かいました。食堂はガラガラでしたが、それは団体客が別会場だからのようでした。献立は、鮭の酒浸しなどの前菜、お作り、氷頭なます、松茸の茶碗蒸し、豚のしゃぶしゃぶ、生ハムのサラダなどでいずれもとても美味しいものでした。酒は一人1本のビンがサービスになっており、地元の「大洋盛」を選び、その後ご当地の有名ブランド酒の「〆張鶴」に変えました。
 一同大満足して、寝る前に入浴ということになり、今度は大浴場に行きました。ゆっくり温まった後に、露天風呂に行こうということになったのですが、ドアを開けて外の浴槽に入るまでの数秒間の寒いことにはびっくりしました。冷たい強風に加えて雨粒が叩きつけてきてとても入っていられません。部屋に戻ってから、冗談に「部屋の露天風呂に入ってみようか」などと言ったのですが、大浴場の露天風呂と違って何の囲いもなければ3階という高さもあり、とても入れたものではありませんでした。そこで唯一この部屋で利用できるマッサージチェアを使って気持ちがよくなったところで寝ました。ところが、この部屋のサッシにゆるみがあり、強風がその隙間を抜ける時に笛のような音がするのです。これが一晩中聞こえたのでかなり気になりました。A氏は、ホテルのアンケートに、この隙間風と、夕食時の一部バイキングになった天ぷらが冷たくなっていたことをしっかりと書いていました。

第3日目(11月23日)
 この日は9時50分のホテルの送迎バスに乗る予定だったので、朝食は8時からとし、私はパンとサラダ、ソーセージ、ヨーグルト、フルーツなどの軽いものを食べました。A・B両氏は和食で比較的しっかりとしたものを食べていました。ホテルの送迎車でホテルを出て、村上駅発10:23の羽越本線で新潟に向かう予定なのですが、強風のため15分ほど到着が遅れました。我々は途中の新発田駅で降り、新発田城を見学する予定なのでその程度の遅れは問題ありませんでした。この城は、徳川時代初期から溝口氏6万石の城下町で、そのまま幕末まで存続しました。
 駅前からタクシーで新発田城に向かいました。すると立派な城門、堀、櫓などが見えてきました。今回の城巡り旅行で初めての“まともな”城でした。城門を入ると初代藩主の溝口公の銅像があり、左右に櫓があって中を見学できるようになっていました。もう一つの櫓は・・・これが一番立派なのですが・・・ 自衛隊の敷地内にあるため近くには行けないとのことでした。天候は更に悪化してきて、霰が降ってくる有様でした。
 タクシーに乗って溝口家の別宅である「清水園」に行こうとしましたが、運転手が自衛隊の敷地内にある櫓は珍しい形をしていて鯱が3匹乗っているから一見の価値があると言うのです。そこで車を櫓の近くまで寄せて近づいてみるととてもよい形をしており、国の重要文化財であることもわかり、いい写真を沢山とることができました。その後、溝口家の菩提寺である宝光寺に行きました。ここは一般の観光ルートから外れているようで、何の受け入れ体制もありませんでしたが、大きい山門や建物の古さや佇まいは歴代藩主の菩提寺の威厳を持っていました。次に、清水園に行ったのですが、この建物の中から池を見ると、20~30羽のカルガモが静かに泳いでおり、周りの木々が見事な赤や黄色に紅葉しており、その美しさに驚きました。案内の女性が「今年は紅葉が遅れて今が盛りです」と教えてくれました。今回の旅行では時期的に紅葉は無理と思っていた我々は実に幸運だったのです。その後も、池の周辺を回ったりして写真を沢山とりました。最後は、「市島酒造」で試飲でもしたらという運転手の勧めに従い、大きな蔵のある蔵元に行きました。ここからだと新発田駅には徒歩で行けるということでタクシーとはここでお別れしました。
 「市島酒造」では、蔵や市島家のお宝(陶器や掛け軸、人形など)を見学した後、試飲をしました。3種類のお酒を猪口一杯飲むだけなので物足りず、有料の試飲(500円)を頼みました。先ほどの3種類のお酒が3つのコップに2センチほど入ったものと、酒作り用の水が入ったコップが出てきました。つまみがないので「鮭とば」を買って飲んでいると、販売員の女性が奈良漬けをおまけしてくれました。我々も試飲だけで出るのは悪いと思い、酒やお菓子などを購入し、身体が多少暖かくなったところで徒歩で新発田駅まで戻りました。
 13:43新発田駅発の羽越本線で新潟に向かい、新潟駅には14:05に到着しました。駅ビルの中で遅い昼食を食べながら2時間ほどを過ごすことになり、中華料理店に入りました。ここで春巻き、シュウマイ、ザーサイ、小籠包などを注文し、紹興酒を飲みながら宴会をしました。最後は焼きそばとチャーハンを注文して腹を満足させました。帰りは16:09新潟発の上越新幹線で、上野駅には17:54到着でした。帰りの車中で、先ほどの「市島酒造」で購入した大吟醸の小瓶を飲みながら、上野まで歓談し、上野駅で解散しました。
 今回の旅行は、生憎の天気で日本海の夕日こそ見ることができませんでしたが、ほとんど傘を使うことなく観光できたということは、やはり幸運だったのだと思います。瀬波温泉での夕方から明け方までのような天気だったら観光に大きな支障があったはずです。また、A・B両氏も言っていましたが、今回のようなコースで旅行することは滅多になく、そのため余目、鶴岡、新発田といった普段なじみのない場所をゆっくりと味わうことができ、とても面白い旅行だったと思います。身体が動くうちはこのような旅行をまた企画したいと思いました。私の城巡りはこれで66ケ所となりました。 以上

2018年10月22日
  講釈師と歩く「歴史と文化の散歩ラリー(佃島)」に参加して

 ▲ 神田あおいさん

 この日、久しぶりに開催された表題のラリーに参加しました。当日は素晴らしい秋晴れで、絶好のラリー日よりでした。参加者は39名で、そのうちの9名が43会のメンバー(富田、田中、原田、腹、芝木、浅葉、佐藤(忠)、山本の各氏と八束)でした。参加者のほとんどは我々と同様な年配者で、夫婦での参加、個人での参加、我々のように仲間との参加など様々でした。集合は午前10時に地下鉄有楽町線・大江戸線の「月島駅」6番出口という普段行きつけない場所だったので、横須賀在住の田中さんなどは7時の電車に乗ってきたようです。この日の案内人は女性講釈師の神田あおいさんで、楓爽とした着物姿でした。
 ラリーのコースは、江戸時代に無宿人対策として作られた「石川島人足寄場」から始まった佃島地域を散策するもので、海辺の埋め立て地で漁業に従事していた人々が無難を祈ったであろう小きな神社や地蔵尊などがあちこちに散在し、お祭りなども盛んなようでした。また、ここ佃島周辺で採れた海産物を醤油で煮込んだ“佃煮”はここの名物になっており、これを本日のお土産として購入するのを楽しみにしていました。
 神田あおいさんに引率されて最初に向かったのは「佃天台地蔵尊」で、ここは家と家との隙間のような人がすれ違うこともできない細い路地の途中にある小さな嗣で、お詣りしてやっと抜け出た小さな公園であおいさんの説明を聞きました。ここは江戸時代に上野寛永寺の輪王寺の宮(寛永寺のトップで、代々皇族が就任しており、日光の輪王寺のトップをも兼任している)が3代にわたって地蔵尊律院建立を希望したことから上野の山に「浄名院」として建立され、「佃天台地蔵尊」もその流れとのことでした。あおいさんも事前にいろいろと調べたようで、タブレットを見ながらの丁寧な説明でした。この公園の隣に「丸久」という老舗の佃煮屋があったので、早速「あさり」と「あみ」を200gづつ購入しました。翌日、暖かいご飯で食べたところ、予想に反してそれほど塩辛くなく、とても美味しい味でした。江戸前の濃い味の伝統も、最近のヘルシーブームには敵わないようでした。
 次に向かったのは「佃浪徐稲荷神社」で、ここは先ほどの「佃天台地蔵尊」よりはやや大きい建物で、入った所に大きな安山岩の石が二つあり、これを力自慢の男衆が持ち上げる行事が最近まであったそうです。重さはどの位かと質問が飛びましたが、あおいさんは答えられませんでした。おそらく100kg位ではないかというのが参加者の感想でした。そのまま、すぐそばの「佃渡し船場跡」に行きました。目の前には佃大橋が見えていましたが、この橋ができるまでは渡し船が運航されており、佃島に在住で「石川島播磨重工」に勤務していた人々が利用していたというのがあおいさんの説明でした。
 次に向かったのは「住吉神社」という立派な神社で、ここは大阪にある「住吉神社」と深い交わりがあった徳川家康が江戸に国替えになった時、この神社の神職とその地域(佃)の漁師とともに現在の地に分神したものとのことでした。そして地名も佃島と命名したのです。この神社がこのように古く、由緒ある証拠に、境内には珍しい「鰹塚」や幕末の官軍総督・有栖川宮の筆になる陶製の「額」が入口の鳥居に飾られていました。一同は各自自分の幸せを祈願してお詣りしました。
 次は「石川島灯台跡」を見学しましたが、最近作り直したようで、歴史性はあまり感じられませんでした。ただ、その脇の佃公園から目の前を流れる墨田川の対岸には、巨大なマンション群がそびえ立ち、少し川下に目をやると「聖路加病院」の巨大なツインタワーが見えて素晴らしい眺めでした。あおいさんの説明が終わり、トイレ休憩になった時、43会のメンバー9名は墨田川と巨大なマンション群を背景に、記念写真を撮影しました。

 その後、現在の月島名物であるもんじゃストリートという200m位の通りの両側に並ぶ数十軒のもんじゃ屋のほぼ中央にある「月島観音」を見学しましたが、皆の関心は隣の“月島温泉”と、昼食にもんじやを食べるために行列を作っている人並みに集まりました。日く「こんな繁華街の真ん中に温泉とは」、日く「こんなに多くのもんじゃ屋がどうしてやっていけるのか」。
 これで散策は終了で、一同は大江戸線「月島駅」から「上野御徒町駅」に向かい、そこから「上野広小路亭」に入り、太巻きと押し寿司の弁当とお茶のペットボトルを受け取り、寄席会場でそれを食べました。寄席会場は100名位が入れる規模の会場で、前の方に座布団席が20ほどあり、あとは折り畳みの椅子席でした。我々ラリーのメンバーは優先的に好きな席に座れ、弁当を食べ終わる頃に一般の客が入場してきてほぼ満席になりました。
 寄席の開始は1時からで、この日の出し物は落語が5人、ユント・講談・大神楽が各1つで、最後の三遊亭好楽の落語が始まるのが3時50分でした。最初の落語3人は新鮮でしたがまだまだという感じでした。次のコントは痩せた男と元女子キックボクシング・チャンピオンだったという巨漢の妻によるもので、その妻に殴られたり投げられたりというのが“売り”のようでした。その痩せた男の言葉で、「女は顔ではなく、大切なのはここだ」と言って胸を叩いたところ、一番前に座っていた酔っぱらいの老人が「そうだ財布だ」と言ったので、その芸人が「私より面白いことを言わないでください」と言ったのが面白かったです。また、最近話題となった貴乃花に「親方をやめて今後どうするんですか。噂のように参議院選挙に出るのですか」と質問したところ、その返事が「正解(政界)」だったというのも笑えました。
 太神楽は二人の若い男性が、傘の上でいろんなものを回したり、茶わんや板を顎やオデコに立てた棒の上に積み上げるというものでした。まるで各道具が糊付けされているような見事なものでした。最後に見せた、各人が3本の棒を相手に向けて回しながら投げるというのをやりましたが、6本の棒が空中をクルクル回転しながら飛び交う様は素晴らしいものでした。文字通り“種も仕掛けもない”訓練の賜物といった芸でした。
 最後は三遊亭好楽の落語で、最初に今話題になっている往年の歌手「沢田研二」のキャンセル事件をひねって「私などは3人の客を相手に落語をやったことがある。但し、1人の場合は困るので最低2人欲しい。何故ならその一人がトイレに行くとゼロになるから」とか、「寄席の仕事で福岡に行った時、酔っ払って歩いていて前に転んで顔が血だらけになった」などと言って我々を引き付けておいで落語に入るというベテラン技を披露してくれました。
 4時半に「上野広小路亭」を出て、富田、原田、田中、佐藤、八束の5名は、近所の「上野市場」で1時間半ほど、酒を飲み、美味しいおつまみを食べ、おおいに談笑しました。たった3,500円で、案内人付きで歴史と文化の散歩という肉体的に健康な運動を2時間、次いで落語などで大いに笑って精神的に健康なことを3時間ほど過ごした後、今度は多少不健康かもしれませんが気心の知れた仲間と更に楽しいひと時を過ごしました。これで参加者の皆さんの寿命が少し伸びたことは間違いありません。このラリーをセットしてくれた富田さんには感謝感謝です。43会の皆さん、こんな楽しい会ですから、ぜひ参加してみてはどうですか。

以上

2018年6月6日~8日
  利尻・礼文島旅行(日本最北端の離島探訪)

 2018年6月6日(水)~8日(金)の2泊3日で、家内と日本差北端の島である利尻・礼文島に行ってきました。北海道については、大学4年生の時に仲間達と1週間ほどかけて観光したことがあり、最近では平成26年9月に大学の仲間と、厚岸で“花咲ガニ”を食べて川湯温泉に1泊という旅行をしましたが、かねがね日本の北端にある「利尻・礼文」という離島には何となく魅力を感じており、旅行社の人に相談すると、最近人気のある旅行になっており、行くのなら花の季節である6月がよいとのことでした。
 そこで利尻・礼文島について調べてみました。利尻島は、日本の島の中では18番目に大きな丸い島で、人口は約4千5百人とのことでした。島の中央に高さ1,721メートルの利尻山(利尻富士)がそびえており、島名のリ・シリはアイヌ語で“高い島”という意味だそうです。古くからニシン漁で栄えてきた島でしたが、今では全国的に有名な“利尻昆布”が中心になっています。礼文島は、利尻島の北西に位置する周囲72キロメートルの細長い島で、人口は約2千人だそうです。高山植物が多く見られる島として有名ですが、島を縦断する道路は東海岸のみで、西海岸は車が通れない林道だけだそうです。

 このように素晴らしい観光地であることがわかり、家内もぜひ行きたいとのことだったので、旅行社に申込ました。旅行社の話ではできれば3泊4日で回るのがよいということでしたが、私としては2泊3日で十分と判断し、また現地での交通の便、宿泊などを考えると、これまでのようなカスタム旅行は無理で、団体ツアーで行くのが無難ということになりました。これらを組み合わせて選択した結果、6月6日(水)出発の「利尻・礼文 優雅な島物語3日間」という「クラブツーリズム」の団体ツアーに決まりました。この日は私が副会長をしている大学の同窓会の役員会の予定日でしたが、やむを得ずこれは欠席ということにしました。その後、5月31日に「クラブツーリズム」から最終案内(当日の集合場所・集合時間、簡単な日程等)が届きました。これで旅行の準備が全て整い、あとは天候ですが、天気予報では全くわからないので、前日の6月5日に宿泊予定のホテルに電話を入れ、だいたい16度~17度くらいとの情報を貰っておきました。そこで、服装はニットの半袖シャツ、ウインドブレーカー、厚手の綿ズボンそしてPOLOの紺色のキャップに決めました。結果的にはこれで正解でした。

第1日目(6月6日水曜日)
 集合時間が羽田空港第2ターミナル2階 1番時計台 ANAクラブツーリズムカウンター前に12時15分と決まっていたので、自宅を出るのは、余裕を持って10時30分としました。羽田空港2階の「クラブツーリズム」カウンターで飛行機の搭乗券を受け取り、搭乗口に向かいました。「クラブツーリズム」の事前案内には、昼食は付かないので自前で弁当などを購入し、機内で食べるようにと書いてあったのですが、狭い機内で弁当を広げるのが嫌なので、搭乗口に向かう途中の店で、私は海鮮丼、家内はきつね蕎麦を食べました。家内からは「これから海鮮の本場の北海道に行くのに」と言われましたが、お腹が減っていたので美味しかったです。
 飛行機は、ANA773便(1時5分発)で、我々の席はエンジンの横の11BとCでした。稚内空港には予定通り2時55分に到着しました。天気は晴れており、気温も20度くらいでした。ここで「クラブツーリズム」の添乗員が待っており、我々を出口の脇に集合させました。この時、今回のツアーの参加者が27名ということがわかりました。我々のような年配の夫婦連れが多く、それ以外の単独の男女も若い人が見当たらず、子供も皆無でした。その後一行はバスで20分ほどの稚内港に向かいました。
 フェリーは大きな船で、約2時間も乗るので“船酔い”が気になっていた私も安心しました。我々の席は室内の1階の畳の席でしたが、ここで雑魚寝のようにしているのが嫌だったので、後甲板の椅子席、それも風の当たりの少ない隅の席を確保しました。この選択は正解で、海や景色を直接見ることができるだけでなく、甲板の上をあちこちと歩き回ることもでき、寒いことは全くありませんでした。フェリーは稚内港を4時40分に出発し、順調に航行して利尻島に向かいました。利尻島のオスットマリ港には6時20分の到着でしたが、天気が回復してきれいな日没を見ることができました。因みに、こちらの日没時間は7時19分とのことでした。また、利尻島が近づくと、まずは標高1,721メートルの利尻山(利尻富士)が見えてくるのですが、まるで海の中からそびえているように見えるので、素晴らしい眺めでした。私には、昔見たアメリカ映画「南太平洋」の神秘的な“バリハイ山”のように思えました。
 予定通りにオスットマリ港に6時20分に到着し、バスで宿泊先の「アイランドインリシリ」ホテルに向かいました。ホテルは4階建ての小ぶりのもので、我々は2階の231号室でした。普通なら、まずは大浴場で汗を流すところですが、夕食が7時30分からということでゆっくりと入浴できる時間がないので、そのまま着替えないで待機していました。昼食が羽田空港の“きつね蕎麦”だった家内はしきりに空腹を訴えていました。夕食は1階の食堂で食べましたが、テーブルにはホタテの陶板焼きと豚肉と野菜の陶板焼きが出ているだけで、あとはすべてバイキングでした。私は生ビールを注文して、早速バイキングを取りにいきました。席に戻ると、そこには事前に追加料理として注文していた“毛ガニ半身”が届いていました。この追加料理については、「クラブツーリズム」の最終案内に書かれていたもので、電話で確認すると毛ガニやウニはバイキングには入っていないとのことだったので、ウニを食べたかった我々夫婦は「毛蟹半身とウニ」という追加料理を二人分注文したのです。毛ガニは小ぶりのものでしたが、味は抜群でした。但し、かなり食べにくいので、二人ともはさみ等を使って夢中で蟹の解体に取り組みました。そのうち、ウニが出てきました。小鉢の中にやや大きなウニが4~5切れ入っているのですが、その味たるや“甘く”“濃厚”で、家内ともども驚いてしまいました。生まれて初めて食べる“美味しいウニ”でした。この贅沢な追加料理を堪能した後、気を取り直して少し冷めてしまった陶板焼きを食べ、再びバイキングを取りに行く前に、ウエイターに「白ワインをグラスで」とメニューを指さしながら頼みました。席に戻ってみると、そこには白ワインがグラス3杯分は入っているデキャンタがありました。ここで文句を付けると先ほどのいい気分が台無しになるし、自分としてはこれくらいの量は何とか飲めるので、黙って飲んでしまいました。いろいろありましたが、美味しい毛蟹半身とウニが食べられて本当に幸せでした。また、デザートとして食べたフルーツのブドウとキュウイがとても美味しく、そのことはホテルのアンケートに“デキャンタの件と一緒にしっかりと書いておきました。

 部屋に帰ってから少し休んで、9時半頃に交代で大浴場に行きました。浴槽は温泉と深層海水を温めたものの二つあり、両方に入りましたが湯音度も丁度よく、また何よりも入浴客が数人だったので気持ちよく入れました。家内もとてもよかったと言っていました。その後は布団に入り、朝まで熟睡しました。 第2日目(6月7日木曜日)
 朝食は7時半から1階の食堂でパンとサラダ、ハム、ジュース等で済ませ、8時半に出発しました。この日の最初の観光は「姫沼」でした。木々に囲まれた大きめの池といった感じの綺麗な沼で、1周できる木造の遊歩道があり、皆で木々や景色を見ながら1周しました。30分ほどでしたが、とても気持ちのいい散策でした。
 その後、バスに乗って「仙法志御崎公園」に行きました。ここにはアザラシの“コンブ”と“ワカメ”がいて、観光客に愛想をふりまいていました。また、ここには昆布の大きな販売店があるとのことで、早速行ってお土産として大きな利尻昆布を3枚購入しました。1枚が1,000円で、家内はとても買い得だと言っていましたが、いざ手元に来るとかなり大きく、旅行カバンには入らないことがわかりました。いずれ、他のお土産や、洗濯物と一緒に宅急便で自宅に送ることにしましたが、それまでは手荷物になってしまいました。
 次は、「沓形港」での昼食です。途中の海岸線の「北のいつくしま弁天宮」、「人面岩」「寝熊岩」などを見ながら、「沓形港」に向かいました。海岸線には多数の海鳥が飛んでおり、ガイドさんの話では、これらは「ウミネコ」と「カモメ」なのですが、「ウミネコ」と「カモメ」が見分けられないので、現地では総称して「ゴメ」と呼んでいるとのことでした。昼食は港のそばの漁協直売店で“ウニ丼”を食べました。下のご飯が見えないほどウニが乗った丼で、一同は夢中でこれを平らげました。前夜のウニよりは味が落ちるものの、東京の寿司屋のよりは美味しく感じました。
 「沓形港」から11時25分発のフェリーで礼文島の「香深港」に向かいました。天候はやや寒くなり、霧雨も降ってきたので船内の椅子席に座って40分ほどの行程を過ごしました。
 「香深港」からバスで桃岩登山口に向かいました。ここからは1時間以上のトレッキングとのことで、一同簡単な準備運動をしてから出発しました。参加者にはイヤホンが配られ、添乗員の説明がよく聞けるようになりました。天候は雨こそ降っていませんが、霧が立ち込めてよく見通せません。添乗員の説明を聞きながら、前の人に続いて必死に山道を登って行きました。ある程度登ると左右に高山植物がちらほら見えてきました。参加者の大部分は高山植物の愛好家のようで、渡されたパンフレットの花の写真を見て花の名前を確認したり、写真を撮影したりしていました。どの花も小さく、あちらに一輪、こちらに一輪と点在しており、高山植物に不慣れな私には「イワベンケイ」とか「ハクサンチドリ」とか言われてもその良さがよくわかりませんでした。私は、高麗の彼岸花や堀切菖蒲園の菖蒲のように一面に群生している花畑を想像していたので、まるで違う環境に戸惑うばかりでした。それでも手持ちのデジカメで花を撮影して、あとでパンフレットの写真と照合しようと思いました。
 かなり歩いた後に、まだ余力のある人は展望台に行こうということになりました。少し先に石碑のような物が見えたのであそこまでならと思って行くことにしましたが、家内は入口で待っているとのことでした。いざ出発すると、先ほど見えた石碑はただの案内の杭で、展望台はかなり先ということがわかりました。仕方がないので、ハアハアしながら何とか開けた展望台に到着しましたが、残念ながら霧のため周囲の景色は全く見えませんでした。
 次に、バスで「澄海(すかい)」という海岸の景色の綺麗な場所に行きました。入江のようになった絶景で、写真を沢山撮影しました。
 最後は、礼文島の最北端のスコトン岬に行きました。さすがに疲れてきましたが、展望台まで降りて行って「最北端の地スコトン岬」と記された杭の前で記念撮影をしました。ガイドさんの説明では、この展望台の北8百メートル先に見える「トド島」までが日本領土で、その先はロシアの領海とのことでした。“ついに日本の最北端まで来た”という感動と満足感がありました。その後、近くにある「レブンアツモリ草」の群生地の見学をすることになりました。道路に面した狭い場所に「レブンアツモリ草」が数十株生えており、これがとても珍しい花とのことでした。皆は感激してしきりに写真撮影をしていましたが、私には花の上下もわかりませんでした。それでも、あとで確認するため、写真だけは多めに撮っておきました。私には、他の花とは何か違った「レブンアツモリ草」という名前が気になって、ガイドさんにそのいわれを尋ねると「源平の時代に、一の谷の戦いで熊谷直実に討たれた平清盛の甥の敦盛が、後ろから飛んで来る矢を絡めとるために背中に装着した幌の形が花の形が似ていたから」との返事でした。歴史好きな私には十分納得できる話でした。その後一行はバスで20分ほどの船泊村にある「プチホテルコリンシアン」に向かいました。
 「プチホテルコリンシアン」は、博物館のような玄関の2階建てのホテルで、本館とは別に小さな別館があるとのことでした。我々夫婦は幸いにも本館2階の207号室に通されました。正面玄関の上にある素晴らしい部屋で、食堂に行くための階段は部屋の前という便利さでした。このホテルはオーナーの趣味で、各部屋の内装がことごとく異なっており、メルヘンチックな部屋や重厚な部屋までいろいろあるので驚かないようにと添乗員から予め聞かされていたのですが、我々の207号室は結構広く、畳の部屋にベッド、居間に日本画、寝室に洋画が飾ってありました。でも、洗面所・風呂・トイレが一緒でそれがえらく狭いのです。洗面具置き場に至っては、トイレの水槽の上という始末でした。このホテルのオーナーは、雰囲気を大事にする割には、利便性は一切無視しているようでした。このホテルにチェックインした時に渡された部屋の鍵などその最たるもので、何と大きな熊のぬいぐるみが付いているのです。鍵を施錠したり開けたりする時に、この熊がどれほど邪魔になったか知れませんでした。アンケート用紙があれば洗面所の件と鍵の件を書いておこうと思いましたが、残念ながらアンケート用紙はありませんでした。ここでも夕食までの時間が余りないので、風呂は食事のあとにして6時からの夕食を待ちました。食堂は家庭的な雰囲気の漂う洒落たレストランのようで、我々は大きな楕円形のテーブルに案内されました。ここには3組が指定されており、都内から来たという中年女性の二人連れと、平塚の同年配の夫婦でした。食事の内容はフレンチ風と思いきや、シーフードサラダとチーズケーキのデザート以外はウニ、刺身、ゆり根の茶碗蒸し、ニシンの煮つけなど和食が大部分でした。でも部屋の雰囲気から飲み物はワインが合っていると思い、白ワインを頼みました。初日のバスの中で、この日の追加料理の注文取りがあり、添乗員が言う「貝のエスカルゴ風」が面白そうだったので2つ申し込んでいたのですが、これも出てきました。よく見ると、ツブ貝のソテーで、そこそこの量があるものでした。味もガーリックとバターの効いたもので、ワインにはぴったりでした。家内もとても美味しいと喜んでいました。料理はどれも美味しく、会話も弾みました。我々以外の2組が言うには、このホテルは人気が高く、リピート客が多いためなかなか予約がとれず、今回のツアーがこのホテル宿泊になっていたのですぐに申し込んだとのことでした。そうこうしているうちに、私も気が付けば白ワインを3杯も飲んでおり、ほどほどで切り上げました。同席した女性の二人連れが自分達の部屋を見せるというので見に行くと、我々の部屋よりもやや狭く、メルヘンチックな部屋でした。お返しに、我々の部屋も見せることになりました。
 見学者が帰って、風呂ということになりましたが、先ほどの食事の時に平塚の夫婦が「風呂は小さくて混んでいた」と言っていたのを思い出し、私は部屋の狭い風呂場のシャワーで済ませることにしました。家内は浴場に行ったのですが、やはり狭くて混んでおり、早々に引き上げてきました。テレビで私の好きな「ケンミンショー」を見てから寝ましたが、昼間の疲れやワインの酔いで熟睡できました。

第3日目(6月8日金曜日)
 出発が8時、朝食が7時ということなので、6時半頃起床しました。食事前にフロントに電話して、お土産の昆布と洗濯物の自宅配送を依頼しました。料金は2,620円で配達は日曜日とのことでした。
 朝食後、バスで島の南部にある「香深港」に向かいました。乗船口に並び、船内の椅子席を確保し、8時45分に礼文島に別れを告げ、稚内港に向かいました。稚内港到着は10時40分で、我々夫婦はその間うつらうつらして過ごしました。稚内港到着後はバスで市内のお土産屋に立ち寄りました。ここでまたお土産をいくつか買い足し、折角空いた旅行カバンがまたパンパンになりました。
 その後、バスに乗って稚内空港に向かい、飛行機の切符を受け取りました。旅行初日にバスの中で添乗員が、最終日の昼食は空港内で食べることになるが、空港の食堂は狭くて全員が入れない可能性があるので、希望者には弁当を用意すると言ったので、カニ弁当を2つ予約しておきました。この弁当を空港の待合室で食べることにしました。家内はこんな所で食べるのは嫌だと言っていましたが、とのかく小さい空港なのでやむをえませんでした。カニ弁当は意外に美味しかったです。
 弁当を食べた後、保安検査を通って搭乗口の前で30分ほど待ち、ANA572便に搭乗しました。今度の席はエンジンの少し後ろの25番のJ・Kでした。稚内出発は1時、羽田到着は2時55分でした。到着は離れた場所で、リムジンバスに乗って出口に向かいました。あとは、往路と同じく京急で浅草駅に向かい、タクシーで帰宅しました。
 今回の旅行は、いつもと違って歴史的建造物や温泉の大浴場もない離島の旅で、また初めてのツアー旅行でした。当日まではいろいろと心配なこともありましたが、いざ始まってみるとそれなりに楽しい旅行でした。乗り物の時間や切符の手配そして何よりも全体の進行・管理が人任せだった点が楽でした。そのためつい油断して、事前研究が不十分で、多少面食らった点もありました。でも、結論的には綺麗な空気・環境に満ちた島で、普段は見られない自然に接することができ、心と体の洗濯ができたと思っています。2泊3日という日程にしたことも、これで十分でした。また、参加者の多くが我々と同年配かそれ以上なのに、足場の悪い山道をすいすいと登っている姿、小さな高山植物の花を見つけて嬉しそうにしている姿を見るにつけ、新しい元気を貰ったような気がしました。ともすれば贅沢に、楽に旅行するようになっていたこれまでの私の旅行を、今後多少見直すきっかけにしたいと思いました。
                                         
以上

2018年5月15日~16日
 春の大洗・水戸旅行

 私が定年まで勤めていた「伊勢丹」には、「丹光会」というOBの同窓会があります。私も定年後数年間その会の役員(幹事)をしており、その頃の幹事仲間のうち特に親しかった5名で「ねぼけの会」という会を作りました。名前の由来は、年に1~2回開催していた食事会が、西新宿の「ねぼけ」(新宿野村ビル50階にある土佐料理の店)で行われていたからで、決してこの5名がねぼけている訳ではありません。その後、この会で旅行をしようということになり、昨年は1月に「金沢旅行」を、11月には山形の「銀山温泉旅行」を行いました。そして今年は、この会の幹事である私が推薦した「大洗・水戸旅行」に決まり、5月15日(火)~16日(水)で1泊2日の旅行に行って来ました。このコースについては、私は家内と2014年の12月に経験しており、大洗のハマグリの美味しさ、水戸偕楽園の好文亭の素晴らしさを「ねぼけ」のメンバーにも味わってもらおうと思ったのです。

①第1日目・5月15日(火)
 この日は、10時23分に東京駅を「ときわ57号」に乗って出発しました。参加者は、私より先輩の女性2名と、1年後輩の男女1名と私の5名(全員が70歳超)でした。
 11時47分に水戸駅に到着し、ここで12時発の鹿島臨海鉄道(2両編成のディーゼル)に乗り換え、12時16分に無事大洗駅に到着しました。昼食時間なので、2台のタクシーに分乗して海鮮市場に向かいました。この市場は、まるで海の家のような雰囲気な所で、奥には海産物や農産物の売り場もあります。タクシーの中で、この市場では、「焼きハマグリ」や「焼きホタテ」とビールだけにして、海鮮丼は運転手に教えてもらった「かじま」という店に行くことに決めていました。4年前は大きなハマグリが1個500円でしたが、今回は3個で500円でした。でも大きさがだいぶ小ぶりで、おそらく大きなものはゴールデンウイーク中に食べつくされてしまったようでした。皆は美味しいと言いながらハマグリやホタテ貝にかぶりつき、ビール等を飲んでいました。続いて、20メートルほど離れた場所にある「かじま」に入って海鮮丼やシラス丼を食べましたが、新鮮なまぐろやイクラ等がたっぷり入っており、私と男性のYさんは完食しましたが、女性達は食べきれなかったようでした。
 お腹が一杯になったところで、予定では大洗ホテルの前の「磯前神社」をお詣りすることになっていたのですが、数日前の新聞に「大洗アクアワールド(水族館)」の記事が掲載され、多くのサメを含む80種類2万匹の生物が見られると書かれていたのでそれを電車の中で皆に披露すると、急遽そこに行こうということになったのです。そこで、電話でタクシーを2台呼び、分乗して市場から15分くらいの「大洗アクアワールド」に向かいました。この水族館はかなり大きなもので、いくつもの巨大な水槽に小魚から大きなサメ、亀やエイ、蟹やクラゲなどが展示されていました。中でも圧巻だったのは数百匹の「まいわし」が群れをなして泳いでいるのと、どう猛な目つきで泳ぐ2~3メートルもあるようなサメでした。私も久しぶりの水族館見物で、それも大きな水槽で泳ぐ姿を上からも下からも見ることができるのでとても新鮮に感じました。アクアラングを付けた職員が水槽の中に入って水中から説明するというような斬新なショーもありました。
 4時から、「イルカ・アシカショー」があるというので会場に行って座席に座ると係員が来て「黄色のシールが貼ってある席は水しぶきがかかります」と言ってきたので、「多少のしぶきならいいです」と言うと「多少でなく大量のしぶきです」と言うので、1段上の席に移りました。子供が2人、一番前に座っていましたが、彼らはしぶきを浴びるのが目的のようでした。ショーが始まると、3匹のイルカと2匹のアシカが出てきて色々な演技をしてくれました。イルカが飛び上がって再び水に戻るときに大きな水しぶきが客席にかかるので、二人の子供はたちまち濡れねずみになっていました。私は写真を撮ろうと思い、カメラをイルカに向けていたところ、突然正面から水がかかってきました。イルカがそのように訓練されていたようなのですが、尾びれで客席に向かって水を大量にかけてきたのです。私は、これをまともに受けてしまったのです。前の席に二人の客が座っていたので、水がかかったのが上半身だけだったのですが、塩辛い海水が口にも入ってきて驚くやら、気持ち悪いやらで大変でした。
 その後、館内を歩いて4メートルもあるほおじろサメや直径が2メートル以上もあるマンボウの剥製の前で記念撮影をしたりして、4時半頃にタクシーを呼んでホテルに向かいました。帰りのタクシーの中で運転手が「大洗駅からアクアワールドまで4キロメートルしかないのに、ゴールデンウイークの時はすごい交通渋滞で2時間もかかった」と言ったので、この水族館がかなり人気があることがよくわかりました。今回それほどの混雑もなく見学できた我々は幸運だったようです。
 ホテルでチェックインすると、我々の部屋は最上階8階の826号(男性2人)、827号(女性3名)で、窓からは太平洋と足元の海岸の白い灯台が見渡すことができ、大浴場は9階なので迷わず短時間で行くことができるという素晴らしい部屋でした。早速、大浴場に行って汗を流したのですが、ここからも太平洋が大きな窓ガラス一杯に見渡すことができ、実に気持ちのよい雰囲気でした。但し、どういう訳か浴槽が浅くて底に座ってもお腹くらいしかありません。止む無く、浴槽の縁に頭を乗せて、まるで“寝湯”のようにしてこの日の疲れをとりました。
 夕食は、昼にたっぷりと食べたので、6時半からにしてもらい、2階の食堂の奥の指定席でいただきました。平日にもかかわらずこのホテルは満室だったようで、広い食堂は宿泊客でほぼ一杯でした。我々のような年寄りのグループ客、家族連れ、夫婦、それに会社の団体旅行のような様々な人達でした。ここのシステムは、前菜・刺身・和風海鮮鍋だけが基本で、あとはバイキング形式になっていました。私は生ビールで基本料理を食べてから、マグロのかま焼き、煮ハマグリ、サラダ、果物など極力ヘルシーなものを少量にしておきましたが、他のメンバーはかなり多くの料理(ビーフシチュー、野菜の煮物、天ぷら等)を食べていました。私と男性のYさんは、生ビールの後はこのホテルオリジナルの冷酒(300ミリリットル)を飲みましたが、これがとても美味しかったです。
 食後も大いに喋ったり、デザートを食べたりして8時半ころまで食堂にいました。そのころになると、食堂は我々以外にはほとんど居なくなり、我々も部屋に戻ることにしました。夜になっても下の灯台に明かりがつかないので、東日本大震災の時の津波にやられたのかと思い、ホテルの従業員に尋ねると、この灯台は津波のだいぶ前から役目を終えており、ただの飾りだとのことでした。部屋に戻ると酔いが回り、テレビを見ていてもうつらうつらしてきたので、10時半ころには寝てしまいました。

②第2日目・5月16日(水)
 前夜に早く寝たせいで、4時頃に目が覚めてしまいました。前回に来た時に、旅館の窓から素晴らしい“日の出”を眺めることができたので、この日も快晴との予報だったので、4時半ころと思われる日の出をカメラを用意して待ちました。ところが、前回は12月だったので目の前に見えた日の出が、5月となると左の奥の方になってしまい、カメラを窓から突き出して辛うじて写すという状態でした。そこで、何枚かの写真を撮影した後、5時から入れる大浴場に行くことにしました。この時間なら、誰もおらず、貸し切り状態で入浴できると思ったからです。ところが5時に9階の大浴場に行ってみると、先客が6名もいてこれにはがっかりでした。
 前夜、朝食は8時から、出発は9時10分発のホテルの送迎バスでと打ち合わせていたので、2階の食堂で8時に皆と合流しました。ここの朝食は和洋のバイキング形式で、内容は前回同様になかなかよかったです。私は、パン、サラダ、ハムエッグ、果物等で軽めにしましたが、皆は和食で結構な量を食べていました。
 9時10分の送迎バスで大洗駅に向かい、9時27分発の鹿島臨海鉄道に乗り、9時45分に水戸駅に到着しました。コインロッカーに荷物を預け、2台のタクシーに分乗してこの日の午前中の観光目標である、水戸城址・弘道館を目指しました。タクシーの運転手に行先を指示すると、城址の方の道が工事中で行けないとのことなので、それではと「弘道館に行くように」と言うと何か不満そうでした。5分ほどで弘道館に到着しましたが、そこから見ると確かに城址の方に向かう道路は工事中でした。
 とりあえず、館内に入ろうと入場券を購入するため受付に行くと、70歳以上は無料ということがわかり、一同は大喜びでした。館内には先に団体客が入っていて案内人も付いていたので、これに便乗して各室を回りました。いたる所に徳川斉昭公の肖像画や“書”などが展示されており、また教室と思しき部屋以外に、藩主の間などがあり、斉昭公が足しげく通っていたことがよくわかりました。案内人の説明を聞いていると、斉昭公は大変優れた人物であると同時に、子供が正式な者だけでも30人以上いたとのことで、まさにスーパーマンのような存在だったようです。でも、展示されていた藩の資料を見ると、参勤交代のない35万石の御三家・定府大名だったのに財政的に苦しかったと書かれていたので、メンバーの一人が思わず「これだけ頭のいい人を抱えていたのに、財政立て直しができないのは何故なんだろう」と言うのが聞こえました。私は、御三家というプライドの高さと、政治・思想に力が入っていて、経済に気が回らなかったせいではないかと思いました。
 弘道館の見学を終えたので、城址方面に徒歩で行こうと思い、係の中年の女性に確認したところ、「ここまでどのようにして来たのか」と言うので「タクシーで」と答えると「タクシーで来る人は珍しい」と言われてしまいました。そして、徒歩で城址(実際には城は火事と戦災で跡形もなくなり、わずかに“薬医門”という門だけが残っているだけ。しかも、城跡部分は現在水戸第一高校になっていて入れない)まで行き、あとは道なりに15分ほど歩けば水戸駅に着くこと、飲食店は少ないので、駅ビル内の店がお勧めとのことでした。それで、来る時のタクシーの運転手が不満顔だった原因がわかったような気がしました。要するに「これっぽっちの距離は歩けよ」というのでしょうが、こちらは全員が70歳以上の年寄りで、一人は杖を突いているのに、それはないだろうと思いました。前回、家内と来た時には、水戸市民は道を尋ねるだけで観光案内までしてくれる人が多いという好印象でしたが、今回の旅行では“思い込みが激しい”とか“自説を押し付ける”という悪い印象を受けました。
 弘道館の中年の女性の勧めに従い、徒歩で何とか水戸駅まで歩き、駅の隣のエクセルというビルに入りました。丁度昼食時だったので、混み合っており、何とか中華料理の店に入ることができました。まずは生ビールを飲みながら、各自料理を頼みました。私は軽めの“冷やし中華”を頼みましたが、他のメンバーは定食のようなものを注文していました。ここで、ゆっくりと食事を食べ、1時間以上談笑してから、偕楽園に行くことになりました。帰りの電車は4時27分発なので、それまでに水戸駅に戻ればいいということなのです。
 水戸駅でタクシーに分乗して、「偕楽園の正門まで」と言うと「正門という門はない。南門とか東門ならある」との返事です。「とにかく、観光バスなどが着くような門に行って欲しい」と言うと「正門はないが、表門ならある」と言うので、そこに行くように指示しました。心の中では「正門という門はないけど、表門ならある」と言ってくれれば済むことなのにと思いました。
 表門に到着しましたが、そこは観光バスが着くような大きな場所ではなく、どちらかというと裏門のような所でした。でも、以前に私が偕楽園見学をした時に出て来た口だったことを思いだしました。また、案内図をよく見ると、ここは偕楽園の表門ではなく、「好文亭」の表門だということがわかりました。
 「好文亭」はメンバーの一人Fさんが是非行きたいと言っていた所なので、結果としては正解だったのです。立派な竹林の中を暫く歩いて行くと、「好文亭」に到着しました。入場料を払おうとすると、またもや70歳以上は無料(しかも6月からは改訂されて100円が徴収されることになる)だったので、一同は喜んで建物の中に入りました。ここも徳川斉昭公が1842年に建てた3階建ての建物で、斉昭公は自分だけでなく家臣や領民も招いて風流を楽しんだとのことでした。2階には、15畳ほどの板の間が2つあって、そこは庭園の眺めもよければ、風通しもよく、観光客がほとんどいなかったので一同はそこに寝転んで「ここで昼寝をしたら気持ちいいだろうな」などと話していたところ、障子の掃除をしていた男性の職員が「この上の3階からの眺めはもっとよい」と教えてくれました。3階への階段は2階に来た時にちらっと見たのですが、余りに急な階段なので上がるのを止めていたのです。言われた以上はと覚悟して、急な階段をやっとの思いで上がると、そこは10畳ほどの和室(楽寿楼)と、その周囲にベランダが巡らせてあるのです。そしてそこから見ると、周囲の景色が箱庭のように一望でき、遠く「千波湖」という湖までもが見渡せる場所でした。一同は感激して、素晴らしい眺めを楽しみました。
 帰りについては、来る時のタクシーの運転手に、「好文亭」の表門ではなく「大鳥居のある東門に呼んで欲しい」と言われていたので、そこに行くと「常盤神社」という立派な神社があったので一同はここでお詣りをしてからタクシー乗り場のある広場に出ました。丁度1台のタクシーが客待ちしていたので3名がこれに乗り、私と残る一人が乗るもう1台の手配を頼みました。暫くして1台のタクシーが来たので「八束ですが」と言うと運転手は怪訝な顔をしています。私が「1台目に3人が乗り、あとの2人のためもう1台を頼んだ客である。他にここで待っている客はいない」と言うと返事は「確かにそうだ。でも客の名前は安田と聞いている。但し、この名前は間違っている可能性があると言っていた」ということでした。とにかく、水戸駅に無事に到着して他のメンバーに合流できましたが、今回の旅行でのタクシーの運転手には恵まれませんでした。
 水戸駅で荷物をコインロッカーから出し、駅ビル内の喫茶店で時間調整をしてから、4時27分発の「ひたち20号」に乗り込み、帰路につきました。帰りの車中では、さすがに皆疲れた様子でした。前日の水族館もそうでしたが、この日の弘道館・「好文亭」なども結構歩くことが多く、私はともかく先輩の二人の女性にはきつかったようでした。でも、これは自画自賛になるかもしれませんが、1泊2日の観光旅行ではあっても、重点的に目標を定めて、時間をかけて満喫するというやり方が実によかったと思っています。多くの場所を流して歩くのは、沢山観光したように見えて実は何も見ていないと同様なのです。今回の大洗・水戸旅行は、このようにして無事にそして大成功の裡に終えることができました。

以上

2018年5月15日~16日
 年末の山梨旅行


 毎年、年末に娘夫婦の会社が休みとなり、私達が孫の世話から解放されると、夫婦で年末年始の忙しさの前にゆっくりと旅行を楽しむことにしています。昨年は日光金谷ホテル、一昨年は福島の磐梯熱海でしたが、今年は4月に中央大学のOB仲間8名(43会会員の高橋・川辺氏も参加)と行った山梨にしました。理由は、この時に宿泊した湯村温泉の「柳屋」がとてもよかったのと、雨に降られて「昇仙峡」観光ができなかったからでした。
 検討の結果、今回の旅行の目的は、山梨観光の定番である“恵林寺”と前回のリベンジである“昇仙峡“の観光そして“山梨美術館”見学と、美味しい“ほうとう”を食べることにしました。“山梨美術館”については、4月の時に雨で取りやめになった“昇仙峡”の代わりに行ったのですが、ここにはミレーの“落ち葉拾い”などの有名な絵画が沢山展示されており、それがどこからか借りてきたのではなく“県立山梨美術館”の所有物と聞いた時は驚いてしまいました。このような著名な絵画は、上野の国立博物館などで“特別展覧会”の時にだけ大勢の見学者の肩越しに見るものと思っていたのですが、ここでは見学者は数人しかおらず、心行くまで楽しむことができるのです。武蔵野美術大学卒で絵画を勉強していた家内もこの話を聞いて大いに興味を抱いたようでした。

第1日目(12月27日・水曜日)
 この日は気温が低めでしたが快晴で、新宿駅から10時30分発の中央本線の「かいじ103号」に乗り込み、塩山に向かいました。11時52分に塩山駅に到着し、タクシーで10分ほどの最初の目的地“恵林寺”に向かいました。ここは戦国武将の「武田信玄」の菩提寺として有名な寺で、武田家が滅亡した折に、この寺の“快川和尚”が織田信長の軍勢に武田の縁者の引き渡しを拒んで百人の僧侶とともに三門に閉じ込められて焼き殺されたと言われています。その時に‘‘快川和尚ガが言ったとされる「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」という言葉が伝えられており、その後の豊臣秀吉の治世下や徳川時代もこの寺は大切に保護されて今日に至っているのです。
 昼時になっていたので、まずは寺の門の脇にある「一休庵」という“ほうとう”の店に向かいました。ここは4月に来た時に美味しいほうとうを食べた店だったからでした。ところが、店には“本日休業”の看板が出ているのです。止む無く隣の物販と食堂をやっている店に行きましたがここも休業でした。
 家内が少し離れたところにある“団子屋”を見つけて「とりあえず団子で我慢する」と言うので行ってみるとそこも閉っていました。更に奥の方にもう1軒の“団子屋”があったのですが、ここもやっていません。とにかく、山梨県有数の観光地である“恵林寺”に参拝に来た観光客が、昼飯どころか団子一つとして食べることができない状態になっていることがわかりました。止む無く、食事は見学を済ませた後に、塩山駅に戻ってから食べることとし、寺の中を見学するため靴を脱いで受付に行きました。ところが、受付は無人で、さんざん声をかけると奥から不機嫌そうな顔の女性が出て来たので「入場券をください」と言って金を出すと「自動販売機で買ってください」と言うのです。私が「ここでは買えないのですか」と言うと嫌々入場券を出してくれましたが、実に不愉快な態度でした。“快川和尚”がこれを見たらどう思うかと思いました。寺の中を見学しましたが、4月に来た時には枝垂れ桜や趣のある池などがあって見事だった庭も、12月となると枯れ木の山で、折からの強風に煽られた結構太い枝が落ちてくるなど散々な状態でした。そこで、1時間ほどで引き上げることにしましたが、帰る時も受付は無人で、家内が受付の窓口で武田菱の手ぬぐいを買おうとした時も、大声で係員を呼ばなくてはなりませんでした。見学者は我々夫婦だけではなく、10人くらいが次々に入ってきていましたが、依然として声をかけないと出て来ない状態が続いていました。
 来る時にタクシーの運転手さんに名刺をもらっておいたので、電話をかけて迎えに来てもらい、タクシーの中で私が「酷い目にあった」と話すと、運転手さんもすっかり同情してくれ、塩山駅の近くの美味しい“ほうとう”の店を紹介してくれました。そこは「夢乃屋」という喫茶店のような店でしたが、“ほうとう”のメニューが出ていたので早速頼みました。だいぶ待たされましたが、その間に入口に置いてあった“イチジク”のジャムを買うと、店員が気をよくして小さなキューイフルーツを10個ばかり付けてくれました。そうこうしているうちに、鉄鍋に入った“ほうとう”が運ばれてきましたが、その中に入っている野菜の多さに驚きました。カボチャ、ニンジン、さやいんげん、じゃがいも、里いも、白菜、ネギ、きのこなどが大盛りで入っているのです。タンパク質は油揚のみでしたが、味噌仕立ての汁がとても美味しく、お腹が空いていたこともあり、夫婦共々完食してしまいました。
 食後、塩山駅で甲府行の電車を確認すると、予定では3時の鈍行に乗ることになっていましたが、その前の2時半の鈍行に乗れることがわかり、プラットフォームでこの電車を待ちました。暖かい待合室で待っていたところ駅のアナウンスが「ただいま線路内に銀色のビニールが入り、これを撤去するため電車の運行は全面停止しています」というのです。ビニール程度で電車が全面運行停止になるなんて聞いたことがないなどと話していると、2時半頃に今度は「遅れていた特急が当駅に臨時停車します」というアナウンスがあったので、1駅分の特急代金を払ってもこれに乗ろうと待合室を飛び出しました。
 ところが、特急電車は確かに塩山駅に停車したのですが、ドアは開きません。それなら、先ほどのアナウンス「停車はしますがご乗車にはなれません」と付け加えるべきだったと思いました。
 結論的には、15分遅れで到着した鈍行電車に30分ほど乗って無事に甲府駅に到着しました。駅からタクシーで10分ほどの湯村温泉の「柳屋」に入ることができ、1階の「熊野」という部屋に案内されました。8畳の和室に次の間、縁側のある広い部屋でした。このホテルは立派な庭を“コの字”で囲むようにできている2階建てで、フロントの左が食堂、右が大浴場と極めて明解なのでホテル内で道に迷うなどということは絶対にあり得ないのです。足腰や記憶力が弱っている高齢者にはとても親切なホテルであるセいう理由で私はここを選んだのです。
 早速、大浴場に行くと、先客が1人いるだけだったので、ゆっくりと温泉に浸かることができました。
 夕食は、1階の食堂で食べることになっており、部屋の名前が掲示されているテーブルに座りました。
 「お飲み物は」と聞かれたので、辛口の冷酒をお願いしたところ、「七賢」という酒が出てきました。料理は、柚子豆腐の先付、鶏の焼物・卯の花・焼茄子・小松菜の明太子和えの八寸、ぶり・まぐろ・ホッキ貝のお刺身、赤魚の焼物、豚の角煮、豚肉と野菜の鍋、蟹豆腐ときのこの揚げ物など、量・味ともに満足のいくもので、我々夫婦は最後のご飯、デザートも含めていつものように完食しました。夕食後は、いつものように、家内は入浴、私は早めに寝てしまいました。

第2日目(12月28日・木曜日)
 この日は、夕べ早く寝たせいで、7時頃に目覚め、家内に次いで風呂に行きました。湯の温度は丁度よくなっていました。朝食は8時に指定してあり、昨夜の食堂で和食を中心にしたバイキングの朝食を食べました。野菜や豆腐を中心にしたヘルシーなものでした。9時すぎにホテルをチェックアウトし、タクシーで“昇仙峡”に向かいました。タクシーの運転手さんにこの日の予定を説明すると、とんでもないことがわかりました。それは、山梨美術館が25日から年末の休館になっているというのです。この日の午後の大半を山梨美術館の絵画鑑賞に充てるつもりだったのに、予定が大きく変化してしまいました。そこで、予定を変えて、午前中は昇仙峡と「影絵の森美術館」見学とし、その後は「武田神社」に参拝してから甲府駅周辺に戻って昼食を食べ、更に駅の近くにある「小さな蔵の美術館」と「甲府城」の見学をすることにしました。
 まずは、30分ほどで昇仙峡に到着しました。ここは紅葉の季節や、桜・桃の季節である4月あたりは観光客で賑わうそうですが、12月末ともなると閑散としていました。でも、運転手さんの話では、ここの“売り”である岸壁や岩などが木々の枝葉に邪魔されずによく見えるし、そして観光客が少ないので細い道路で渋滞になることもないとのことでした。我々夫婦は昇仙峡は初めてでしたが、そのスケールの大きさには圧倒されてしまいました。運転手さんが車を走らせながら「あれは猿岩、こちらは天狗岩」などといろいろと説明してくれ、ポイント地点では車を止めてカメラのシャッターを押してくれたりしたのですが、とにかく素晴らしい景色でした。私は、毎年、鬼怒川に行っており、激しい川の流れで深く削られた渓谷を見た経験があるのですが、ここも基本的には同じ構造なのですが、水量は上流のダムで調整しているので鬼怒川よりは少ないようでしたが、川の中や周辺に転がっている岩がとてつもなく大きいのです。鬼怒川の岩石は上流から流されて来たという程度の大きさのものが多く見られるのですが、ここのは津波でも流せないような巨大な岩が多く、おそらく両岸に聳え立つ岸壁から崩れ落ちたものだと思われました。その証拠に、道路に伸し掛かっているような大岩もあり、とにかくあたり一面が大岩だらけなのです。我々夫婦はこれらの景色にすっかり感激してしまいました。運転手さんの勧めで、一番の目玉である“仙蛾滝”まで20分ほどの緩い坂道と、100段余りの階段を歩いたのですが、最後にかなりの水量のある滝を見た時はまたまた感動してしまいました。
 その後、昇仙峡を出た所にある「影絵の森美術館」に行きました。ここには雅子皇太子妃などに好まれている世界的影絵の巨匠である藤城清治氏の作品が展示されてあるのですが、その他にも山下清氏、河野里美氏、漫才の内海桂子氏の作品なども展示されており、ほとんど貸し切り状態でこれらの作品をゆっくりと見ることができ、何か得をしたような気分になりました。
 そしてタクシーによる最後の観光は「武田神社」です。もともとは武田氏の「躑躅ケ崎館」という本拠地があった所で、恵林寺とは異なり多くの観光客に溢れでいました。ここも4月に訪れており、家内も身延山に行った時に来たことがあったので、参拝だけ済ませて帰ろうとしました。門の前にお土産屋があったので、ちょっと入ってみたら何と昨晩飲んだ「七賢」という酒が置いてあったので、条件反射的にこれを購入しました。最近、旅行中に地元の酒を飲み、美味しかったら買うということが多く、山梨でもと思っていたのですが、ホテルでも観光地でも売っているのはワインだけで、日本酒は全く置いてなくがっかりしていた矢先だったのです。おかげで、旅行バッグが重くなってしまいました。
 甲府駅の近くでタクシーと別れましたが、4~5時間乗り回したのに料金は12、000円余りと少なく、おそらく待ち時間はメーターを止めていたのではないかと思いました。ここで、「小さな蔵の美術館」に入りました。ここには水玉の絵で有名な草間弥生氏の作品が展示されており、家内がぜひ見たいということで入ったのです。私は余り興味が無かったのですが、竹久夢二の版画も展示されており、貸し切り状態の中で“美人画”をまじかで満喫することができました。
 また、この美術館から甲府駅に向かう途中に甲府城跡(舞鶴城)があり、城好きな私としては、喜びで見学しました。但し、この城跡は線路の南北に分かれており、重い荷物を抱えて両方を見るのは大変でした。南側の方が本体だったようで、私は天守閣跡のある一番上まで行きましたが、家内はいつものように、階段の下で待っていました。甲斐の国(山梨県)は、江戸中期以降は幕府の直轄地であり、甲府城にはその管理者である甲府勤番支配(3千石以上の旗本2名)と組頭4名が配置されていました。
 またその下には2百名の甲府勤番が勤務していましたが、その多くが江戸で不始末をしでかして甲府に飛ばされた旗本連で、彼らの同僚達は楽しい江戸から離れて甲府勤番になることを何よりも恐れていたとのことです。いずれにしても、この城は石垣も門もそして2つの櫓も新しくてきれいで、歴史的には余り価値のないように思えました。
 昼食は駅ビル5階の蕎麦屋で、温かいとろろ蕎麦を食べました。快晴とはいえ空気は冷たく、冷えた身体に温かい蕎麦はとても美味しく感じました。
 時間調整のため、駅ビル4階にあったタリーズコーヒーで1時間半を過ごした後。3時3分発の「あずさ20号」に乗り込み、新宿駅到着は4時34分でした。私も家内もこの1時間半を居眠りして過ごしました。
 今回の旅行は、このように無事に終わりました。面白くないこと、予定外のこともありましたが何にもまして天候に恵まれたこと、寒さがそれほどでもなかったことなどの幸運にも恵まれ、楽しい旅行でした。予定変更についても、普段なら行かないような美術館などにも行くことになり、そこで思わぬ収穫があったのでこれもよかったなと思いました。反省としては、年末の旅行なので、美術館などの休館の確認を忘れないようにと思いました。タクシーの運転手さんのお勧めもあり、来年の4月にもう1度「柳屋」に宿泊して、今度は新緑の経と花に包まれた昇仙峡を観光し、山梨美術館へのリベンジも果たしたいと思いました。

以上


2017年4月14日〜15日のこと
 3回目の山梨旅行

 昨年、4月に中大国際関係研究会OB有志8名(43会会員の高橋氏、川辺氏も参加)で、また12月には家内と山梨旅行をしました。4月の時は、恵林寺・武田神社・ほったらかし温泉周辺の観光はしたものの、雨に降られて昇仙峡を諦め、その代わりに訪れた「山梨美術館」で多くの名画を見て感激しました。そこでその年の12月に家内を連れてリヴェンジ旅行をしましたが、巨石が転がっている昇仙峡は満喫できたものの、「山梨美術館」が年末の休館になっており見学できませんでした。そこで3回目の挑戦として、桜の季節の昇仙峡を再度訪れ、昨年末に見損なった「山梨美術館」を今度こそ家内に見せてやろうと思ってこの企画を立てました。
 しかし、身延山の久遠寺のしだれ桜がまだ見られるのなら、昇仙峡見学を止めて私がまだ行ったことの無い身延観光をしようと気持ちが変わりました。宿泊は、昨年2回宿泊して大いに気に入った湯村温泉の「柳屋」です。規模が大きくなく、気楽な点で気に入ったのですが、その他に飲み物やお土産代5千円分の割引券を贈ってもらったので、これを活用することにしたのです。

第1日目(4月14日・土曜日)
 新宿駅10時30分発の「かいじ103号」で甲府駅に向かいました。電車は満席で、 身延線の切符を現地で購入しようと思っていた私は、こんなに多くの人が行くとなると果たして指定席券が買えるのかどうか不安になりました。
 12時8分に甲府駅に到着し、身延線の乗り場は同じホームの後ろの方だったので、私が切符の購入、家内が現地での観光時間を増やすための駅弁の購入というように手分けをしました。私が停車している12時37分発の身延線特急「ふじかわ8号」(3両編成)に近づくと、電車はガラ空きで、自由席がやすやすと確保できました。切符購入について特急の運転手さんに尋ねると「あとで車掌が車内を回るので、その時に購入したらよい」と答えてくれました。駅弁を買って慌てて駆け込んできた家内も何か拍子抜けがしたようでしたが、私の話を聞いて「こんな空いている電車で座席指定券を買わずに済んでよかった」と安心し、発車までの時間に購入してきたおむすびとサンドイッチの昼食を食べ終えました。
 身延駅には1時半頃に到着しました。早速駅前に停車していたタクシーに乗り込み、「久遠寺の本堂までお願いします」と指示しました。本堂までは10分くらいでしたが、最後の部分はかなりの坂道でした。帰りの電車は、身延駅発3時7分の「ふじかわ7号」なので、観光に使える時間は1時間ほどです。そこでタクシーの運転手さんに2時40分に迎えに来てもらう約束をしておきました。
 久遠寺はさすがに日蓮宗総本山で、まず巨大な本堂に圧倒されました。本堂の中に入ると、天井には日本画の大家「加山又造」の描いた巨大な天井画「墨龍」が見上げる我々に目をむいており、迫力がありました。正面には、日蓮上人を中心に金色に輝く多くの仏像が並んでおり、手前の畳は全部で100畳を軽く超えているようでした。また、その地下には「宝物館」があり、中に入ると国宝や重要文化財などの“お宝”があり、特に久遠寺設立に貢献のあった徳川家康の側室「お万の方」に関するものが多くありました。
 久遠寺の境内は広く、全部を見ることはできませんが、本堂の他に、五重塔、祖師堂、鐘撞堂などを見学しました。天気は曇りで、時々雨粒がぽつりぽつりと落ちてくる程度でしたが、傘を差すほどではなく、観光客が少ないのでゆっくりと観光することができました。肝心のしだれ桜については、ほとんど終わっており、代わりに「花ミズキ」や「シャガ」が咲いていて目を楽しませてくれました。
 約束通りに先ほどのタクシーが迎えに来てくれました。そして無事に「ふじかわ7号」のガラ空きの自由席に座って甲府駅に4時3分に戻りました。タクシーでこの日の宿「湯村温泉柳屋」に向かい、4時半頃にチェックインを済ませました。部屋は1階の「竜田」でした。交代で入浴し、6時から楽しい夕食タイムとなりました。料理は、先付、八寸、お刺身の3点盛り、蕎麦・浅葱・山葵・山芋のお凌ぎ、サーモン菜の花巻きの焼物、煮物、富士桜ポークの鍋もの、太刀魚・筍・舞茸の揚げ物といったもので、どれもヘルシーで美味しかったです。私は、注文した「七賢」の冷酒を飲みながら、家内はホットウーロン茶を飲みながら、いつものように二人とも完食しました。
 食後、売店で桜ワインやぶどうジュースなどを自宅配送した後、部屋に帰り、一寸休憩するつもりで横になるとそのまま寝てしまいました。家内は再度入浴したとのことでした。

第2日目(4月15日・日曜日)
 7時過ぎに起床し、家内は3度目の入浴に行きましたが、私は8時からの朝食、9時に頼んでおいた迎えのタクシーが気になって入浴できませんでした。朝食は、昨夜と同じ1階の食堂で食べました。料理は、湯豆腐、卵焼き、塩サケ、煮物などの他に何鉢かの料理が付いており、更に、サラダ、ジュース、漬物、果物、納豆等、そして「ほうとう」がバイキングで選べられるようになっていました。私達は、これらもいっぱい持ってきて又もや完食しました。
 ホテルからタクシーで「山梨美術館」に向かいました。10分程度で到着しましたが、ここは広大な“芸術の森公園”の中に聳える立派な建物で、その環境、そのたたずまいに家内は感激していました。まずは、コインロッカー(100円が必要ですが、帰りには戻ってくる)に荷物を預け、入場券を購入しようとすると、65歳以上は無料とのことでした。
 2階のメインフロアの一角に、バルビゾン派の巨匠ミレーの絵画が何枚も掛かっているのですが、中には「種をまく人」のような有名なものもあり、ほとんど人気のない中で思う存分鑑賞することができるのです。私の自宅は上野に近いので、国立博物館、東京都美術館、西洋美術館などに歩いて行けるのですが、これらの場所ではいつも人々の背中越しに作品を見ることになるのですが、ここ「山梨美術館」ではまるで貸し切り状態なのです。私はミレーの「種をまく人」や最初の妻の「ポリーヌの肖像」よりも、光をうまく取り入れた作品である「夕暮れに羊を連れ帰る羊使い」の方がいいと思いました。また、昨年の4月に来た時に展示されていた「落ち穂拾い」が今回はなかったのが残念でした。
 ミレー以外のバルビゾン派の巨匠であるトロワイヨン、ルソー、ドービニーなどの絵画も沢山あり、本当に見ごたえのあるものでした。途中で休憩しながら、2時間ほどかけてこれらの絵画を満喫し、売店でカタログ(2,300円)等を購入し、次に同じ敷地内にある「文学館」で山梨県に所縁のある作家の作品(絵画ではない)をざっと見た後、そこの喫茶店でコーヒーを飲み、暫く休憩しました。11時半頃に、美術館に来る途中で見た「クリスタルミュージアム」に徒歩で向かったのですが、車で通った時は近いと思ったのに歩くと結構ありました。でも、そのおかげで、途中に有名なほうとうの店「小作」があることに気が付き、ここで昼食を食べることにしました。「クリスタルミュージアム」では、ミュージアムには入らず、売店の見学に止めました。家内はここでイアリングを購入していました。
 12時過ぎに「小作」に入り、カボチャほうとうのキノコ入りという軽いほうとう(一人1,600円)を注文しました。でも出て来たのは大量のほうとうにカボチャやキノコ、里いも等の大きな塊の入ったものだったので、二人とも食べるのに往生しました。お腹がパンパンになって、美術館に戻り、コインロッカーから荷物を取り出して少し休憩をし、美術館の前にあるタクシーの営業所からタクシーで・・・20分以上待たされましたが・・・甲府駅に向かいました。
 甲府駅からは、予定通り3時3分発の「あずさ20号」で新宿に向かい、新宿駅には4時半頃に到着しました。今回の旅行は以上のように無事に終わりましたが、天候にも恵まれ、内容も充実したもので、大満足でした。

以上

☆八束さんの過去の投稿は、旧ページをご覧ください。