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2018年11月15日(日)
 白門43会卒業50周年記念クルーズに参加して

 豪華客船ダイアモンドプリンセス号での横浜港―釜山―四日市―横浜を巡る2018年10月31日から11月5日までの6日間のクルーズです。本船は115,000トン、乗客定員2,700人、乗組員数1.000人で16階までの高さのある大型船です。乗客は日本人がほとんどの様です。行きは九州を回って釜山に入り、帰りは関門海峡を経て、四国沖から紀伊半島を通り四日市へ寄港し横浜へ戻るという航路です。船が大きいので航海中の揺れはあまり感じられません。
 今年の白門43会行事中のハイライトであるクルージングの参加者は、ご夫婦、ご家族、個人の参加者合わせて25名でした。私は個人で参加し海側バルコニー付きの二人相部屋を希望しました。
 クルーズ旅行は初めてで出発前は相部屋の方はどういう方なのか気になりました。横浜港大さん橋で12時半頃チェックインし、龍門会長より同室の横山さんを紹介されました。とてもフレンドリーな方で直ぐにお互い打ち解けました。
 チェックイン後クルーズカードをもらい、二人で10階の海側バルコニー付き部屋に入室し荷物を置き身軽な服装に着替えました。荷物は下船時までそのままなので、荷持整理の煩わしさから解放され気が楽になりました。部屋はホテルのツインルームと同じ感じがしました。海側でバルコニーが付いているので解放感が有ります。部屋のベッドに横になり海を見渡せる雰囲気は、非常に快適です。
 横浜を10月31日17時に出港してから、11月2日14時に釜山到着までのクルージング中は朝・昼・晩の食事をはじめ船内での色々なエンターテーメントを楽しみました。
夕食後のプリンセスシアターでのショーは素晴らしく、船内に劇場があるという感じで 東京でショーを観ているのと変わりません。
 釜山は韓国第二の都市です。船から見ると、海沿いの狭い土地に高層ビルが立ち並んでいました。ガイドさんの説明によると、来年には100階建てのアパートが建つとのことです。韓国ではアパートと言うと日本での高級タワーマンションのことだそうです。APECハウスを散策、釜山タワー、鮮魚マーケットを巡り夕食にはカルビー焼肉と冷麺を食べました。冷麺は歯応えがありとても美味でした。鮮魚マーケットで売られているイカ、タチウオ等様々な種類の魚貝類はその日に水揚げされたもので新鮮そのものでした。
 釜山を2日夜出港し、3日の朝に関門海峡に到着しました。関門海峡を船で渡ることなど勿論初めてなので、バルコニーに出て周辺の景色を眺めました。船旅でなければこの様な経験はできないでしょう。関門海峡から四国、紀伊半島を通過し4日朝に四日市に到着。入国手続きを済ませ観光バスで松坂に向かいました。豪商の城下町松坂を散策。松坂城址公園、本居宣長記念館を訪問。松坂城址は他の城址跡と違って石垣が多く残っており本当の意味の城跡の実感がしました。本居宣長記念館では映像による本居宣長の人物紹介があり、どんな人物であったかがよく分かりました。彼は子供のころから家の前を通る人をよく観察していたそうです。医者であり国学者でもある宣長は江戸の著名な国学者である賀茂真淵の指導を受け35年を費やし古事記伝を著した人です。17歳の時に作成した日本地図が記念館に展示されており興味を引きました。昼は松坂市内で松坂牛のすき焼きを食べ、夕方に本船に戻りました。
 本船は17時に出港し5日の朝に横浜に戻ります。最後の晩の為、早めに夕食を済ませて、プリンセスシアターでの前列中央部の席を確保し音楽とダンスを楽しみました。良い席でしたので、オーケストラの伴奏している人達、シンガー、ダンサーの顔がはっきり見えました。彼らのパーフォーマンスは圧巻でした。毎晩催し物が変わります。前日のショーのエンターテナーはオーストラリアでストリートパフォーマンスをやっていた若者がロックバイオリニストとして出演をしていました。
 今回のクルージングでは龍門会長のアレンジで、毎回ディナーテーブルには参加者同士で親睦が図れるよう席順が組まれており、同室者の横山さんとは勿論のこと、初めて会う方、或は以前お目にかかった方とクルージングの楽しさを共有し、親交を深めることができたことは非常に有意義で忘れられない思い出になりました。
  クルージング中お世話頂いた龍門会長・島田さん、本当にありがとうございました。

【花井 文雄】


クルージングは初体験であり、大変楽しかったです。企画していただき、行き届いたお世話をしてくださった龍門会長に、心からの御礼を申し上げます。
 企画をお聞きした当初は、以前三宅島に約24時間の船旅をしたときの経験から、退屈でしょうがないのではないかと心配しましたが、たとえそうであっても他ならない四三会の企画だから参加することにしました。
 準備に、下着や着衣の着替えを揃え、これを詰めるためのキャリヤ-を買うべく嫁に量販店への同行を頼み、再利用の場合に飛行機にも積める大きさのものを選んで買い、必要と思われる品物を詰めたら、重い。横浜港まで運ぶことを考えたら、大変だなーと感じた。船内の過ごし方は全く分からないから、楽しみと感じるより、不安いっぱいでした。
 結果は、用意された寝室が窓際でも狭いながら庭になるくらいのスペースが扉の外にある部屋で圧迫感はなく落ち着けたし、食事もおいしく、楽しめるエベントもあり、会長の部屋での飲み会では、知らなかった参加者の個性を感じることも出来る楽しいものでした。
 同居する息子夫婦と孫にも体験させてあげたいと強く思っています。

【山本 剛嗣】


  最初に大きくて立派な船に、驚きの表情を隠し切れませんでした。
 出発前に、孫から「どこの国の船?」と聞かれたので「イギリスよ」と答えたところ「タイタニックと同じね」と言われ、ちょっぴり不安が脳裏をふと通り過ぎました。
 ところが船を見た瞬間あまりの大きさに、巨大な大きなサメが空から舞い降りてきたような気分になり、それが安心感と変わっていきました。
 バルコニーから久しぶりに海を見ましたが、水平線をじっと見ていると、何にもなくて心がふわふわと漂い、吸い込まれそうな気分になりました。
 又秋の日差しを浴びてキラキラした海面に、心を奪われそうにもなりました。
 関門海峡クルージングでは、下関市と北九州市両岸の陸地が迫りくる景色や、関門橋を通過する瞬間の船のスピードにも驚かされました。
 船内の食事は豪華で、毎日「明日は何を食べようか」それが悩みという何とも贅沢な「一生あり得ない時間」も過ごしました。
 驚きと夢のような時間を過ごしたクルージングでした。
 又、楽しい思い出のページが増えました。

【菊池 まき子】


 私たちの楽しみは、まず食べ終わると次は何を食べるかを考えて過ごしました。
 ピザもハンバーガーも食べ終わり、本当においしかったのでスタッフに伝えたところ、ダイアモンドプリンセスは数ある船会社の中でも評判がよく、和食中華などを取り入れるのをやめて、洋食だけに力を注いだのが良かったのだろうとの事でした。
 人もあれもこれも手を出すのでなく、得意分野に絞ることは必要なのかも知れません。
 はじめは時間をどう過ごすかを心配していた私も、楽しく時は過ぎてゆき、船の行事に参加してみました。
 クイズ大会、ダンスなど船内の行事が用意されており、任意で参加できるので時間もあっと言う間に過ぎました。
 船旅の贅沢さは時間に縛られない日常と違うところにあると思います。

【中里 圭井子】


2018年10月7日(日)
 第27回ホームカミングデーに参加して

この日、中大多摩キャンパスで第27回“ホームカミングデー”が開催されました。今回は、卒業50年を迎えた学員は懇親会に無料で招待きれるというので、43会では新規会員の獲得の絶好の機会として多くの役員を参加させることにしていました。中大ネットワーク課からの情報では、参加予定者が例年の倍の3百人を超えているとの経過報告もあり、役員一同張り切って9時半に式典会場である“クレセントホール”に集合しました。

 当日の天気は、台風25号の余波でやや気温が高いものの快晴でした。台東区民である私は、早すぎると思いましたが6時45分に家を出て東京駅に向かい、幸運にも高尾行の「中央快速」に座れ、あとは立川駅までの40分ほどを資料などに目を通しながら過ごそうとしていたところ、市ヶ谷あたりで、「新宿駅構内で人が線路に立ち入った」というアナウンスが流れ、16分も停車してしまいました。結局、立川駅到着は8時過ぎで、ここから多摩モノレールに乗り換えましたが、運動会に参加するような恰好の高校生の大群と一緒になり、車内は満員となりました。でも、次の柴崎駅で高校生の大群が全員降りてしまい、丁度私の前の席が空いたので、「中央大学・明星大学駅」まで着席できました。中大の入口にたどり着いた時は9時を過ぎていました。“クレセントホール”は大学の入口から遥か遠い位置にあり、速足でも数分かかりました。ここで幹事長と合流し、その後集まった43全役員と「43会の旗」3本を組み立てたり、朝礼を行ってその後の式典参加や受付応援者の確認などを行いました。

 10時からホールで“式典と音楽の祭典”が始まり卒業50年の学院員にはホールの中央の席が用意されていました。式典は、応援団の演技と指導の下、校歌斉唱から始まりました。普段は歌わない3番まで歌うことになっていたので焦りましたが、歌詞がスクリーンに映し出されていたので何とか歌えました。

 その後、理事長・総長・学長′・学員会長の挨拶があり、続いて親子3代4組の表彰(1組は親子4代)、音楽の祭典として付属横浜中学・高校の女生徒20名による合唱が披露されました。予定では11時半までこれらが続き、その後に記念撮影があるのですが、私と5名の役員はこの後の懇親会の受付の手伝い担当だったので、11時にホールを抜けて、懇親会が行われる“ヒルトップ”4階に向かいました。懇親会場入口には、受付テーブルが数台置かれ、ネットワーク課の女性が3~4人ほどで首にかける形の名札を並べていました。出席の返信ハガキを出した学員とその家族313名の名札が“あいうえお順”に束ねられており、これを各テーブルに並べるのです。我々6名は、まずはこれらの作業を手伝いました。懇親会場については、席は決まっていないので、とりあえず43会役員用に入口に近いテーブル2列を確保しました。各席には、式次第と出席者名簿(学員のみで273名)、43会が用意した「自門43会への入会のお勧め」という用紙、そしてこの日のお土産(43会役員の高橋さんの「みりん堂」の煎餅)が置いてありました。
 出席者は初めはポッポッでしたが、この日は我々以外の年次の学員も多く集まっており、これらの学員が我々の懇親会に迷い混んで来るので、これをお断りするのが大変でした。12時頃になると記念撮影を終えた大勢の仲間が押し寄せ、手伝いの我々は名前を聞いて該当するテーブルに案内する作業で大忙しになりました。懇親会は予定より15分ほど遅れてスタートし、運営委員長、理事長・学長・学員会長の挨拶の後に、タンゴ楽団の生演奏の中、和やかに懇親が進行しました。313名分用意されていた席はほぼ満席で、親しい仲間同士や家族などが集まって大いに盛り上がっていました。各テーブルには、チーズや揚げ物などのつまみとともに、ビール、シャンパン、日本酒が置かれており、これらを食べ・飲みながらの懇親でしたが、中でも人気があったのが「すしざんまい」の出張握り寿司で、小さな皿にトロ・ウニなど4貫が乗ったものなのですが、窓口には50名以上の列ができるほどでした。私は並ぶのは諦めて酒を飲んでいましたが、同じテーブルの女性役員が苦労してGETしてきた寿司を1貫づつ分けてくれたのでこれを頂いたところ、やはり握りたてだけあってとても美味しく感じました。

 私の座った席には、龍門会長以下多くの役員、古参の会員などが集まっていたので、最近足が遠のいていた古い43会会員などが次々にやって来て会話が弾みました。また、私が他のテーブルを回ってみると、43会の各役員が同じクラスの仲間とか親しい仲間と盛り上がっており、その中に入って行くと役員から「この人が入会を希望している」という声が上がるので、すかさず用意した「自門43会 入会希望者」という用紙に名前や住所・連絡先などを記入してもらいました。
 懇親会はその後、応援団の演技、中締めとして龍門会長の挨拶が続きました。龍門会長は挨拶の中で、43会の紹介と入会に関心のある人はこの懇親会場に残って役員の話を聞いて欲しいと伝えました。懇親会は1時15分頃に終了しましたが、43全会員と20名弱の学員が集まって残りの酒を飲みながら会話が弾んでいました。私の予定では、入会に関心のある人を集めて、予め配っておいた「自門43会への入会のお勧め」の説明と勧誘を行うつもりでしたが、酒が入っている上に話が盛り上がっていてとてもそのような雰囲気ではありませんでした。

 そこでもう1度席を回って「自門43会 入会希望者」の配布と回収を行いました。回収できた用紙は7枚で、目標にしていた10枚を下回ってしまいましたが、私が勧誘した学員の中には、“松本の白門会に入っているので無理”という人もいて、我々の年になって何処の団体にも属さないで暇のある人は少ないということがよくわかりました。回取できた用紙は幹事長に渡し、改めて正式な「入会申込書」と2千円の年会費を振込んでもらうための郵便局の「振込取扱票」などを発送してもらうことにしました。

 3時過ぎに延長懇親会もお開きとなり、10名ほどの43会の仲間で「聖蹟桜ケ丘駅」付近で打ち上げということになりました。モノレールに向かう途中で龍門会長が42会の元会長と偶然に会い、42会のメンバーが「聖蹟桜ケ丘駅」のそば屋で打ち上げをするというので、我々もー緒にやろうということになりました。こうして聖蹟桜ケ丘のそば屋「増田屋」は、42会会員15~16名と我々43会の10名で満員となり、これらの酔っぱらいがてんでに「酒だ」「つまみだ」というので、店員は大忙しでした。

 この日の、43会にとって特別な節目である“ホームカミングデー”は、このように進行し、このように終わりました。43会の各メンバーは実によく働き、多くの仲間と親交を深め、美味しい酒を飲み、そして最後は千鳥足で遠い家路に向かいました。本当にお疲れ様でした。
以上

【八束 一郎】


2018年10月7日(日)
 50周年ホームカミングデー

 台風25号の予報にもかかわらず、秋晴れの夏日を思わせる良い天気の下、我が母校でホームカミングデーが催されました。
 43年卒業の私たちにとって、今年は卒業50周年を迎える記念すべき年に当たります。
 多摩キャンパスは、広々とした自然に囲まれた良い環境にありますが、何しろ遠い。私の住む千葉(柏)からは3時間もかかる。
 私たちはモノレール駅から一番奥にある9号館のクレセントホールに9時半に集合した。

そこで、威勢のいい応援団の実演、大村理事長、酒井総長、福原学長、久野会長から挨拶があった。これからの本校のあり方(2学部の新設、スポーツの育成、現在の就職状況などを話された)
 次は中大ファミリーの紹介があり、4組が表彰された。

 そのあとは、白門音楽会が催され、最初は、横浜中学・高校合唱部で次の曲目を歌う制服姿の女子たちの新鮮で素朴な歌声が流れた。

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*やって見よう
*やさしさに包まれたなら
*Hello my friends
*未来へ
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 2番目は、白門グリークラブで平均年齢が75歳と私たちに近い年齢の男性で、ポピュラーで馴染みの深い曲目を熱唱。
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*オーラリー
*最上川舟唄
*岬めぐり
*お嫁においで
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3番目は混声合唱こだま会で大学の男女学生によるものか、選曲も良く、なかでも「となりのトトロ」で男女別にはもる所が良かった。

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*となりのトトロ
*こころよ、歌え
*ルパン3世のテーマ
*見上げてごらん夜空の星を
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最後は合同演奏で、「川の流れのように」を全員で歌い、締めくくったのがとても良かった。




 お昼前には昼食会場へ移動、13時過ぎまで大学側から支給された飲み物やおつまみ、他にもカウンターに並べば美味しいお寿司のふるまいもあり、また卓上にはみりん堂製の中央大学の版を押した手焼きせんべいがお土産に置かれていました。あちこちで皆おしゃべりを楽しみ久しぶりに会った友人とも絆を深めたようでした。会場には、古賀さん率いる音楽仲間がタンゴ曲を中心としたミュージックを奏で、会場の雰囲気を和ませた。

 私がそこで垣間見たのが、会場移動時にはぐれた年配の友人を一生懸命探して心配していた友や、最近○○さんが来ないので病気でないと良いのですが・・・と友を気ずかう声を耳にしました。また、演奏で食事のできなかった楽団の人の事を心配してカウンターにお願いに行き、少しでも食事を確保してあげようとしたり、ご自分の食事も後回しにして、着物を着ておられるのにかいがいしく皆さんを接待されている姿はいつも目にとまります。

 70歳をドンドン過ぎていく今、病気になったり、体力や足腰が弱ってくるこれからは、友人に対する思いやりこそが同窓会の真髄(あるべき姿)と感じました。

【宮本 常子】


2018年7月6日(水)
卒業50周年・白門43会定時総会

 2018年7月6日(金)上野清養軒の桜の間で白門43会の第24回定時総会が開催されました。 あいにくの雨の中でしたが、来賓5名、講演者1名を含む90名が参加しました。

(定時総会)
 1時30分、司会者山本幹事の発声により総会が開始されました。
 龍門会長の挨拶後、事業報告を清水幹事長、収支決算報告を立岩会計幹事が説明し、芝木監査の監査報告の後会場の承認を得ました。その後、事業計画を清水幹事長、収支予算案を立岩会計幹事が説明し、会場の承認を得ました。最後に、役員選任議案が提案され、星野則昭氏の幹事就任が承認されました。
 次いで龍門会長から現在の43会の財務状況について「財政検討委員会」を立ち上げて分析した結果多くの無駄な赤字を生んでいる通信費を何とかすべききという結論に達したこと、改善案として43会からの連絡に対して回答の無い会員にはその後の連絡を制限すること、新たに通信費を徴収することを考えていることなどの説明がありました。また、年次同窓会の中では一番早く採り入れた「ホームページ」について、アンケートをとった結果、回答のあった約半数の会員のうち、「ホームページ」を見ていると答えたのが約半数だったことが報告されました。そのため、「ホームページ検討委員会」を立ち上げて、外部の業者も入れて見直しを進めていることが報告されました。この二つの検討会の検討結果は、来年 の総会に提案するとのことでした。

(講演会)
 2時20分から講演会となり、まずは小塚副会長から講師紹介がありました。中大駅伝監督の藤原正和講師の現役時代の活躍ぶり(2001年の箱根駅伝での往路優勝や、いまだに破られていない琵琶湖毎日マラソンの記録等)を披露するなど、素晴らしい紹介でした。
 演題は「中大駅伝部の現状とこれから」で、優秀な学生を確保するための苦労や、現代子である彼らとの接し方など興味深いものでした。講演後の質疑応答の時間に、龍門会長を含めて5人が質問をしたのですが、藤原督の答えは終始、現在の勝ち負け・記録更新などにはこだわらず、あくまで大学における教育の一環としてこれを位置づけているので、長い目で見守っていて欲しいとのことでした。勝つために学生に悪質な反則をやらせるとか、パワハラで支配するような風潮の見えるスポーツ界にあって、藤原監督の清々しい考え方に会場は感動しました。最後に、2月の「卒業50周年を祝う会」の時に参加者から募った寄付金111、000円が、「激励金」として龍門会長から藤原監督に手渡されました。

(懇親会)
 3時20分から、会場を隣の懇親会会場に移し、まずは記念撮影をしました。90名となると4列に並ばなければなりません。でも、2月の「卒業50周年を祝う会」の時に一度経験していたので撮影はスムーズに進行しました。
 3時40分に、清家副会長の司会により懇親会が始まりました。まずは恒例である小塚副会長の力強い指導による「校歌斉唱」があり、次いで龍門会長の挨拶、来賓の挨拶と続きました。大学の常任理事の山中氏からは、中大が申請していた「国際経営学部」「国際情報学部」の新設が6月末に認められたことが披露されました。学員会の久野会長からは、50年前の「大洋漁業」社員の頃に南極に3回、北極に7回行ったとの話がありました。その他の来賓は、42年白門会の小島幹事長代理、白門44会の吉永会長、学員会事務局長の土方氏でした。
 次に感謝状贈呈式があり、役員以外でこの10年間に定時総会に皆勤された、飯島泉司氏と熊木將二氏に龍門会長から感謝状と副賞(みりん堂のおせんべい)が渡されました。
 次は待ちに待った乾杯です。来年4月23日~25日に予定されている春の旅行会(岡山、直島等)の案内役の岡山の会員高橋良洋氏が簡単な旅行の概要を説明した後に乾杯の音頭をとりました。乾杯の後は司会者から初参加者や久しぶりの参加者の紹介がありました。古い会員が少しづつ減っていく中、新規参加者が何人かいるということはありがたいことでした。
 その後は、9つのテーブルで美味しい料理を食べ、お酒を飲みながら楽しい歓談となりました。余談ですが、講演された藤原監督はとても37歳には見えない若々しいイケメソで、懇親会では藤原監督の席に43会の女性会員が群がって話しかけたり、盛んに写真撮影したりしていました。
 5時頃から、アトラクションとして古賀幹事の率いる「八重洲オッターバ」の皆さんによる、中大の古い歌(伊豆逍遥歌、中大健児の歌など)演奏がありました。皆懐かしい曲で、「神田節」の時には大勢が前に出て肩を組んで合唱しました。
 5時30分になると、会場の全員が肩を組んで巨大な円を作り、先ほど幹事に選任された星野氏の指導の下、「惜別の歌」を歌いました。
 その後、八束副会長から「二次会の案内」があり、御徒町駅近くの「吉池」に24席予約してあること、役員が現地まで案内すること、会費は4、000円であること等が伝えられました。
 最後は清水幹事長による「閉会の辞」で、いつもの絶妙なトークに会場からは笑いが絶えませんでした。こうして第24回定時総会は無事にお開きとなりました。随分前から周到な準備を進め、当日は11時頃から精養軒に来て会場や受付の設営、配布資料の袋詰めなどを行い、また総会司会者、懇親会司会者などを務めた多くの役員のチームワークと努力の結果によっての成功だったと思います。役員の皆様、本当にお疲れ様でした。

感謝状を頂いて
 飯島 泉司  2018年7月11日
 私は亡き友に勧められて自門43会に入会したのですが、早いものであれから10年が経過しました。今回の総会で、43会にお世話になりっぱなしの私が思いもかけず感謝状を頂くことになり、恐縮するばかりです。感謝状を頂いた直後に“簡単な挨拶を”と言われましたが、大変緊張していた私は考えがまとまらず、何を言ったのか覚えていない始末です。
 感謝状を頂いた理由が、最近10年間の43会の総会に皆勤したとのことでしたが、学生時代に授業に皆勤していたら、私の人生も変わっていただろうとも思いました。
 現在は、43会の役員のおかげで、総会や旅行会などのも参加して、優しい会員の皆様とともに楽しく人生を送らせていただいております。これからも楽しい企画をよろしくお願いいたします。  

 熊木 將二   2018年7月21日    
 43会の総会におきまして表彰の栄に浴しましたこと、大変ありがたく厚く御礼申し上げます。受賞直後の挨拶で申し上げた通り、私は現在、中学校及び高校の同窓会において、クラス幹事、学年幹事を兼任し、更に高校全学同窓会の評議員も務めています。この同窓会は、都立高校では最古の140年の歴史を誇っており、私ほその運営に日夜身の細る思いで務めている次第です。俗に〟継続とは力なりガと申しますが、それには大変な努力を要することを痛感しています。
 こうした事情で私としては、白門43会の運営に携わる余裕がなく、せめて総会にだけは、と出席していたところ、図らずも今回の感謝状ということになった次第です。
 現在の私の同窓会活動の経験からも、白門43会の役員の皆様のご尽力はよく理解できますし、行き届いたご配慮等にはいつも感謝しています。今後ともできる限り出席するつもりですので、引き続きよろしくお願いいたします。

(二次会)
 二次会参加者は24名で、幸い雨があがったので、役員達の案内で会場に向かい、9階のスカイラウンジのような特等席で美味しい刺身等を食べ、美味しいお酒を飲んで大いに歓談しました。ここでのお開きは8時30分でした。

【八束一郎】


2018年5月吉日
報告:卒業50周年を祝う会に参加された会員各位様

 平成30年2月17日(土)上野東天紅にて開催の「卒業50周年を祝う会」に多くの会員の皆様にご参加を頂きましたことに、心より感謝いたします。

その「卒業50周年を祝う会」会場にて、「白門飛躍募金」であるChuo Vision 2025募金―スポーツ振興事業―に関して、出席の皆様に募金の呼び掛けをしましたところ、¥111.282.-の募金が集まりました。
 誠に有難うございました。

この募金は、中大陸上競技部の活動資金として、来たる平成30年7月6日(金)精養軒で開催される「卒業50周年記念総会」時の講演者予定である「中央大学 陸上競技部 駅伝監督 藤原 正和さん」に、当日会場にてお渡しする予定です。

 大変遅くなりましたが、これをもって募金いただいた会員各位への報告とさせて頂きます。

平成30年 5月吉日
白門43会 会長 龍門 海行
役員  一 同


2018年2月17日
 卒業50周年記念祝賀会

 平成30年2月17日、今年は例年にないくらい寒く雪の舞う日もありましたが、2月17日は「43会の50周年」を祝ってくれるかのような晴れ渡った天候に恵まれ、遠方からご出席下さった会員の皆様方にも良き日となりました。
 東天紅3階「鳳凰の間」に集まった仲間は皆お元気そうで70歳を過ぎているとは思えない感じがしました。沢山の御来賓の皆様を招待、学員会より2名、私達43会の先輩や後輩(40会~45会迄)約10名の方がご出席下さり、全員で100名を超える107名の出席となる大盛況でした。
 遠くからご参加下さった方の紹介―青森旅行の際お世話になった石橋様、総会や新年会によく出席下さる広島からの高田様、大阪の同窓会で活躍の西村様、兵庫県より高橋努様―などが呼び上げられました。西村様と高橋様は、東京の会社に勤務時、幹事としてご活躍下さいました。
 50周年記念祝賀会は、例年にない特別企画でスライドを準備、会員が在学していた頃の御茶ノ水と水道橋の校舎が映し出され、皆さんなつかしさが蘇ったことでしょう。
 また、ゼミやクラブ活動の写真もあり、その横には、その頃起きた社会の出来事が文字で次々と現れ、当時を忍ぶグッドチャンスとなりました。成績の良かった頃の箱根駅伝のDVDも上映。また、卒業アルバムがサイドの机の上に置かれ、いつでも見られる状態に・・・。
 今日の50周年新年会は、記念写真撮影が終わった後、名前の貼られた各テーブルに着席。
 校歌で始まり、スライドで当時を思いだし、中大応援団の演奏と演技が「集い」を盛り上げ、寄付金箱が回ったり、校章印の押された煎餅がお土産になったりと、ユニーク企画で、最後は「惜別の歌」で終わった友好的で楽しいひと時でした。

【宮本 常子】

2018年2月17日
 白門43会 卒業50周年を祝う会


 この日は気温がやや低かったものの快晴で、自門43会の「卒業50周年を祝う会」に相応しい素晴らしい日よりでした。準備を担当する各役員は予定通り9時30分までに、上野池之端の「東天紅」3階の「鳳凰の間」に集まりました。9時30分に清水幹事長による朝礼があり、状況の変化についての説明などがあり、次いで各担当に分かれて準備作業に入りました。受付テーブル周辺には荷物が山積みになっており、これらを開梱し、手分けして袋詰めするのです。中身は、大学から送られてきた資料(大学広報誌、学員時報、中大スポーツ新聞など)、今回のために43会が大学広報室の協力の下に作成した「卒業50周年記念」という懐かしい昔の校舎や自門祭・体育祭・卒業式などの写真、昔のお茶の水周辺の写真などが掲載せれているÅ4判のパンフレットそして43会幹事の高橋氏の店「みりん堂」のおせんべいが入った箱です。中身のおせんべいも「白門43会」と大学の校章の焼き印が押してある特注オリジナル品です。これらを中大の大型手提げ袋に入れ、会場内の出席者の椅子の上に置いていくのです。この日の出席者予定者は117名でしたのでその分を詰める作業は10名以上で40分以上かかりました。
 また別の担当は、「白門43会」の旗4本を組み立てる作業に取り掛かっていました。この作業も慣れていない人には難しいので、経験のある総務委員を中心に4人が担当しました。
 更に、記念写真撮影会場の設営に入りましたが、117名を並べるには大変な工夫が必要でした。一番前は椅子を並べて真ん中に会長、その左右に理事長、学員会長に座ってもらい、その他のご来賓8名にはその左右に座ってもらうことにして、その後ろに女性参加者に立ってもらうのですが、それでも50名ほどにしかなりません。後ろの壇上に60名を立たせても顔が見えない参加者が出るということで、清家副会長の提案で急速壇上最後列と壇の下左右にも椅子を並べ、その上に立ってもらうことにしました。
 その他、受付担当役員は、受付者リストと領収書の用意、名札をあいうえお将にテーブル上に並べるとか、ご来賓に付ける赤い花のリボンの用意とかに取り掛かっていました。今回は会費が10,000円ということで、つり銭が不要なので多少は楽のようでした。

○クルーズ旅行説明会
 予定では、10時から45分かけて行うということで、担当の島田氏と旅行業者2名が受け入れと機材の設置などの準備を進めていました。ところがなかなか人数が集まらず、手の空いた役員にも参加してもらい、10分遅れで開始しました。参加者は20名程度でした。

○記念撮影

 11時20分頃に矢崎司会者から撮影会場が隣の部屋になったことを放送してもらい、11時28分頃に移動のお願いの放送を流して出席者を隣の会場に案内しました。
 まずは、ご来賓席以外に出席者を並べ、椅子の上に立ってもらう人を指名するという作業が続き、ある程度出来上ったところで会長がご来賓を案内してきて着席してもらいました。ここで問題となったのは、学員会会長がまだ到着していないということでした。学員会副会長の正野氏や事務局課長の小林さんが心配してあちこちに確認した結果、会場を上野精養軒と間違えてしまい、慌ててこちらに向かったということがわかりました。既に、全員が撮影の体制を整えており、これ以上は待てないと判断し、龍門会長の隣には小林課長に座ってもらい撮影を開始しました。メインは清水幹事長のカメラでしたが、その他にも自分のカメラを使って撮影して欲しいという出席者が数名おり、東天紅の従業員に次々にカメラを変えて撮影をお願いしているうちに久野会長が到着し、あらためて記念撮影をすることになりました。
 こうした騒ぎで10分で終える予定だった記念撮影は早めにスタートしたにもかかわらず、15分以上かかってしまいました。

〇「卒業50周年を祝う会」の開会
 11時45分、司会の矢崎副会長が開会宣言を行い、次いで応援団OBの小塚副会長の指導の下に、校歌斉唱となりました。小塚副会長には毎回お願いしている校歌斉唱とエールですが、いつもより3割ほど多い参加者を前にして、一段と力強い内容になっていると思いました。
 その後、龍門会長の挨拶、ご来賓の紹介そしてご来賓の挨拶と続きました。トップの大村理事長は、今年の中大の応募者数が2割増しだったというニュースの他に、現在の6学部を近い将来9学部に増やすという経営計画などを7分以上かけて話されました。2番手は久野学員会会長で、昭和33年に中大を卒業した時の話、その後大洋漁業に就職して南極に行った話などを6分以上かけて話されました。次いで40年・41年・42年の3白門会を代表して40年会の佐々木支部長から祝辞をいただきました。最後は、44年・45年の2自門会を代表して44年会の吉永支部長が祝辞を述べられました。来年に50周年を迎える44会は2人の役員を出席させて、当会の成り行きを熱心に観察されているようでした。
 46会の支部長は、この日の予定を失念したとのことで、ドタキヤンでした。中大の酒井総長・学長はドタキヤンではないのですが3日ほど前に急に欠席すると連絡がありました。忙しい人だということは十分にわかるのですが、代理人も寄越さないという点は残念でした。
 この後は、12時15分から15分間かけて、「思い出のスライド写真」の放映をしました。懐かしい昔の枚舎や周辺の建物、卒業アルバムや大学の広報室の資料から抜粋した写真や43会会員から集めた昔の写真などが次々に映し出され、我々役員は編集時に何回か見ていたのでそれほど感じませんでしたが、初めて見る出席者はいかにも懐かしいという感じでスクリーンを食い入るように見ていました。

○憩親会
 12時40分、スライドの上映が終わり、いよいよ懇親会に入りました。青森県むつ市から出席した石橋氏による乾杯の音頭でスタートしました。そして出席者は各テーブルに運ばれて来た東天紅の料理を食べながら歓談を開始しました。
 1時に、「箱根駅伝のDVD」が放映され、小塚副会長が解説を行いました。最近の中大は予選を経てからの出場とか、出ても順位が振るわないという状態ですが、このDVDは22年前に早大に逆転して優勝した時のものでした。前半は早大のトップの場面が続き、会場からは「何だ、早稲田ばっかりだ」というような声も飛びました。でもこれは後半の逆転を目立たせるための編集で、中大が早大を捉え、圧倒的な差をつけてテープを切ると会場からは思わず拍手が起こり、笑顔が満ち溢れました。何時間にもおよぶフイルムを苦労して15分に締めるという根のいる作業を担当した高橋氏のご苦労には感謝感謝です。また、後半に解説で会場を盛り上げてくれた小塚副会長も本当にお疲れさまでした。
 「箱根駅伝のDVD」の上映後、龍門会長から「箱根駅伝の強化ということも含めて、大学のスポーツ振興事業基金に寄付を募りたい。これから各テーブルに役員が回るのでよろしく」という発声があり、龍門会長と相澤副会長、清家副会長と吉田氏、原氏と八束が募金箱を持って各テーブルを回って募金をお願いしたところ、なんと総額で11万円を超える募金が集まりました。
 この後は、「思い出のスライド写真・その2」が上映され、スライドに見入る人、久しぶりの友人との歓談に入る人、各テーブルを回って挨拶をする役員などが入り乱れる状況が続きました。

 予定から15分遅れて2時から、中大応援団18名による演技が始まりました。壇上には団長と10名のチアリーダー、壇の下に大太鼓を含むバンド7名が並び、小塚副会長の説明により次々に演技を披露してくれました。いずれも熱演で、小柄ながら迫力ある団長の動き、常に笑顔を絶やすことなく激しい踊りを見せてくれたチアリーダー達に会場は興奮に包まれました。この日の最大のイベントでしたが、その効果は予想を遥かに上回るものでした。この日の出席者の平均年齢は70歳を超えていたはずですが、若い人達の元気な動きを間近で見ることができ、寿命が何年も伸びたことと思います。応援団の皆様に感謝感謝です。
 応援団の演技により会場の興奮が高まったところで、そろそろお開きの時間が迫ってきました。2時15分、星野氏の指導の下で「惜別の歌」の斉唱が行われました。会場の100名以上が全員で肩を組ん で輪になり、画面に映し出される歌詞を見ながら懐かしい歌を3番まで歌いました。会場には先ほどとは打って変わってしんみりとした雰囲気が漂い、皆、目頭を熱くしながら大きな声を上げて歌っていま した。このような形で輪を組んで「北国の春」や「惜別の歌」を歌うのは43会の恒例なのですが、これだけの大人数で輪を組むのは初めてで、圧巻でした。
 この後、矢崎副会長から司会を交代した八束副会長から、お開きの後の二次会の案内がありました。二次会について、43会としてカラオケ会場、居酒屋会場でそれぞれ30席予約してあるので、希望者はお開きの後に会場出口付近に集まって欲しい。役員が店まで案内するが、費用は各自負担になるという内容でした。
 そして、最後の「閉会の辞」に入りました。清水幹事長が壇上に登り、いつものような絶妙なトークで会場の出席者の心を掴みました。これは清水氏特有の業で、誰にも真似ができないものです。問題は後になってどのような話だったのか思い出せないことがある点です。この時の詰も、名前の「正」と「但し」をひっかけたダジャレが何回かあったということしか覚えていません。忘れた原因は二次会・三次会で飲んだ酒のせいかも知れませんが、清水幹事長ごめんなさい。
 かくして、長期間に亘って準備を進めてきた「卒業50周年を祝う会」も無事に終了しました。始まればあっという間のことで、終わったという満足感がありました。出席者から色々な言葉をいただきましたが、「とてもよかった」「感動して涙ぐんでしまった」「懐かしい校舎や風景を思い出せてよかった」などという喜びのものばかりで、あとは「よくあれだけのものを集めましたね」「これらの準備に大変だったでしょう」というような励まし・称賛でした。今回のイベントが成功したとすれば、それは会長・幹事長の統率の下、多くの役員がそれぞれの立場から与えられた役目を十分に果たしたからだと思いました。

○二次会
 惜別の歌の後に案内した通り、希望者を引率して二次会の店に行きました。カラオケ組は、富田・相澤・清家・芝木の4役員が引率して京成上野駅の裏の「パセラ上野公園前店」に、居酒屋組は後澤・八束・吉田・金井の4役員が引率して「上野市場本店」に徒歩で向かいました。居酒屋組は当面17名でしたが、遅れて加わる会員もおり、最終的には20名を超えていたと思います。龍門会長、清水幹事長も遅れて加わりました。また今回の映像・音楽関係を担当してくれた平方さんも来てくれました。そして5時30分の解散までの2時間半を和気あいあいのうちに過ごしました。上野市場での注文・会計は“居酒屋”のプロである金井幹事が見事にやってのけ、最後は居酒屋組の責任者の後澤副会長の締めで終わりました。
 カラオケ組については、最初人教が集まらないと聞いていましたが、その後ほどうなったかわかりません。43会にはカラオケ同好会があり、プロ級の歌手が大勢いるので、きっと楽しくやったものと推測します。
 今回の「卒業50周年を祝う会」は、43会にとっておそらく最後のそして最大のイベントでした。卒業後50年間もよく生きて来たなあという思いと、この思いを100名以上の仲間と分かち合うことができた幸運とを感じました。43会は今後も暫くは活発に活動していくと思いますが、この日が何かの節目だったということに間違いありません。今回のイベントを通じて、43会がいまだに勢いがあるのは、素晴らしい人材が揃っていること、そしてそれらの人材が気持ちよくそれぞれの能力を発揮していることだと思いました。

以上

【八束 一郎】


2019年の記事