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会員だより —歌代雄七—

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2024年4月
  随想109 医師

 この4月から医師の働き方が変わる。
 物流業界などと同様に5年の猶予期間を経ての法施行で、長時間労働が規制される。所謂2024年問題だが、単純に言えば、医師の過労死が後を絶たないことから残業に縛りを設けるものだ。然し実態は、猶予期間があった割には、他の対象業種に比べて医療界のそれは、遅々としてその対策は進んでいない。
 その医療界に於いては、加えて2025年問題が横たわる。国民の5人に1人が75歳以上の超高齢者の時代を迎えることで雇用、福祉、そして医療など、社会のもたらす諸問題がクローズアップされてくる。今この活字を読まれている「あなた」、他人事のように感じていることでしょうが「アナタ」のことですよ!!
 それでは当面、我々がお世話になる医療界、特にその中心となる医師の今後の働き方を見ていきましょう。

 2023年度の日本での医療費は45兆円ほどだ。一大産業であるが、その中心的存在は150万人の看護師であり、35万人の医師だ。その医師は大まかには3人に2人は病院勤務者だ。その病院勤務者は診療科によっても大きな差はあるが、長時間労働の渦の中にある。
 実態として厚労省の調査では、22年の病院の常勤医のうち時間外労働が「過労死ライン」の年間980時間以上だった医師は2割に上る。この数値、19年の調査の4割からは減ったことになっている。然し諸外国に比べて、過酷な状況であることに変わりはない。こうした中で医師の残業には厳しく目が向けられているが、今回の施行に当たって医療経営サイドから強い要望があり、結局はお目こぼしの施策の数々が明らかになってきた。
 先ずは、病院での夜間当直は労働時間外となった。加えて「自己研鑽」の名目で労働を強いられている医療行為のその時間も、労働時間から外す運用が認められた。こうしたことから改革法が施行されても一部で有名無実となる可能性がある。その明確な事実として、今回特例として一部の勤務医は過労死ラインの約2倍となる年間1,860時間の時間外労働が認められた。対象は教育や研修を担う大学病院のほか、地域の救急医療を担う病院の勤務医だ。一方、現在、全国に81の大学病院本院が存在するが、その約2割が勤務医の兼業や副業先の労働時間を把握してなかった事実から、この2024年問題の意識の低さが露呈した格好だ。見方によっては、改革機運が後退している感じもある。
 国はさらに踏み込んで特例廃止を視野に、我々が安心して受診できるよう構造的改革を推し進める必要があろう。

 一方、現場での大きな動きとしてはその残業対策の事例が見えている。大学病院では派遣先の病院から医師を引き上げる動きがある。当然、結果として地域医療に影響が出てきて、当該診療の時間を短縮したり、当該診療科の閉鎖に追い込まれ、地域医療の崩壊にもつながりかねない状況となっている。加えて研究力の低下、医師の偏在などが不安視される。
 当面の対応は「タスクシフティング」であろう。医師の一部業務を薬剤師や看護師などが肩代わりすることだ。実施に当たっては当該行為の研修終了が条件となるが、認められない行為も当然ある。行政は緩和策を打ち出す必要がある。例えば、米国では看護師の業務範囲は、日本とは比べものにならないほど広い。
 日本も職種による業務範囲を、研修を含めて法的に見直しを急ぐべきだ。労働時間の長い程、医療ミスの経験が多いという実態から抜け出すため、高度な政策が必要だ。

 扨て、採血などをまともに見ることが出来ない筆者が、まかり間違って医師になっていたら……。
大きな傷口は怖くて見ることが出来ない、もともと不器用故、手術後の縫合は無理と言うことで、外科は無理。疾患が多岐に亘る内科は、記憶力の悪さから多面的に使用される薬の効用や飲み合わせの悪い薬を定めた禁忌事項が覚えきれないことから、患者へ薬害を与えてしまいかねない。更に小児の泣き叫ぶのは苦手なことから、小児科には向かない。他の診療科も多かれ少なかれ、これらの要件が付きまとうことから他の診療科も無理だろう。然し、むりくり、国家試験に合格したとしても薮医者のそしりは免れないだろう。

 ところで、その「藪医者」の語源をご存じだろうか。
 その昔、医療知識・技術に欠ける医師を「やぶ医者」と称した。その語源は、風邪が流行って医者の数が足りなくなると、腕の悪い医者のところにも患者が押し寄せる。風で動くものと言えば「藪」。落語などで有名になった「やぶ医者」の謂れだ。語源は他にもいろいろある。「藪の前に立つように、診療・治療の見通しがきかないから」と言う説などもある。 間違ってもあなたは、その藪医者へは訪れないように…。

2024年3月
  随想108 手袋

 厳寒期も過ぎ、厚手の服装から「さよなら」をする季節となった。同様に外出時に「する」手袋も、寒冷地以外には必要なくなるだろう。今月のテーマは、その手袋にスポットを当ててみたい。
 手袋の歴史は古く、世界最古とされるのは古代エジプトのツタンカーメンのもので、古代ギリシャでは詩人のホメロスの作品に登場したり、中世ヨーロッパでは上流階級の人達がつけていたように、欧州でのその歴史は古い。一方、日本で生地を縫って作る手袋の生産が始まったのは明治以降だ。現在、国内で販売されている手袋は、東かがわ市を中心に90%以上が香川県で生産されている。何故この地、東かがわ市で手袋の生産が始まったのか?

 それには「聞くも涙、語るも涙」ではないが、それなりの謂れがある。要因は「駆け落ち」だ。
 地元にある千光寺の34歳の副住職が19歳の女性と恋に落ちた。年齢差ももちろんだが、身分の違いから二人は1880年に大阪へ駆け落ちした。住まいは長屋の一角で、副住職は托鉢に出るも生活は苦しく、女性は隣人の肌着の内職を手伝っていた。
 この内職を広げようと手袋製造を1888年に始めた。手袋が珍しい時代で、副住職はこれを足の代わりに手を覆う靴のようなものとして捉えて「手靴」と呼んだ。然し、副住職は病気で急死、その折、女性を助けたのが故郷から大阪に来ていた副住職の従兄弟で、彼が事業の拡大を図った。一方、故郷では主産業だった製塩が輸入品に押されて、失業者があふれていた。
 そこでその従兄弟は、手袋の製造所を1898年に故郷に設立した。丁度その頃、第1次大戦がはじまり、欧州は戦地となり、日本に手袋の大量発注が舞い込んだ。手袋の生産が既にスタートしているこの地域に集中し、更に手袋工場が急増し、一大産地を形成してきた。

 1970年代に入って、オイルショックにより輸出が減少した為、業界は高価なファッション手袋製造に移行し始めた。その後、反射素材が付いた自転車用、濡れても滑りにくい作業用、手をいたわる就寝用など様々な機能にあった製品が世に送り出された。更にふわふわタオル生地で、ドライヤーで髪を乾かすときに髪の水分を吸い取る手袋など、こうした機能製品が店頭に並び始めた。
 因みに、この地区では手袋を装着することを「履く」と話すそうだ。この「履く」と表現する地域は、香川・徳島に加えて両県から北海道への移住基地だった青森や開拓先だった北海道だ。
 扨てなぜ「履く」なのか。それは副住職が最初に作った商品名が「手靴」だったからだ。一般的に手袋を装着する表現は、手袋を「する」「はめる」「つける」だろう。何事にも歴史はあり、表現が変わることに奥行きを感じる。

 筆者の家には片手のみの手袋が多数ある。何か、作業をして片方を置いてきたり、干している間に風で飛ばされたりで、片割れを捨てればよいのだが、何かに使えると物置の片隅で団子になっている。その中で片方でも機能するゴルフ用の手袋の複数が、大きな声で主張してきた。「彼らとは一緒にしないでくれ」と…。
 ゴルフを止めた筆者にとっては「用なし」だと応えたら、その言葉、速攻で彼らから、山彦のように 我が身に返ってきたように感じた。
 嗚呼、老いとはこのことか…。

2024年2月
  随想107 金沢市

 金沢市と聞かれて、貴女は何を思い浮かべますか?
 兼六公園、加賀百万石、はたまた雄藩故の茶菓子だろうか? その道に詳しい人は全国の98%を生産する金箔と答える人もいるでしょう。今回は、雨が多く冬場どんよりとした金沢には似つかないようなテーマとしました。
 それは、「アイスクリーム」。

 この真冬の時期にはこれまた似ても似つかない、そのアイスクリーム、金沢市ととても深い関係が知られて、多分ビックリされることでしょう。
 金沢市民は甘党が多い。その背景は城下町故もあるのか、江戸時代から茶道と同時に菓子の文化が発達したことが大きそうだ。加えて、スーパーが多い街でもあり、季節に関係なく箱アイスなどの半額セールが行われているとのことだ。こうした状況もあるのか、冷蔵庫を複数持つ家庭も少なくないそうだ。当然、まとめ買いされた箱アイスなどを保存して、年中胃袋に納めることになる。
 一般的に、気温が20~25度程度なら濃厚な味のアイス、26度~30度辺りはさっぱりしたアイス、30~35度程度ではかき氷、36~40度辺りでは甘味の少ない飲料水に人気が高まると、日本アイスクリーム協会ではその見解を示している。
 金沢市は夏の平均気温が25度程度のあたりだから、凉を求める消費者は飲料水には流れにくい。加えて冬の降水量が多いことから、エアコンなどで温度が調節される家庭などで過ごすことが多い。そこで趣好品の消費が増え、暖房が効いた部屋で炬燵を囲みアイスを食べる光景が珍しくない。

 こうした状況に至るまで、メーカーの地道な努力は見逃せない。一般的に冬場のアイスは需要が落ち込むことは日本全国同様だったが、1950年代ごろから冬のアイス需要拡大の試行錯誤が始まった。例えば、クリスマスが近づくとアイスケーキを販売し始めた。81年にはロッテが「雪見だいふく」を、冬場の暖かい部屋で食べるアイスとして暖色系の赤いパッケージで売り出した。
 更に見逃せないのは外部環境の変化だ。それは全国的なコンビニエンスストアの本格出店も追い風であり、加えて2012年には2人以上の世帯のエアコン普及率が90%を超えたことで、季節を問わないアイス需要拡大のバックグラウンドが揃うこととなった。
 こうした全国的な状況も手伝って、金沢市は全国都市別アイスの年間支出額が2017年以降2年程を除いて常にトップの位置を確保している。総務省の2人以上の世帯を対象とした22年度の家計調査を発表している。それによれば、同市のアイスの年間支出額は52都市中トップで、1万3993円と全国平均を3000円程度上回っており、過去10年間で6回もトップを保持している。因みに日本では暑いと意識される那覇市がアイス消費が最下位になることが多い。那覇市の隣の浦添市には、沖縄土産で有名なブルーシールアイスの本社があるにも拘わらず…。

 さてさて、暖房の効いた部屋でこの金沢にまつわる短い書き物をお読み頂き、ほてりがおさまりましたか…。
 小生は甘党故、アイスクリームは常にウエルカム状態。外食時はデザートでアイスクリーム、家ではおやつにアイスクリームは至福の時間。小うるさい女房殿からは、脳梗塞や目が見えなくなりますよ、更には足の切断が……と小言の連続。
 そこで小生は、「足の1本や2本…」と啖呵を切るのですが、こそこそと食べかけのアイスクリームを捨てれば良いのに、冷凍庫に納める行動は吝嗇男そのものなのだろうか…。

2024年1月
  随想106 決め台詞

 正月を迎えました。わたくしごとで恐縮だが、この1月に数え歳で傘寿を迎えた。故もあり、今年こそ「ビシッと決めたい」と思っているのですが…。
 そう「決める」と言えば、多少方向違いとなりますが昔から「決め台詞」がありましたね!
 その決め台詞は、映画やテレビ、舞台で心をくすぐる場面に多かった。
 その場面見たさで、観客動員数や視聴率が上がる傾向にあった。脚本家もひねり出すのに苦労を重ねていたことだろう。今月の随想はその多々ある「決め台詞」を列記して、当時の画面をこの誌面から偲んでいただこう。尚、正月でもあるので、多少いつもより紙幅を多くいただくことにご寛恕ください。

 では流行語にもなった、踊る大捜査線から「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!!」と、織田裕二演ずる刑事が叫ぶこの言葉、皆さんも1度は口にしたことがあるだろう。
 では時代を筆者が厚顔ではなく、紅顔の美少年の頃に遡って…
 片岡千恵蔵主演の映画「七つの顔」では、主人公の多羅尾伴内が発する「ある時は片目の運転手、またある時は…、…してその正体は……」とくると、夢中で拍手を送ったものだった。因みに彼の次男は、日本航空のパイロットで、日航が破産した折、乗り込んだ京セラの稲森会長の下で同社初のパイロット出身の社長となった植木氏だ。
 一方、これらの台詞には、印象的なフレーズが多いが、物語の進行には必要不可欠だった。特に勧善懲悪モノや熱血モノ、更にはスポーツ根性モノに多い傾向がある。
 時代モノでは、戦前の丹下左膳で大河内伝次郎が「姓は丹下、名は左膳」と語り、一世を風靡したと聞く。銭形平次の「神妙にお縄を頂戴しろ…」、水戸黄門では、「ええぃ、控えぃ、控えおろう! この紋所が目に入らぬか! 恐れ多くも先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ…」、そして光圀公から「助さん、格さん懲らしめてやりなさい」と。更に木枯らし門次郎では「あっしにゃ関わりのねぇこって……」と立ち去る姿に、身を置き換えた方もおられただろう。
 時代モノに多い決め台詞は、完全にリピートを生むきっかけを作ることも事実だろう。桃太郎侍では「一つ人の世、生き血をすすり、二つ不埒な悪行三昧、三つ醜い浮世の鬼退治をしてくれよう」、そして「桃から生まれた桃太郎、天に代わって鬼退治を致す」と続く。
 遠山金四郎では「この桜吹雪を散らせるものなら散らせてみろ!」、「桜吹雪が全てお見通しだ!」、最後は「一件落着」とくる。時代は遡るが、同じ南町奉行だった大岡忠相が発するは定番の「本日のお白洲、これまで」で、場面が終わる。
 暴れん坊将軍では「俺は、貧乏旗本の三男坊、徳田新之助だ!」。萬屋金之助が演じた速水右近では「頭が高い!」「天に代わって破れ奉行、てめぇらぁ斬る!!」と。

 現代版になっては、家政婦は見たでは「承知しました」。家なき子では12歳の安達祐美が「同情するなら金をくれ」と語り、流行語にもなった。
 更に、「ドクターX~外科医・大門未知子~」では、米倉涼子演じる派遣外科医が「私、失敗しないので!」と手術前に語り、手術後に岸辺一徳が演じる名医紹介会社の社長神原が、病院長に多額の請求書と土産として持参したメロンを渡す折「メロンです、請求書です」。小気味よく渡すところが、ドラマのひとつの山でもあった。このドラマ、医療関係者の多くが視聴していた、と聞いた。
 そして、サラリーマンに人気があったのは堺雅人演じる「半沢直樹」だろう。「やられたらやり返す、倍返しだ!!!」。
 こうした決め台詞が拡散するのは、昔は放映翌日、学校や職場での会話からだったが、現在ではSNSが大きな役目を担っている。TVをあまり見ない筆者も、前評判の高いドラマは録画して後日見るケースが多い。1~2回目にして自分に合わなければ次回以降の録画は止めるが、期待を上回る作品であれば次週が楽しみになる。
 そして最後に「男はつらいよ」シリーズを挙げたい、主人公フーテンの寅さんに語らせる「おてんとうさまが見てるぜ!」などの決め台詞があるが、何と言っても魅力は主演の渥美清が語る「口上」だろう。
 「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎と発します。わたくし、不思議な縁もちまして、生れ故郷に草鞋を脱ぎました。あんたさんとご同様、東京の空の下、ネオン煌めき、ジャズ高鳴る花の都に、仮の住まいまかりあります。故あって、わたくし親分子分を持ちません…」
 他にもある、「労働者諸君! 稼ぐに追いつく貧乏なし、か」
「結構、結構、結構毛だらけ猫灰だらけ、尻の周りはクソだらけ、か」
「テキ屋を殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」
「たいしたもんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」
「やけのやんぱち日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たない」
 まだある。「色が黒いか、黒いが色か、色は黒いが味見ておくれ、味は大和の吊るし柿」
 何とも意味深な口上でもあるが、これら口上は天衣無縫と見え、また軽佻浮薄とみる向きもあるが、筆者は近代日本の無形文化遺産と認識している。
 なお、日本には「決め台詞」の遠い親戚筋に当たるものとして「捨て台詞」が存在するが、これを記せば筆者のプアーな品格が、更に落ちてバッドな品格に成り下がる故、ここでは止めておこう。

 一方、ナレーションも「広義の口上」に当たるのだろうか、筆者にとって秀逸と感じているのがナレーター・城達也による「ジェットストリーム」だ。
 深夜のFM東京で、1994年の末まで彼によって27年間も続いた音楽の長寿番組だ。筆者も20代のころから聞き始め、夜のしじまの一時を渋みのある深い低音で語る彼の語りに耳を預けた一人だった。
 その番組冒頭のナレーションをそのまま記して今月はお別れとしましょう。来月もまた、この誌面でお会いできことを楽しみに。では………。
「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。満天の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、煌めく星座の物語も聞こえてくる。夜のしじまの、何と饒舌なことでしょうか。光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。これからのひと時。日本航空が、あなたにお送りする音楽の定期便。「ジェットストリーム」。皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは、わたくし城達也です。」