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2020年11月25日(水)
 庄内歴史探訪と最上川下り(4)

小嶋庄太郎

【山形旅行(鶴岡市・酒田市)に参加して】
 新型コロナウイルス感染の状況から種々の集会が中止となるなか、実施されるかどうか心配された山形旅行は、山形県の感染者数が落ち着いている状況であることから、10月26日~28日(2泊3日)、地元参加者も含め24名で実施されました。天候にも恵まれた3日間で、思い出に残る楽しい旅行になりました。
 私は、43会の宿泊を伴う旅行には初めて参加させて頂きました。今回の旅行には多くの見学先等がありましたが、順次、日を追って印象に残ったところを書きたいと思います。

(第1日目)
 東京駅・銀の鈴7時30分集合でありましたが、定刻前には多くの参加者が来られていました。山形新幹線でワイワイやりながら3時間程で山形駅に到着しました。山形駅では地元幹事の小田治一さんの出迎えを受けて合流しました。 大型観光バスに乗り込み、最上川舟下りの乗船場・古口に向かいました。
 芭蕉の句「五月雨を あつめて早し 最上川」はあまりにも有名ですが、今回は両岸の山々の紅葉を楽しみながらの舟下りで、女性の船頭さんの軽妙な会話と参加者とのやりとりに大爆笑したり、船頭さんの最上川舟唄やフランス語訳の舟唄まであり、インバウンド客が増え、ここまで来ていることに驚きました。約1時間の舟下りで降舟場草薙に着きました。バスは酒田市に向かいました。庄内平野は風の強いところであり、途中で風力発電機の大きなプロペラが多く見られました。
 酒田市内観光では、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」で知られる酒田の豪商・本間家ゆかりの本間美術館と本間家旧本邸を見学しました。庭園「鶴舞園」は見応えがありました。「日本一の大地主」と言われたその財力の一端を垣間見たようです。
 次いで、NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台ともなった山居倉庫を見学しました。最近では吉永小百合のJR東日本のCMでも知られています。ケヤキ並木の紅葉と倉庫の黒壁のコントラストが何とも素晴らしかったです。明治時代の中期に米保管倉庫として建てられ、酒田の発展に寄与しましたが、100年以上経過した現在でもJAが一部農業用倉庫として使用しているとのことです。
 ホテル到着後に夕食・懇親会場の日本料理「銀のすゞ」へ移動しました。新鮮な海の幸・山の幸が盛り沢山なこと、それに地酒を中心に皆かなり頂きました。
 それにしても「真室川産コシヒカリ」のご飯は本当に美味しかったです。

(第2日目)
 ホテルを出発。バスが通るにはやや狭い道を通って南洲神社に到着しました。前夜の懇親会の席で、鹿児島出身の正野建樹さんより「戊辰戦争の状況と、その後の西郷隆盛と庄内藩菅実秀との関係」等について非常に詳しいお話をお聞きして事前学習が出来ていましたので、南洲神社を訪れた際も庄内南洲会関係者の方の講演をうかがい、「徳の交わり」「敬天愛人」の精神を良く理解することが出来ました。
 次いで、酒田市から鶴岡市に向かいました。
 鶴岡市立加茂水族館は、巨大なエチゼンクラゲから微細なものまで60種類以上のクラゲを飼育展示しており世界一のクラゲ水族館と言われています。この中で、直径5メートル、水量40トンの巨大な水槽に約1万匹のミズクラゲが漂っている様子は何とも不思議な空間でした。
 昼食は、「寝覚め屋半兵衛」で麦切とうどんを頂いた。美味しいつゆで、麦切は独特の食感でした。
 その後、善寶寺へ。海の守護神・龍神を祀る寺として、全国の漁業関係者から信仰をあつめています。貝喰池は人面魚で話題になったところでもあります。五百羅漢堂、龍王殿、五重塔等を拝観しました。
 次に、今回の旅行が「GO-TOキャンペーン」の対象となったので、各自頂いた金券を利用して、庄内観光物産館でお土産品等を買い求めました。
 更に、鶴ヶ岡城近くの庄内藩酒井家の御用屋敷跡に整備された致道博物館、藩校致道館、近くの藤沢周平記念館を見学しました。藤沢ファンにはたまらない所でもあります。
 鶴岡のメーンイベントは、小田治一さんが会長を務める株式会社庄内クリエート工業の見学であります。社長であるご子息様より、現在注力されている悪性腫瘍治療装置「アスクーフ8」の説明をして頂いた。この装置は、がん治療法の一種で、高周波を利用して身体深部のがん組織を加温によって、壊死・縮小させる治療方法として開発されたものであります。がんに罹ったことのある私にとっても、大変関心を引くものでした。「アスクーフ8」が一箇所でも多く全国の医療機関に導入・設置されることを願っております。
 夕食・懇親会はホテルの宴会場で、小田さんの奥様・ご息子様も参加されて、地元鶴岡の銘酒等をたっぷりと頂いて大いに盛り上がりました。また、玉澤宏さんの門外不出の演歌の素晴らしい歌声にはしばらく聞きほれてしまいました。

(第3日目)
 ホテル関係者に見送られて出発、湯殿山に向かいました。
 バスの車窓から、鶴岡市が注力している先端技術産業の企業誘致や研究機関である大学の招致に熱心に取り組んでいる地区を見ました。鶴岡はこれからさらに伸びるだろうなと思いました。紅葉の山々を眺めながらバスは一路、湯殿山をめざしました。
 出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山の総称)は古来より修験道の地として信仰されており、湯殿山は奥宮とされています。大鳥居の下で観光バスから参拝専用バスに乗り換えて湯殿山神社本宮への参拝に向かいました。修験道の霊地であり「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた神秘の世界です。
 湯殿山の御神体は、温泉の湧き出る巨大な岩である。ここでは、靴・靴下を脱いで素足となって御神体の岩に上り拝礼しました。本当に心改まる思いがしました。
大鳥居の近くには、即身仏(レプリカ)が祀られており、こちらにも拝礼しました。
 全員が参篭所に集合して「家内安全」「身体堅固」「心願成就」の祈禱を受けました。祈禱は、祭祀・山伏2名の3名で約1時間執り行われました。神官の詔とも僧の読経とも聞こえるお祈りに続き、山伏の吹く法螺貝が大音量で鳴り響き、護摩の炎が天井高く燃え移らんばかりに燃え盛り、何とも壮麗で厳粛な祈禱でありまた。最後に、参拝者の名前が1名ずつ読み上げられました。何か、とても清々しい気持ちになりました。
 湯殿山を下山、バスの中で、小田さんの奥様から差し入れの美味しい「庄内柿」を頂きました。その後、観光バスは寒河江を経由して山形駅に着きました。 ここで小田さんと別れ、我々は新幹線で東京駅へと向かいました。
 車内は小宴会状態となって盛り上がっていました。途中、大宮駅、上野駅、終着東京駅と互いに手を振って別れを惜しみつつ家路に着きました。この旅行で多くの方々とも親睦を深めることができました。このような楽しい旅行には、また参加してみたいなとも思いました。
 終わりに、昨年から種々準備をして頂いた幹事の方々のご努力と特に地元幹事としてご尽力頂いた小田治一さん、奥様、ご子息様に心から感謝申し上げます。


2020年11月16日(月)
 庄内歴史探訪と最上川下り(3)

松野下利代

 43会の旅行に初めて参加させていただきました。
 知り合いの女性に「大学の同窓生と旅行に行くのよ。メンバーは殆んど男性らしいわ」と言ったら、「いいですね。ツアーって女ばかりが多いじゃないですか。素敵な人がいるかも知れませんよ」とエールを送ってくれました。扨て、実際の同行の皆さまは……。
 期待どおり、気は優しくて頼りになる男性陣に、至れり尽せりの面倒を見てもらった3日間でした。中学高校の続きで、危く女子大に行くところでしたが、中大に入れてもらって良かったと思っています。酒田、鶴岡は以前にも訪ねたことがあったのですが、南洲神社と湯殿山神社は初めて行きました。亡夫の故郷の薩摩藩と庄内藩が激しい戦いの後、西郷隆盛の英断で友好関係を築き、それが現在まで続いている事に驚きました。
 また湯殿山神社は、紅葉真盛りの晴天に恵まれて、お湯の湧き出る御神体の大岩を裸足でお参りする楽しい経験でした。社殿での御祈祷も、烏帽子、直垂姿の神主が御幣を振っての払いの後、護摩を焚いて祈祷をして下さったことも驚きでした。神道と密教という神仏習合が現在も続いていることを実感しました。地元同窓生の力強い事業家振りにも感心しました。
 お土産にいただいた数量限定の大吟醸の「大山」を大切にチビチビと飲みながら、楽しかった旅を思い出しています。幹事の方々をはじめ同行の皆様お世話になりました。ありがとうございました。


2020年11月16日(月)
 庄内歴史探訪と最上川下り(2)

後沢節子

【山形旅行での聞きかじり】
 今年の旅行はコロナ禍の中決行できるか心配でしたが、問題無く楽しくお天気にも人にもお料理にもお酒にも恵まれた2泊3日の旅でした。幹事さん達に感謝です。
 我々の世話をしてくれたガイドさんからの話を少し書きます。このガイドさん超可愛い女性で2児のママさん。産休明けでコロナ・ステイホームになり、やっとの仕事が我々のお世話。これが終われば冬場で仕事が無いそうです。

ガイドさんからの話
1 方言
 げずぐだ げずぐだって しょわすごど
 (ふざけてばかりで うるさいな~)
 さぁまずの テレビさ 色つっだ!!!
 (すごいね テレビに 色が付いてるよ)
 へっづげだのさ かもてらんねさげ ちゃっちゃど あべ!!
 (そんな人に 構っていられないので さっさと行こう)

2 新庄地区を通っていると、5~10段の階段を登ってガラス戸付きの玄関。
 積雪の為だそうです。
 庄内辺りに行くと、砂地と松林。ここは玄関に階段は有りません。
 ガイドさんによると、風が強くて雪は吹き飛ぶのだそうです。
 同じ県内で少し移動しただけでこんなに異なり、皆さんの生活の知恵と努力と苦労を感じてしまいました。

 私のレポートの役目はここまで……。
 杉並に住む小3の孫の社会のワークシート
「杉並区の形はどんな形をしているでしょうか? 地図を見てしらべましょう」に対して 孫の答
「ふくざつでことばにできません」
 私もこれなんです。
 今回の旅行も楽し過ぎて言葉にできません、ハイ。


2020年11月9日(月)
 庄内歴史探訪と最上川下り

矢崎 勝

 今年の旅行はコロナの影響で参加人員が少ないと思われたが、予想以上の24名(女性4名)が参加した。以下10月26日(月)から2泊3日の山形旅行の概略です。

第1日目(10月26日)
 東京駅8時8分発の新幹線に21名が乗車した。皆マスクをしていつもの旅行のように賑やかではないが、隣同士の会話が弾み、あっという間の3時間で山形駅に着いた。山形駅で先発の中里さんが合流。下見の時にも大変お世話になった鶴岡在住の小田さんに出迎えていただいた。

(1)バスの車窓から
 山形駅から23名で観光バスに乗る。山形市(内陸)から酒田(庄内)に向かう。ガイドさんは山形美人。画用紙に書いた地図で名所を一生懸命説明してくれた。山形はフルーツ王国。東根は「さくらんぼ・佐藤錦」、尾花沢は「すいか」で有名。また、尾花沢には銀山温泉があり、江戸時代には銀山採掘で栄えたそうだ。
(2)最上川舟下り
 日本海に流れる最上川の古口港から草薙港までの12kmを1時間かけて下る。穏やかな流れだが、時々急に船が大きく揺れる。船頭さんは女性。方言で話し、唄い、とても元気が良い。地酒で勢いが付いた数名が船頭さんにジョークを連発。和やかな雰囲気であった。
(3)本間美術館
 庄内平野が広がり、白鳥の群れが田地の落穂をついばんでいる。日本海に面した酒田に入る。本間美術館はかつて北前船で大きな富を得た豪商本間家の別荘であった。歌人の書、絵画や磁器などの文化財が多数ある。庭園「鶴舞園」は鳥海山を借景に、北前船が運んできた各地の石などを配して風情がある。庭園内の「清遠閣」は藩主酒井侯の休憩所で大正14年には東宮殿下(昭和天皇)が宿泊された。
(4)本間家旧本邸
 まず玄関前の屋根に覆いかぶさるように成長した樹齢400年の赤松に圧倒される。ここは本間家が藩主酒井家のために幕府の宿舎として建造した武家屋敷。武家の住まいと商家の住まいが一体となった珍しい建築様式。
(5)山居倉庫
 酒田港に近いここは庄内地方の米の保管倉庫。白壁・土蔵造りの倉庫群は壮観だ。全12棟の内9棟は現役の米蔵として使用されている。NHKドラマ「おしん」のロケーションやJR東日本の吉永小百合のポスターで有名。日没に近い光の中、ケヤキ並木を背景に小百合さんになったつもりで写真撮影する。
(6)1日目夕食
 下見でお世話になった酒田在住の佐藤勝見さんが参加。酒田料理「銀のすず」が夕食会場。緑川旅行幹事の司会で進行。龍門旅行幹事代表が山形旅行に決めた経緯を説明した。会席料理の品数は12品。質・量とも満足した。特にご飯を一人用の釜で熱々の状態で提供してくれたのはとても嬉しかった。やはりお米にこだわりがあるのですね。米は庄内米でなく、真室川産コシヒカリだった。地酒も「上喜元」など何種類も味わった。

第2日目(10月27日)
(1)南洲神社
 ホテルを9時に出て南洲神社に行く。戊辰戦争で西郷隆盛が庄内藩に寛大な処分をした経緯が分かるゆかりの神社だ。庄内南洲会の水野理事長から会議室でお話を聞く。西郷さんから教えを受けようと藩主の酒井公や多くの庄内の人々が鹿児島を訪れた。この時の西郷さんの言葉を集めたものが「南洲翁遺訓」で、この冊子が皆に配られた。 (2)加茂水族館
 酒田から鶴岡に向かう。日本海に面した水族館には50種類以上のクラゲが展示されていて、世界一の水族館と言われている。バスガイドさんの説明では、バブル崩壊後経営が悪化したが、珊瑚の水槽で偶然クラゲが発生すると、それを見逃さずクラゲに特化した展示や商品開発をすることで成功したそうだ。形、大きさ、色彩の異なる様々なクラゲに癒された気持ちになった。
(3)昼食
 鶴岡市内の有名な蕎麦屋「寝覚屋半兵衛」に行く。板盛り5人前の「麦切」というこの地方独自のうどんはモチモチとして美味しく、お腹いっぱい食べた。
(4)善宝寺
 曹洞宗の寺院で平安時代からの名刹。山門・五百羅漢堂・五重塔などの文化財は古いままなので価値がある。杉や桧の古木が静かに寺を囲んでいる。
(5)庄内観光物産館
 ここで皆土産を買う。私は配られたGo-Toキャンペーンのクーポン3,000円でいつもより多くの買い物をした。バスガイドさんおすすめの郷土の伝統菓子「からからせんべい」を買う。煎餅の中におもちゃが入っていて、割るといろいろな小物が出てくる孫の喜びそうなお菓子。
(6)致道博物館・致道館
博物館は酒井忠次を祖とする酒井家の当主が伝来の文化財を寄付して創設した。明治前期の擬洋風建築の代表的な建物があり、以前43会旅行で見学した明治村にある地方の郡役所と同じものだった。致道館は酒井家が創設した藩校。
(7)藤沢周平記念館
 平成22年に開館した記念館は綺麗だ。地元の直木賞作家の全作品や作家の軌跡を紹介している。
(8)2日目夕食
 夕食はホテルの宴会場。夕方小田さんの会社に全員お邪魔して、ご子息から医療機器の説明を受けていたが、ご子息と小田さんの奥様も宴会に参加。今日は小田さんの差し入れで地酒やワイン、そして高級ウイスキーもあり、昨日にも増して豪華だ。料理はGo-Toキャンペーンの割り増しで伊勢海老や山形牛が付いた。宴が盛り上がるころ、ご子息(社長)が挨拶した。父上(会長)から会社経営を引き継いだご子息の感謝の言葉に会場の皆は感動した。

第3日目(10月28日)
(1)湯殿山神社
 あっという間の最終日。今日は出羽三山の一つ湯殿山の神社にお参りする。鳥居の手前でバスを降り急な坂を登る。雪をかぶった月山の頂上が見える。本宮では靴を脱ぎ、裸足になり、お祓いを受けてからお参りする。想像していなかった方法に少し戸惑った。石を踏む足が冷たいが、歩くうちに温泉の熱い湯が流れてきて、足を温めてくれた。社殿では火を焚いて祈る山伏の「護摩行」が行われた。天井まで届くかと思われる炎がすごかった。神棚に榊を供えて無事終了。
(2)帰途へ
 帰りの道すがら、湯殿山の紅葉は素晴らしかった。鳥海山が今日はその全体の姿を見せてくれた。鶴岡の小田さん、酒田の佐藤勝見さん、大変お世話になりありがとうございました。参加して頂いた43会の皆さまに感謝します。


2020年7月6日(月)
 総会議案に関する議決権行使書方式による回答の結果について

白門43会会長 清水 正

白門43会会員の皆様、いかがお過ごしでしょうか。今年は新型コロナウィルスの広がりにより、私達の生活が大きく影響を受けています。どうか皆様にはご健勝のことをお祈り致します。
さて、今年の総会につきましては、議決権行使書の方式によりご回答を頂き、誠にありがとうございました。ご回答の集計結果をご報告致します。

発送数  339人  返信  207人
議案に賛成、手続きの会長委任に賛成 204
すべて、または部分的に反対      3 

 この結果、会則第9条4項の定めにより、総会議案はすべてご承認を頂いたことになります。今後は引き続き43会の活動を進めてまいりますので、よろしくお願い致します。
 重ねて皆様のご健康をお祈り申し上げます。


2020年2月17日(月)
 新春の集いが開催されました

 2月7日(金)の12時半から、上野東天紅8階「ザ・ルーキス」において白門43会の新春の集いが開催されました。気温は低かったものの、晴天に恵まれて参加者72名は、受付開始時間の12時より前から三々五々集合しました。新春の集いに先立って一部有志が参加して行われた湯島天神の観梅もとてもよかったようです。会場は半面が大きなガラス窓になっていて“不忍池”が一望に見下ろせる素晴らしいもので、そこに8つの丸テーブルが並べられていました。
 まずは全員の集合写真ということで「白門43会の集い」という横断幕や「中央大学学員会・白門43会支部」と書かれた“支部旗”が掲示されたひな段に集まりました。72名の集合写真というと横15列で5段に並べる必要があり、ゲストの林家つる子さんを中央に清水会長や女性会員を前にするなど、担当幹事は大忙しでした。

 その後、司会を担当した後澤副会長の発声によりスタートし、次に元中大応援団の小塚副会長のリードの下、校歌斉唱が行われました。そして清水会長による挨拶、遠方からのまたは久しぶりの参加者の紹介(青森からの石橋さん、広島からの高田さん、半田さん、中村さん)が行われました。この後、ホームページ委員長の三沢幹事から昨年1年間のホームページの閲覧数、更新数などが発表され、毎週のように内容を更新しているので少なくても週1回は閲覧して欲しいとのお願いがありました。

 次いで、千葉市在住のプロ歌手玉澤氏による乾杯の音頭を経て、お待ちかねの食事・歓談となりました。東天紅の中華料理は地元でも定評があり、この日も前菜から最後の焼きそばまでとても美味しいものでした。飲み物はビール、ワイン、日本酒などが飲み放題でした。席は指定(清水会長による絶妙な配分になっている)になっているのですが、この頃になると会長をはじめとした主な役員がグラスを手に各テーブルを回る姿が見られるようになり、その他にもホームページ用の写真撮影を行う三沢幹事や、懐かしい仲間を見つけて話をしに他のテーブルに行く会員などが出て会場の懇親風景は絶好調となりました。
 2時30分頃に、この日のゲスト林家つる子さんによる落語が始まりました。林家つる子さんは群馬県出身で中央大学文学部の卒業生で、2010年に林家正蔵(林家三平の長男)に弟子入りし、2015年に「二つ目」に昇進した若手(32歳)で、「笑点」などのテレビにも出ています。

 この日の出し物は、大店の主人が3人の息子の中で誰を後継者にするかということで、自分が死んだらどのような葬式をするのかを順に聞くというものでした。長男・次男は借金してまでの豪華な葬式(芸者の踊りや山車、お神輿など)をと言い、三男は極端なケチで、棺桶の代わりに漬物桶を使うとともに、手間賃を省くためにその漬物桶を自分で担ぐといった話でした。落語の他にも踊りを披露してくれました。

 最後に、中大グリークラブだった星野幹事のリードで、恒例の「惜別の歌」を全員で肩を組んで3番まで歌いました。そして矢崎幹事長による閉会の辞がありました。矢崎幹事長はこの中で、今年の秋に予定されている2泊3日の旅行会(山形方面)についての予告も行いました。

 こうして新春の集いは盛況のうちに滞りなくお開きとなり、参加者は二次会のカラオケや居酒屋に、或いは久しぶりの仲間達と更なる懇親を深めるため上野の街に消えていきました。来年もまたお互いに元気に再会できたらいいなと心から思いました。

【八束 一郎】


2020年2月10日(月)
 豪風断髪式に参加しました

 2月1日、「豪風引退・押尾川襲名披露大相撲」観覧のため両国国技館に行きました。大相撲は以前に43会でも会の創立10周年・20周年行事等で観覧したことがありましたが、“断髪式”は初めてだったので興味があり、また豪風が中大卒業生であったり、20周年行事の時に我々の打ち上げ会にも参加してくれたので特に親しみを感じていたこともあり、今回の企画を担当した小塚副会長の誘いにただちに応じたのです。勿論、小兵ながら土俵の上で大物を倒すことの多い豪風の痛快な相撲にはいつも注目していました。
 晴天に恵まれてそれほど寒くない中、10時に家を出て10時45分に国技館に到着しました。驚いたことに国技館前は多くの人達で大混雑しており、25名が参加しているはずの43会員の集団が見当たらないのです。人込みをかき分けて歩いているうちに、やっと龍門さんを見つけて二人で会長・幹事長達を探しました。やっとのことで、正門近くで会長・幹事長や中大の小旗を掲げている長田さん達に合流できましたが、このような状態では当初予定していた43会参加者の集合写真を撮影するのは無理ということになり、そのまま国技館の指定席(マス席)に向かいました。
 観覧券を持って席に向かったのですが、券には「マス席A 向 3-15」とだけ記載されており、一方館内の表示は東、西とあり、どちらだかわかりません。とりあえず入場して案内の女性に尋ねると「これは向こう正面で全くの反対側です」との説明です。そこで半周回って反対側に行って、小さな表示を目当てにやっとのことで自分の席に辿り着きました。私がこれだけ苦労したということは、私より高齢者だったり地方からの不慣れな人だったらもっと苦労したのではと思いました。席は砂被りの次の3段目ということで、東の力士出口のすぐ脇というとてもよい席(但し、裏側)でした。 次に、昼食を各自で手配することになっていたので売店に向かいました。売店は大混雑で簡単には弁当を買えそうではなかったので、焼き鳥と冷酒を買って席に戻りました。マス席はいつものように4名が座る狭いもので、私のマスは、山形から参加した小田さん、長田さん、原田さんが一緒でした。原田さんを除いて皆体格がいいので、前に座った小田さんや長田さんはマスから足を出して座っていました。11時半に行事が開始され、まずは2名の若手力士と行司による“初切”(しょっきり)という相撲の決まり手や禁じ手をおもしろおかしく紹介するものが行われ、会場を沸かせました。会場はほぼ満席で、そう言っては失礼ですが、平幕の豪風の断髪式にこれほどの人達が押し寄せたことに驚きました。それも相撲好きらしい年配の男性のみならず、小さな子供連れの家族、若い女性も多いのです。
 初切の次は、十両力士の土俵入りと取り組みが始まるのですが、その前に「豪風最後の土俵を披露します」というアナウンスがこの日のアナウンサーの刈谷氏(中大卒)から発声されました。誰と取り組むのかと思っているとそれは豪風の長男(小学生)でした。ちゃんとまわしを着け、塩まきを行った後に父親とがっぷり取り組んで懸命に寄り切ろうとしますが、一方の豪風も土俵際に押されたような動きをしつつなかなか負けません。最後は長男が一本背負いで豪風を土俵上に転がすという形で決着が付きました。豪風も最愛の長男と満員の土俵上で最後の相撲がとれてとても嬉しそうでした。
 その後の十両力士の取り組みは、余り無理をしない内容でしたが、先の初場所で優勝した照ノ富士(元大関)やベテランの豊ノ島、巨漢の逸ノ城、矢後(中大卒)などの馴染みのある力士が多かったのでそれなりに楽しめました。本場所の時と異なり、ほとんどの力士が手足や身体にサポーターを付けてないので、力士の身体がとても綺麗に見えました。 その後、豪風が着物姿で登場し、秋田県知事などから賞状が渡され、秋田出身女優の加藤夏希さんから花束が贈呈されたりしました。
 後半は幕内力士の土俵入りが行われ、化粧まわしを着けた幕内力士が土俵上に並びました。初場所に休場した白鵬、鶴竜そして大関の貴景勝以下高安、朝乃山、遠藤、御嶽海などが勢ぞろいで、人気力士の炎鵬や遠藤そして初場所に幕尻で優勝した徳勝龍には大きな拍手が起きました。取り組みについては、十両の時と同様に無理のない勝負ばかりで、土俵から落ちるような場面はありませんでした。でも魁聖や碧山の巨体には圧倒されましたし、足の長い阿炎、初場所で最後まで頑張った正代などをまぢかに見ることができて大いに満足しました。横綱の土俵入りもしっかりと行われ、感激しました。
 そしていよいよ断髪式になりました。土俵上に着物姿で椅子に座る豪風、断髪を手助けする行司が立ち会い、名前を呼ばれた人が次々に土俵上に上がってはさみで豪風の髪の毛を切るのです。刈谷アナウンサーからは「270名が切ることになるので、くれぐれも切り過ぎないように」とのアナウンスが流れました。最初は秋田県知事などの政治家が多く、元自民党総裁の谷垣氏が車椅子で登場したのには驚きました。公明党の山口委員長も参加していました。その後は、あいうえお順に名前が呼ばれて断髪が延々と行われました。中大関係者も多く登場し、またタレントのやくみつる氏、芸人の“はなわ”などもいました。断髪式は約2時間もかかり、退屈した人達の多くは痺れた足を伸ばすために会場を出ていったようでした。また、四方の観客に万遍なく見られるように、30分毎に豪風の椅子の位置を変えていました。断髪のために土俵上に上がる人の多くは老人が多く、谷垣氏以外にも車椅子の人が 1名、呼び出しの人に支えられて土俵を上がったり降りたりする人が大勢いました。土俵に上がる人に見内や会社の人から声がかかったり写真撮影がされており、それを見ている我々は「断髪をするには幾ら払えばいいのか」と か、「テープカットやお焼香の時と同様に3人くらいが一緒にやれば時間が短縮できるのに」といった雑談で盛り上がっていました。最後に、尾車親方が登場して呼び出しの人の手助けを受けながら“まげ”を切り落として断髪式が終了しました。
 最後に、豪風が“まげ”のない恰好いい髪形で再登場し、本場所の時の“優勝インタビュー”の位置で刈谷アナウンサーからインタビューを受けました。豪風が相撲の世界に入るのを心配していた両親(二人とも死去)にこの日の自分の姿を見て欲しかったという所では豪風も感極まって絶句していました。そして、ご両親の写真を両手に抱えながら、豪風改め押尾川親方(尾車部屋)が退場して行きました。
 その後我々は両国駅の2階の「源ちゃん」という居酒屋で打ち上げを行い、22名が参加し、飲み放題の酒を大いに飲みまくって語り合いました。今回の企画を担当した小塚副会長の話では、平幕力士でこれだけの断髪式ができるのは珍しいことで、それは豪風の人柄、地元秋田から絶大な支持を受けていること、相撲協会の中での尾車部屋(親方は琴風)の力が大きいこと、そして中大関係からも好意を持たれていたからということでした。それにしても、この日の豪風の断髪式は参加した我々にとって滅多に経験できない素晴らしい経験になったと思いました。素晴らしい企画の準備に苦労された小塚副会長その他の役員には感謝、感謝です。

【八束 一郎】


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