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2026年9月14日
AIの時代
三沢 充男
最近AIの進歩が甚だしい。人間のやる知的な仕事がAIに取って代わられつつあるようだ。
これまでデスクワークで活躍してきた人たちが、これからのことを考えて肉体的な仕事に転職した例もテレビなどで報道されている。寿司職人になった人もいるという。
それではAIがどれだけ素晴らしいのかを自分でも体験してみたいと考え、Chat GPTを使って文章を考えてもらうことにした。
自分は埼玉県の狭山湖の近くに住んでいて、毎日のウオーキングのコースでもあるので、これに関連したものをと考え、テーマは「秋の狭山湖周辺の風物を2000字程度で」として、Chat GPT君に聞いてみた。一分ほどで答えが返ってきた。それを次に示します。
……秋の狭山湖周辺の風物
秋の狭山湖は、夏の濃い緑から冬の静けさへと移り変わる、季節の境目の美しさを感じさせる場所である。埼玉県所沢市と入間市にまたがる狭山丘陵の一角に位置する狭山湖は、正式には山口貯水池と呼ばれる人造湖で、昭和九年(1934年)に完成した。現在では県立狭山自然公園の中心的な景観の一つとなり、春の桜とともに、秋の紅葉が代表的な風物として親しまれている。
秋の狭山湖を訪れてまず目を引くのは、湖を取り囲む雑木林の色づきである。狭山丘陵にはコナラなどを中心とする武蔵野の雑木林が残されており、秋が深まるにつれて木々が少しずつ黄色や褐色、赤褐色へと変化していく。山全体が一度に紅葉するのではなく、木によって色づく時期や色合いが異なるため、散策するたびに違った表情に出会えるのも魅力である。所沢市も「狭山湖の紅葉」を代表的な景観資源として紹介している。
湖畔の堤防や散策路から眺める景色にも、秋ならではの趣がある。青く澄んだ空の下に広がる湖面には、周囲の木々が映り込み、風が弱い日には水面が大きな鏡のように見える。紅葉した木々と青い湖、さらに高い空が一つの景色となり、春の華やかな桜とは異なる、落ち着いた美しさをつくり出す。夕方になれば、傾いた日差しが湖面を照らし、昼間とは違った静かな表情を見せることもある。狭山湖は夕景も含め、四季折々の景観を楽しめる場所として知られている。
秋の楽しみは、紅葉だけではない。湖の周辺に広がる狭山丘陵の里山では、秋の草花や木の実を観察することができる。少し足を延ばして湿地や雑木林を歩けば、野菊やアザミなどの草花が目に入り、木々の足元にはさまざまな実が見つかる。狭山丘陵では秋の草本、色とりどりの木の実、紅葉などを楽しみながら散策できることが紹介されている。
また、秋は鳥たちの姿を探す季節でもある。狭山湖周辺はバードウォッチングの場所としても知られ、湖面や林の上を飛ぶ鳥、木々の間を移動する小鳥など、歩きながらさまざまな生きものに出会える。狭山丘陵そのものが多様な動植物の生息する里山であり、オオタカやフクロウなどの鳥類も確認されている。秋の澄んだ空を見上げれば、上昇気流を利用して空高く舞うタカの仲間を見られることもあるという。
さらに、狭山湖周辺の秋を語るうえでは、湖だけでなく、その周囲に残る「里山の暮らし」を感じられる風景も欠かせない。狭山丘陵には、丘と谷戸、雑木林、湿地などが組み合わさった自然環境が残されている。木漏れ日の中を歩き、落ち葉を踏み、鳥の声や風に揺れる木々の音を聞いていると、都市からそれほど遠くない場所にありながら、昔ながらの武蔵野の秋が息づいていることに気づかされる。こうした風景は、狭山丘陵が『となりのトトロ』の舞台のモデルの一つとされる背景にもつながっている。
秋が深まり、木々の葉が落ち始めると、狭山湖の風景は次第に冬へ向かう。紅葉の盛りを過ぎた雑木林には、落ち葉が厚く積もり、枝の間から湖や空が見えやすくなる。やがて冬の澄んだ空気の中では、天気のよい日に湖の向こうに富士山を望むこともできる。つまり狭山湖の秋は、紅葉の美しさだけで完結する季節ではなく、冬の景色へと静かにつながっていく時間でもある。
狭山湖周辺の秋の風物は、派手な祭りや特別な催しだけではない。紅葉した雑木林、湖面に映る空と木々、金色に輝くススキ、野の花や木の実、秋空を舞う鳥、そして落ち葉を踏みながら歩く散策のひととき――そうした一つ一つの小さな自然の変化が、狭山湖の秋を形づくっている。都市の近くにありながら、季節の移ろいを五感で味わえることこそ、狭山湖周辺の大きな魅力である。紅葉の色を眺めるだけでなく、風の冷たさや木々の香り、水面の静けさにも目を向ければ、秋の狭山湖はより深い趣をもって心に残るだろう。……
何と素晴らしい文章ではないか。(上の「トトロの森1号地」の写真は筆者が挿入したものです。)
私は白門43会のホームページの編集責任者として、毎週記事を更新していますが、その一環として月に一度は歳時記として身近な風物を書いて掲載しています。でも、上に載せたChat GPTの文章は、これまで私が書いたどの文章よりも素晴らしい気がする。これを見て私には絶望感が襲ってきた。
これならば、これからの白門43会のホームページの編集責任者の地位はAIに譲った方がよいのではないかとも考え始めているところです。
2026年6月29日
鹽野惠子さんの個展を見に行きました
矢崎 勝
2026年6月24日、43会同期の鹽野惠子さんの絵画展を見に行きました。
会場はJR東京駅から徒歩10分ほどのところにあるいつものGALLERY KUBOTAです。駅周辺の高層ビルの新築ラッシュにはいまさらながらびっくりです。
しばらく体調を崩されていたのにもかかわらず、力感のある作品を楽しみました。
写真2点について鹽野さんは、
「白いシャツの方は現実のモデルをそのままの色で描きました。案内状の方はバックと人体を一体化して色をのせてみました。観る人によって一枚目が良い人と二枚目(写真右)が良い人に分かれるようです。自分では二枚目の方がカラフルで動きがあって楽しいかなと考えてこちらを案内状にすることにしました。」と言っていました。
会場には、この写真2点以外にもたくさんの作品が展示されていました。
このかたづけを鹽野さんお一人でするとの事、絵に対する熱い思いに私は感動しました。
2026年4月21日
「信玄公祭り」を見に行きました
矢崎 勝
戦国武将武田信玄をしのぶ「第52回信玄公祭り」が4月3~5日甲府中心部で開かれました。
4日にはメインイベント「甲州軍団出陣」があり、信玄公役を演じた歌舞伎役者の市川右團次さん(62)と山本勘助役を務めた長男で歌舞伎役者の市川右近さん(15)が1000人を超える甲冑姿の武者行列とともに練り歩きました。
私は地元山梨出身ですが、昨年初めて参加して今回は2回目の参加です。
今年の祭りには家内の土屋家が武田二十四将のひとり土屋昌続の末裔にあたり、甥が昌続役で出演するとの事で応援に駆け付けました。(写真)(昨年は甥の父親が同じ役を務めた。)
夕方から舞鶴城(甲府城)の公園で行われた出陣式は風・林・火・山の4つの軍団・各6つの部隊(武田二十四将)と本陣隊で構成されています。それぞれの部隊は企業・団体から参加した武者姿の代表が皆元気よく名(大将と会社などの名前)を名乗りました。甥は株式会社カズテクニカの社長として立派に役目を果たしました。
最後に信玄役の市川右團次さんが出陣の儀式を執り行いました(左写真)。”いざ出陣“(川中島合戦)の掛け声は、さすがに歌舞伎役者だけに場内に響き渡り、小雨模様の空を一気に明るくするようで感動しました。その後甲州軍団は甲府市内に出陣したので多くの観衆がひいきの部隊目当てに出発しました。
(右写真の右端は、駐日ボスニア・ヘルツェゴビナ大使、左は駐日キルギス共和国大使)
2026年1月13日
第102回箱根駅伝雑感
中央大学応援部リーダー学科卒 小塚 正人
逆転優勝ならず又も5位
柄でもないが、昨年11月下旬福岡市に出かけた折、勝運の神様で有名な筥崎神宮に絵馬を奉納してきた。
「必勝中央大学! 箱根駅伝優勝!!」と。
そのご利益は往路3位、復路6位、総合5位であった。(記録では10時間44分31秒、前回は10時間52分49秒)
戦前の勝ち馬予想は、中大、青学、駒沢、国学院、早稲田の5強に上がっていただけに、思い入れの強い私には残念な結果であった。
レース終了後の選手を前にした恒例の報告会は盛り上がりに欠ける静かな会で終了した。
下馬評が良かっただけに、3位にも入賞出来なかった事に対し、落胆した雰囲気であった。藤原監督も自己採点50点と語っている。
以下に60余年の箱根駅伝追っかけ応援部員の雑感を述べてみたい。
敗因の一つは山上りの5区であり、藤原監督(以下「監督」)も「山の覚悟を選手達に持たせられなかった。これが一番の敗因だった。5区が全てであった」と。まるで昨年の再現、箱根山中での逆転負け、3位でのゴールは実に悔しい。
「1~4位区まではほぼ想定通りのタイムで来た」とも述べているだけに残念な結果である。大きなプレッシャーを背負った当の柴田選手(3年)は「想定よりも早く追いつかれ、ちょっと焦って、そこからきつくなった」と自分の心境を語っている。しかし私は柴田選手は酷な立場だったと理解している。(区間11位、1時間12分16秒)
早大の選手は山上りのスペシャリストで実績があり、青学の選手は驚異のタイムで区間新を出したスーパーマン(?)であった。(区間新1時間7分16秒)
来年、彼のリベンジに期待したいし、彼に替る選手の出現を強く望む。
敗因の二つ目は、監督が往路終了時点で「トップと1分36秒なら逆転可能」と言っていた復路に大きな戦力ダウンが起きた事である。エースで主将の吉居選手を足の故障(10日前にふくらはぎ等を痛めた)のため、ポイント区の7区を回避して9区に起用となったことである。その結果、タイムを挽回できず不発に終った(何と区間8位)。さらに順位を下げた10区(3位→5位)にも異変が起こった。当初の予定走者(1年ホープの浜口選手)にアクシデントが発生し、吉中選手(4年)に交替起用となったことである(区間15位)。
監督は「9区、10区は最適解ではなく、私のマネージメントミス」と選手を庇った。1万メートル27分台の選手6人のうち2人が欠場と不調、それが復路に片寄っては勝てません。意外にも層の薄さが露呈した。この戦力からすると復路6位も頷ける(?)。異常時の順位下降の恐ろしさを又味わった。
さて、本気で優勝を目指した今回、見事に跳ね返され、悔しさを晴らす(監督)来年以降の課題として
① やはり懸案の5、6区の「山」対策。特に上り選手の育成。幸い今年3000メートル障害競走の高校日本一他の入学が予定され、山上りの5区要員として期待したい。
② メンタル・フィジカルに強い選手の更なる育成。併せて「負けじ魂」精神の醸成を。
③ 最後に某メディアから「スピード(+)力強さも備わりつつある。それに何が足りなかったか?」と問われ、指揮官(監督)は、「箱根駅伝を勝つという覚悟が足りなかった」とも答えている。
その覚悟が今年1年で実現できた時、出場100回の来年に栄冠があると思う。そう願う。
ガンバレ中大!!
第102回箱根駅伝順位 動くグラフ