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2018年12月
  随想45 人生100 年時代

 500年前「『人間50年』下天のうちをくらぶれば 夢まぼろしのごとく なり」と詠った織田信長は、あと2日で49歳という日に、つまり、48歳で亡くなっている。これは謡曲、「敦盛」の一節にあるものだが…。

 一方、約700年前の兼好法師は、「命長ければ辱多し。長くとも『四十に足らぬほど』にて死なんこそ、めやすかるべけれ」(長生きすると、恥が増えるばかりだ。仮に長いとしても四十歳に足りないくらいで死ぬことが、見苦しくないだろう)と詠っている。因みに、室町時代の平均寿命は飢饉などの影響もあり33歳だ。

しかし、今や時代が平成となり、それも来年からは年号が変わる。 これからは人生100年時代と言われ、同輩の方々は少なくとも、あと25年を頑張らねばならない。つまり、四分の一世紀だが、その期間は意外と 短いかもしれない。然し、敵は潜んでいる、その主力部隊は「がん」だ。

 その「がん」は、局地戦が得意だ。男性に仕掛ける箇所は、胃、肺、大腸前立腺、肝臓が被害地区の順序だ。女性の場合は乳房、大腸、胃、肺、子宮の順序で狙いを定めてくる。倒れて、逝った戦士は昨年で約90万人だ。

 さて、今年1年 よくぞ敵の砲弾をかいくぐり 生き延びた同輩各位、来年も、この≪GUN≫を甘く見てはいけませんぞ。全体で一番多い「がん」での死亡は、年間約15万人の大腸がんだ。

 肉中心の欧米スタイルの食事傾向になった日本人は、運動不足も手伝って大腸がんが上位を占める傾向になってきた。この大腸がんの予防効果として確認されているのが、柳の木からとったサリチル酸をもとに作られているアスピリンだ。

 今では人工合成薬として市場に出ているが、鎮痛効果が出ない微量で服用を重ねることで大腸がんになる前の病変である線腫の再発リスクを約40%も減らしている。この数値、米国のしかるべき委員会で発表されている。また、この定期服用で消化管がんのリスク15%、大腸がんに限れば19%も低下させている、と13万人を32年以上追跡した調査で明らかになっている。安価な「アスピリン」にもろ手を挙げて万歳だ。更に血液サラサラや心筋梗塞、脳梗塞にも効果がありだ。

 一方、この大腸がんを高める食物としては、ハムやソーセージなどの加工肉、牛などの赤肉などはリスクを上げることは国際的にも認知されている。

 この大腸がん、血液で9割ほどの確率で発見できる検査が開発された。この9月から病院で自由診療となるが2万円程で検査が受けられる。近々発見が難しい、すい臓がんの発見にもその威力が発揮されそうだ。

 いつもは、このあたりの1,000字前後で終了するのだが、今回は、年の瀬でもあるので「紙幅」を長くとることにお許しを願おう。

 がんの話を続けよう。
男性でのがん罹患の一番は「胃」だ。原因の98%はピロリ菌の感染によるものだ。保険で除去が可能なことから医者に行って、相談されることをお勧めする。尚、抗原検査でピロリ菌の有無が判明するので取り敢えず検査を…。感染の疑いのある人は、イクラや練りウニ、塩辛などの塩蔵品は胃がんのリスクが高まりますよ。尚、胃や大腸のがんに罹患した人にはブロッコリーを食べない傾向があるようだ。

 女性で一番多いのはご存知の通り乳がんだ。最近の数値では年間約9万人が罹患し、1万5千人が亡くなられている。要因は少子化だ。女性ホルモンがリスクを高めることから生理がある時期がリスクを高める。

 妊娠から授乳時期は生理が止まる為、この期間は乳がんリスクを下がる。多産の人ほどリスクが低くなる。乳がん発見の半分以上は自己触診だ。少子化が進む東京の乳がん罹患率は、人口比で鹿児島の2倍だ。

 早期の乳がんはパチンコ玉程度、やや進行すると大きなビー玉のように感じる。乳がんのできやすい部位は脇の下に近い「外側上部」で全体の約半分だ。女性は頻回に確認が必要だ。男性は「パートナー」が大事だと思えば、週に一度のベースで確認をしてあげてください。

 尚、日本の「医療費軽減」のためと、いい年をして他の女性に確認と称してのこの行為は、犯罪となりかねません。努々 美人が居られても抑えてください。トラブルが起きても、白門43会は一切関知しませんので、お含みおきください。最悪のその折は、同期に優秀な弁護士の方々が居られます。是非、ご相談あれ…。

 尚、食生活でがん対策の一部は可能だ。
ブロッコリーやキャベツなどのアブラナ科の野菜に、がん予防の効果ありと言われている。また熱いままの飲み物や食物を飲み込むことで食道がんのリスクを高めることになる。焦げの発がん物質を分解する効果があるのは、大根おろしに含まれる酵素だ。

 尚、魚に含まれる「魚脂」には大腸がんや乳がんを防ぐ可能性がある。更にみそや納豆に含まれる「大豆イソフラボン」は、乳がんや前立腺がんを防ぐとの資料がある。何れにしてもこれら食品は和食につながるもの。だから日本が世界でも有数の長寿国なのだろう…。

 日本食、万歳と言ったところだろうか。因みに、昨年9月現在で100歳以上は約7万人、最高齢は117歳。遺伝子学的には125歳までと言われているが、ところで、皆さんはお幾つまで?
 小生は勿論、125歳を目指しております。

2018年11月
  随想44 手帳

 貴方のスケジュール管理はスマホですか、それとも手帳ですか。 手帳の方は来年の手帳を、もう そろそろ購入されるころですかね。 本屋さんに訪ねるとこの時期、入り口の一番いい場所にPOP広告と共に平積みで並んでいる。

もう必要がないという方もおられれば、まだまだ無くては毎日が過ごせないという人、我々世代はその間にいるのでしょうか。今回はその手帳について掘り下げてみましょう。

さて、日本での手帳の原型は、横浜の文具店 文寿堂が、福沢諭吉が フランスから持ち帰った皮手帳をモデルにして、作ったものだといわれている。この原型版は、スケジュール管理用ではなく 手控えを書き込むためのものだった。

手帳というと欧米に思考が向かうが、日本にも そのスケジュール管理の原型があったと思われる。時は奈良時代、「具注歴(ぐちゅうれき)」という公式な暦が、宮廷の陰陽寮と呼ばれる役所でつくられていた。

約80年続いた奈良時代が794年に終わり、400年弱続く平安時代に突入した。その平安時代に具注歴の余白に自分の日記を書くようになった。そこに予定も書き入れたと想像できる。

手帳といえば、母子手帳、県民手帳、大人の嗜み手帳、歴史手帳… 更にはお金がたまる手帳、クリエーション手帳、夢がかなうと謳った 魔法の手帳 等など、中に何が記されているか覗いてみたい手帳が沢山並んでいる。

さて、我が手帳の歴史を振り返ると、お頭の毛の歴史にパラレルな感を持っている。在職時は手帳にびっしりと予定が書きこまれ、少し目を遠ざけると黒々した状況に見えたが、退職後はパラパラと埋まる程度だ。

髪も同様で、頭皮がすっかり見えてバーコード状態。手帳の全体の白紙部分に数件の予定が記入されている状況にそっくりだ

これを自分では、勝手に『寂寥感「二元同時」進行の法則』と自虐的に話しているのだが…。

あなたは如何ですか、ドローンで貴方の頭皮を上空から覗いたら、銀座の雑踏並みですか、それとも、昭和の光源氏ですか…

何れにしても 長足の進歩で化学が発展する昨今、遠からず 毛生え薬は貴方のもとに届くでしょう。ご安心ください。但し、あなたがそれまで生きていればの話ですが…

2018年10月
  随想43 お腹、お借りします

 なんとも「不穏さ」を感じるタイトルで恐縮です。

所謂「借り腹」の話です。
大辞林によると、「借り腹」とは妻の卵子と夫の精子による受精卵を 第三者の子宮に入れて出産してもらう、と記されている。端的に言えば、 人工授精しての代理出産のことだ。日本では法律では禁止されていない が、日本産婦人科学会では「自主規制」を行っているので、殆ど行われ ていない。

今回は、ヒトではなく魚類を含む小動物のお話だ。
さて、このお話トビがタカを産むかもしれないというものだ。
例えば、アジにマグロを産ませることが可能となる技術が確立しつつ ある。これら技術は、絶滅の恐れがある希少な動物などに応用が可能と なることだろう。

既にヤマメからニジマスが誕生している。原理は下記に記すが、 ちょっと複雑なので、恐縮だが2~3回読み返して欲しい。

ニジマスの卵からかえったばかりの稚魚が、精子や卵のもとになる 「始原生殖細胞」を採り、免疫系がまだ発達していない別のニジマスの 稚魚のお中に移植すると、細胞が生殖腺に移動して分裂・増殖する。 この稚魚は成熟すると、移植された細胞由来の精子や卵をつくる。

こうしたことから、ニジマスの始原生殖細胞をヤマメの稚魚に移植する と、成熟したヤマメはヤマメ自身の精子や卵のほか、ニジマスの精子と 卵をつくる。次のステップはヤマメを不妊化処理して移植すると、 今度はニジマスの精子や卵だけをつくる。

こうしてヤマメのオスやメスを通じて、ニジマスの精子と卵を受精 させるとニジマスの稚魚が生まれる。

この原理、効率的な育種が可能となり役立つことが期待される。 この「借り腹」の技術は絶滅の恐れがある希少な魚種や動物の遺伝子 保存が可能となる。この場合は親より優秀な資質を持つ子孫誕生が期待 できる。クローン技術の場合は親より優れたものはできないが、借り腹 は違う。

では、哺乳類ではどうだろうか。原理的には応用できる可能性は 十分にあり、効率的な育種への道は開けると識者は強調している。 例えば、可能性として牛や豚などの卵子をマウスなど比較的小さい動物 に作らせることが考えられる。

さて、この技術を人間にあてはめたら… 恐ろしくて、考えられないし 神をも恐れぬ不届きものと 天罰を受け そうだ。 故、我々凡人は思考の先は「iPS細胞」の周辺までに とどめておきましょう。

2018年9月
 随想42 戦う植物

「クルミの木の下には草が生えない」ことを、ご存知の方も多かろう。

 他にもヒマラヤスギやセイダカアワダチソウも同様だ。この現象は周り の植物の成長を抑える化学物質を葉や根から人知れず放出して、生き残り をかけた勢力争いの結果なのだ。これらの現象は「アレロパシー」と呼ばれ る作用で、日本では「他感作用」と訳されている。日本の固有種が外来種に 駆逐に近い形で生育環境を狭めているのは、この「アレロパシー」の影響 とのことだ。

このアレロパシー物質に最も敏感に反応するのはレタスだ。これは試験で 証明されている。例えば、葉を寒天の中に埋め込み化学物質を染み出させ その寒天の中でレタスを育てて根の成長度合いを調べる。葉の抽出物で 最も大きく影響を与えたのはマメ科の外来種、ギンネムだ。
 寒天の場合でレタスの根の伸びが92%も抑えられた。2番手は戦前、 薪炭用に植えられた外来種のアカギが84%だった…。

米国でも欧州から来たヤグルマギクは、原産地の草原ではイネ科の雑草に圧倒 されていたが、北米に侵入すると草原全体の10~90%を覆うようになった。こ れはアレロパシーの効果からだ。欧州でのイネ科の植物は、ヤグルマギクのア レロパシーに対抗する何らかの手段を保有し、その効果を無力化する何かがあ るのだろう。

では日本ではどうだろうか。今や覇権を狙う外来種に対して、逆に強いアレロ パシー効果を持つ在来種と戦わせれば良いと思うが、それは何だと思います か? それは血管を丈夫にするルチンをたくさん含む食物です。ここでお分か りでしょう。

そうです。「ソバ」なんです。例えば、河川敷で繫茂している外来種のオオブタクサはソバに「弱い」いんです。長野県須坂市の河川敷で行われた結果はこうでした。河川敷内の休耕田で繁茂しているオオブタクサを刈り取って、ソバを植えるとオオブタクサは回復してこなかった。ソバを植えないとオオブタクサが再び勢力を広げたり、雑草がはびこったりした。ソバは偉大なりの話だが、植物は我々が見えないところで戦っている。

これらのことは、植物分類学者の牧野 富太郎さんも理解していなかっただろう。

 彼は今から60年前の1957年、89歳で没しているから、その時代には外来種の 影響は少なかった、であろう。

一方、古代米 所謂「赤米」は白米との戦いに敗れたとの話があるが、これは突然変異で偶然に白米が生まれ、当時の農民が進んでこの白米を栽培し、今日に至ったとの説があり、これが正しいのだろう。稲の全遺伝情報を調べたら、赤米となるには二つの遺伝子がかかわっていることが判明した。

現在はこの赤米は神社や大学の研究室でしか栽培されていない。但しこの赤米 にはポリフェノールが白米より多いこともあり、機能米として栽培復活の機運 は一部の農家にある。因みに稲の栽培は6500年ほど前からで、歴史の深さを感 じる。

さて、我が家の「アレロパシー物語」。
外来種の女房とは47年間、熾烈な生存競争を繰り広げてきた結果、今や固有種 の吾身は押入れの片隅に追いやられた。然し、まだ行き絶え絶えながらも生存 中。この「寧日雑感」への投稿が無くなった折は、絶滅したとご推察ください。

2018年8月
 随想41 大岡越前守

数々の新書・文庫本、更にはテレビドラマで知る「大岡(忠相)越前守」、機知に富み、人情味あふれ、更には公明正大な裁きを下す町奉行・裁判官 と知るところだが、本当は如何だったのだろうか。

旗本の四男として生まれたのは340年前の1677年、時はヨーロッパでは フランス革命の10年ほど前、中国では清朝が最盛期を迎えチベットまで 影響力を拡大していた頃だ。忠相、35歳で伊勢・山田奉行に就任し、その 時期に紀州藩主になる前の吉宗と知遇を得た。きっかけは殺生禁断の海で 魚を獲った吉宗に対し「藩主の子をかたる、不届きもの」として捕らえ 説教をしたとの伝聞がある。三方一両損の話もそうだが、さてその真実は…

吉宗が紀州藩主を経て8代将軍に就任した次の年、忠相は40歳で江戸町 奉行に就任した。このころの江戸の人口は約50万人、現在の中国と同様 に農村から民が江戸に流入し、貧しい生活を強いられていた。 こうしたことから過密都市となり、火災が心配の種だった。そこで忠相 は、町家を瓦葺き、漆喰塗とする予防策を打ち出し、違反者を厳しく 処罰した。また「火消し」を武士中心から町人を積極的に登用し、住民 自らが町を守る体制を整えた。更に吉宗の命を受け、貧しい病人を救う 施設として、「小石川養生所」を設立した。

加えて忠相は、江戸周辺、現在の東京都西部や埼玉南部に当たる武蔵野 新田の開発・経営や治水工事に45歳頃から25年間にわたり専門の役人 を率いて携わっている。こうした活動の中でサツマイモの栽培で全国的 に名の知られた青木昆陽などの人材を発掘した。

忠相60歳のころには、全国の寺社などを管轄する寺社奉行に任命 されている。このポストは忠相のような3,290石の旗本が座るところでは ない。通常は1万石以上の譜代大名が就くものだ。つまり大名格に出世 したことになり、吉宗の重用は彼の晩年まで続いた。但し、忠相は、 周りの同役から妬み・いじめを受けたそうだ。どの世界、どの時代にも 人間の性をむき出しにする輩はいるものだ。

丁度、我々の今の年頃である、忠相74歳の時に守護者であった吉宗が 他界、主君の葬儀を担当した6ヵ月後、吉宗の後を追うようにその生涯 を終えている。

忠相は約20年間、町奉行を続けたことで「名裁き」としてデフォルメ された部分があり、「大岡政談」では中国の古い裁判物語や別の奉行の 担当事件が元ネタだという説が多い。いつの世も体制の中でヒーローを 求めることには変わりがない。忠相もその一人だったと記せば、「忠相」 ファンからお叱りを受けることだろう。

さて、改めて忠相の生涯を想えば名裁判官というよりも「名官僚」で あったのだろう。我々の同期にも裁判官や検事として奉職し、又弁護士 として活躍されている方が多数おられる。これらの方々の内でも行政面 にも、潜在的に力を持ちポストを変えれば「忠相」同様に人々の琴線に 触れる行政力を発揮する人もいたことだろう。

2018年7月
 随想40 呉と佐世保

 来月には終戦記念日を迎えることもあり、今回はこのテーマとした。
さて、ふたつの市に共通項があるとしたら、なんとお答えになりますか。
皆さん「軍港」とお話になるでしょう。それに各地の海上自衛隊基地に まつわる「カレー」も共通項だが、まだある。
 地名の由来だ。一般的に、地名には諸説あることが通例ですが、この 二市にも諸説ありますが、共通するテーマを掲げてみよう。

どちらも「樹木」関連だと窺える。
呉は、船の材料となる板材が「榑(くれ)」と呼ばれ、この同じ音の 「呉」が当て字として用いられた。一方、佐世保はこの地域に「サセブ」 という樹木が繁茂していたことに由来すると言われている。

この佐世保、海軍が鎮守府を置いたのが1889年(明治22年)、その 頃の人口は約4千人、それから10年超の1902年には、村から「町」を 飛び越えて、一気に「市」として昇格した。日清・日露戦争では連合艦隊の 集結地となり、海軍史にその名を残している。敗戦後は米軍が進駐し、 米兵が行きつけの飲食店に作り方を教えたとされる「佐世保バーガー」 が今や、名物となっている。

一方、呉は「日本書紀」や「続日本書紀」に残る遣唐使船の建造に関す 記述が9件ある。うち7件に現在の「呉」を含む安芸の国が登場する。 つまり遣唐使船は安芸国で建造されていたに違いない。それを裏付ける こととして、榑の製材を生業とする人たちが住んでいた。その地域は 決して多くはないが「舟木郷」と一般的に称していた。その舟木郷が 安芸国には3ヵ所もあった。

話を「呉」に戻そう。明治に入り、半農半漁の港町「呉」は横須賀に 次いで呉鎮守府が置かれ、戦艦「大和」が建造される呉海軍工廠が設立 された。この工廠では大和を始め、133隻の艦艇が建造され、それを 支えた工員は、ピーク時で9万人もいたとの資料がある。

この呉海軍工廠跡地から徒歩で20分ほどのところには、大和ミュー ジアムがある。開館から13年も過ぎるが、「大和」の実物の十分の一 の26.3㍍の模型が鎮座ましましている。終戦前後に誕生した我々は、 このミュージアムを見学することで感慨深いものを感じると思う。 尚、「大和」建造に当たっては逸話がある。
 建造前に全国で棕櫚(しゅろ)の木が暴騰した由。何故でしょうか。

答えは、大和の建造を隠すため全国から棕櫚の木を集め、ドックの 周りを外部から遮断するため、植栽したそうだ。
 こんなに苦労しての建造の末、海のもくずと消えたことは残念至極。 それより切ないのは乗員やその家族だろう。

今また、世界は経済面を起点として軍事的な面で きな臭い感じ となってきた。特に東アジアでは。これらの軍港が訓練で賑あうのは 結構だが、本来の目的行動がとられることでの繁忙は、ぜひ避けて 頂きたい。

2018年6月
 随想39 あなたの飲むお薬は

 さて6月は梅雨、心配はカビ カビや細菌で食品の傷みは早くなります。 然しこのカビ、一部は抗生物質などの薬になることはご存知の通りだ。 もしや貴方が服用されている薬はカビ いや毒から作られているかも… 今回はその「毒と薬」関連を記しましょう。

19世紀末、ヘロインが咳止めに有効と発売され高い効果が確認されたが 依存性が強く、禁断症状が出たことから薬としては発売が中止となった。 昨年2月マレーシアで北朝鮮の「金 正男」が毒ガスVXで殺されたが、 毒ガスから、世界初の抗がん剤「ナイトロジェンマスタード」が誕生 している。自然界にも毒は多々存在する。最強クラスの毒をもつとされる のは、食中毒の原因となるボツリヌス菌が作る「ボツリヌストキシン」、 斜視などの治療薬に利用される。この「トキシン」、体重1キログラム 当たり致死量はVXの5万倍ほど強力で、ごく僅かな量で人を死に 至らすことができる。

一方、トリカブトの根は漢方薬の成分として強心剤などに利用されて いるが、サリンやコブラの毒、毒キノコと同じような致死量だ。
 これらより厳しい致死量を持つものとしてはフグ毒、ヤドクガエル、 トウゴマなどがある。動物の毒を幾つか記したが、カモノハシが持つ 神経をマヒさせる毒などが鎮痛薬にいかがかと研究中である。

さて、貴方が毒物としてご存知の青酸カリやヒ素の化合物は、毒性という 視点ではかわいいものです。青酸カリはVXやフグ毒の600分の1程度、 ヒ素も1,000分の1程度。ただヒ素の化合物は無色、無味無臭だ、故に 暗殺に使用されやすい。欧州で何故 銀の食器が使用されるようになった か? ご存知の方も多かろう。銀がヒ素化合物に含まれる成分と化合 して変色するので、毒が盛られていないかどうかを確かめるのに役立った からだという。

扨、さて 身近な話ですが、人は毒が好きですね。タバコのニコチン、酒 のアルコール、コーヒーや緑茶のカフェイン、これらもそれぞれ功罪は ありますね。

ところで貴方への質問です。
物騒な話で恐縮ですが、貴方の「身近」には毒を盛る様な人はいない、と 貴方は断言できますか。本当にそうですか中年時代、パートナーなどに迷惑をかけていませんでしたか。胸に手をあてて考えてください。少しでも心配事があれば、出される料理の毒見役を置くことです。

然し、毒見役を傍に置けない方は、今からでも遅くありません、陶器の食器から銀の器に変えることです。因みに、八代将軍吉宗の時代は約100人の台所役が、基本 二汁五菜のお膳を将軍と正室のために20膳をつくり、毒見役はランダムに毒見を実施していたそうです。

そう言う、お前は大丈夫かと言われそうですが、小生は大丈夫です。
 昨年 結婚して初めてですが 女房の誕生日に歳の数だけのバラを送りました。その時、女房は腰を抜かすほど驚いて喜んでいましたので…

2018年5月
 随想38 TOYOTA

 世界の音楽家、特に「指揮者」やコンサートホール設計の「建築家」が、 日本に関連する、この「TOYOTA」と聞いて何をイメージするか? ご存知ですか。 最初にイメージするのは「自動車」ではなそうです。

彼らがイメージするのは、ロスアンゼルス在住の65歳の「音響設計家」。 この方、あなたも行かれたであろう「サントリーホール」や2003年に完成した「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」も手掛けている。

06年にはロシアのサンクトペテルブルクのマリインスキー歌劇場のコンサートホールを、14年にはポーランドの南部のカトビヴィツェの国立放送交響楽団の新ホールを、同年パリのフランス放送のホールも、更に15年には、同じパリのパリ管弦楽団のホール「フィルハーモニー」の音響設計を手掛けている。

そして、昨年17年の1月にはドイツ北部の港湾都市ハンブルクを本拠とする名門・北ドイツ放送エルプフィルハーモニー交響楽団の「エルプフィルハーモニー」のホールが完成した。

2,100人収容のこのホール、客席がステージを360度囲むワインヤード型ステージだ。特徴はどの席からも視覚と音響の両面で、演奏者との一体感を味わえるとのことだ。そして、その3月にはベルリン国立歌劇場の新ホールも彼は手掛けている。

この「エルプフィルハーモニー」のホールは、ガラス張りの構造物で、赤レンガ倉庫の上に立つ感じの26階建て、12階から23階を大ホールで占め、全体の高さは111㍍、ビルの屋上壁面は波打つ形状となっている。
 何しろ、建設費は7億9000万ユーロ(約960億円超)と、ホールとしては史上最高額とのことだ。完成を祝う開幕演奏会には、大統領やメルケル首相が出席して、ベートベンの「第9」などで完成を祝ったと仄聞する。

さて、こと程左様に、音楽の本場 欧州の名門オーケストラを魅了し、新ホール建設時に頼りにされる音響の巨匠、その人の名は 豊田 泰久氏だ。彼は音響設計をするにあたっては、コンピューターによるシミュレーションはもとより、10分の1の模型を造り音響テストをやることが多いそうだ。設計にあたってのコストも馬鹿にならない。
 しかし、手掛けた先々は、古くからの音楽の聖地として名高い処であり、彼の評価を端的に表すことにもなっている。

因みに、ドイツのメルケル首相はワグナー愛好家の聖地バイロイト音楽祭の常連だ。昨年7月の開幕公演では「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を楽しんでいる。内容は、各伝統職人の親方(マイスター)たちが歌手として技量を競い、歌合戦の勝者が若い娘に求婚する物語だ。
 然し、その底辺に流れるのはワグナーの思想「反ユダヤ主義的」なものが登場人物に反映されている、と識者は語っている。

この音楽祭の歴史は古く、ヒトラーも足しげく通っていた由、又この街は、 1933年から毎年、ナチス党大会の会場にもなっていた。ドイツの高度な文化や芸術は、ヒットラーと対極に位置するメルケルを、時代は異なるものの、同じ場所に立たせる力があるのだろう。

芸術には距離感を持つ小生も、その昔 接待で大阪のホールでドイツ帰りの医師と歌劇を鑑賞、間合い悪く小生が拍手をして、小生の横腹にその医師から軽い肘鉄を喰うことがあった。この随想を著しながら、当時を思い出し苦笑をしている。

さて、「芸術の秋」と申すが、「春も」そうですね。自宅に籠らずお出掛け下さい。上野やサントリーホールへ、1,600席の国立劇場も趣があります…

2018年4月
 随想37 人類と壁

今月から学校や政府機関などは新年度を迎える。つまり新しい時代の幕開け/到来なのだが、過去にはクローズされた「悲しき」時代や地域があった。その地域を隔てるには壁をつくることが最も手っ取り早い。今回はその「壁」について、歴史を含めて記してみよう。

先ずは壁をつくる背景を確認しよう。異民族や外敵侵入の防止、更には宗教や民族での対立、加えて難民危機などで世界各地に「壁」が築かれてきた。同じ人間が、はたまた同じ民族が分け隔てられることは辛く悲しいことだ。

要因は「戦」もたらす事例が極めて大きい。その壁の事例を見てみよう。紀元前1000年超の古代ギリシャのポリスを囲む壁、万里の長城は秦の始皇帝が紀元前3世紀に大増築し2万㌖まで延長している。2世紀ごろのローマ帝国時代では、英国北部スコットランド周辺に60㌖と120㌖の壁を作っている。

近代になっては、東ドイツは領土内にある西ベルリンへの大量亡命を防ぐため155㌖の壁を築いた。同じ民族がとなれば、先月パラリンピックも終えた韓国と北朝鮮もそうだ。1953年に朝鮮戦争の休戦協定で、南北それぞれ2㌖の幅で248㌖に亘る非武装地帯(DMZ)が設けられている。

それら壁は隔てただけではない。ドイツの事例もそうだったが、同一民族が別れた後の生活レベルに大きな差異が生じた。それだけではなく、食物がないことから餓死者も生み出していた時期もあった。
兎に角、「切ない」の一言だ。

さらに悲しき壁はまだある。北アイルランドではカトリックとプロテスタントを隔てる34㌖に亘る「平和の壁」がベルファストに存在する。地中海の島キプロスではギリシャ系住民とトルコ系住民を分断する約180㌖に亘る緩衝地帯「グリーンライン」が存在する。

一方、スペインにはモロッコ領に囲まれた飛び地メリリャに12㌖に亘るフェンスをこれまた設けている。目的は難民流入阻止だ。

昨今大きくメディアに採り上げられるのは、イスラエルの占領地である、パレスチナ自治区ヨルダン西岸の壁であろう。諍いがなければ明日にでも取り除くことが可能なのだが…壁を築いても本質的な問題の解決には程遠いだろう。人間の悲しい性がここにも現れている。

2018年3月
 随想36 アンデス

『カラル遺跡』、この名称お聞きになられたことあるだろうか。

 紀元前3千年~同2千年ころに存在した文化の遺跡だ。古代エジプト明のスタートも紀元前3千年ころだ。つまりそれほど古い文明がアメリカ大陸に、それも南米、現在のペルーに存在していた。
 筆者はその遺跡を7年前に訪ねている。

それはペルーの首都リマから北約200㌖に位置し、古代アンデス文明の基となったところであり60㌶以上の広さがあった。食料は一部農業で確保しており、河口から30㌖弱にあったところから魚介類も食していた。
 また奥地のアマゾン川流域とも交易があったともいわれている。ここは砂漠地帯だが神殿群があり、円形劇場も存在していた。勿論、住居跡も見つかり人口は約3,000人も擁していた。さらに近隣のスーペ谷を含めると約2万人規模だったともいわれている。

道具もイ草製の運搬袋が発見され、笛やリャマの骨で作ったコルネット、そして首飾りなども発掘されている。これらは何しろ約5000年弱前の生活の匂いを残している。信じられますか?

その後、このペルーを中心としてエクアドル、ボリビア、チリ、アルゼンチンに跨るアンデス文明は重層的に存在することもあった。カラル文化の後は、紀元前14~同6世紀にはチャビン文化が、ナスカ文化は紀元前3~紀元9世紀に存在した。ペルーの北海岸で栄えたモチェ文化は紀元3~9世紀だ、ティティカカ盆地で栄えたティワナク文化は紀元6~12世紀、ペルーの南・中央高地で栄えたワリ文化は紀元7~11世紀、更にシカン文化は9~14世紀、チムー文化は12~15世紀。そしてインカ帝国が15~16世紀と続き、その後スペインの支配に遭うという悲劇を迎えた。
 一方、高度な文明を持ちながら、文字を持たないアンデス文明に、良き・ 悪しきかは別として文字が流入してきた。まさにスペイン語だ。

それぞれの文化には特徴があるが、一つ共通事項として、「人命」を第1とする文化では必ずしもなかったように思える。シンカ文化では大雨のたびに、100人単位の生贄をささげたことが分かっている。ほかの文化でも同じような傾向があったが、特にモチェ文化では生贄の人を殺した後は体を切り分けて、胴体中に切った指を押し込んだりした後、次の生贄が捧げられるまで、野晒しにされていた。チャビン文化では、切り落とされた自分の首を持つ象形土器が存在する。
 南米大陸の西側を貫く約8,000㌖のアンデス山脈、そこに見かけるのはラクダ科の体高1.2㍍ほどの家畜化されたリャマだ。生きているときは労働に、フンは燃料、そして命尽きた後、肉は食用、内臓は占いに使い、革や毛は衣料に、更に神経や腱はムチや紐にと全部を使い切る文化が生まれた筆者はペルーに何故か親近感を覚え、アンデスの曲を聴くと心が揺さぶられる。何故か? 彼の国の人達が、中国の主流である漢民族には見られない蒙古斑の人が多いからだろうか。街を歩いていてもヨゥ!
 「同輩」/「同胞」と声をかけたくなる心境になる。この「蒙古斑」について、ここの場で何れ記したいと思っている。記したいと言えば、今年2月に、メキシコ・ユカタン半島にあるチチェンイツァ遺跡やメキシコシティー北東約50㌖のテオティワカン遺跡を訪ねた。
 これらも後日、マヤ文明を中心に この「寧日雑感Ⅱ」でも著したい。

何れにしても時空を超えて想いを馳せ、秘密に満ちた神秘の処へ旅することは現役時代に苦役を重ねた我々世代に許された特権だろう。
その対象の一つ、アンデスの「イメージ」は 4千㍍を超える山々、そして その空を悠然と舞うコンドル、現地の民謡「フォルクローレ」、アルパカだけではないことも事実ですぞ…

2018年2月
 随想35 炭素

 冬場になると地球全体が暖をとるため炭素の量がどうしても多くなる。 この炭素、形を変えて地球をめぐることになる。そして気が遠くなる程の時間をかけて、海や陸に取り込まれる。今回はその二酸化炭素(CO²)の話です。

世界で人間が出すCO²の総排出量は、昨今では年間400億トンにもなっている。今から170年ほど前の1850年では10億トンにも満たなかった。それが1870年代あたりから、つまり産業革命以降化石燃料などを使用することにより、その数値は急激に伸び、1950年代からはその数値が顕著となってきた。

では、その放出されたCO²は何処を「放浪」し、何処の「旅籠」にお泊りになり、その期間はどの位なのだろうか。国連気候変動に関する政府間パネル(IPPC)の第5次評価報告書をもとに探ってみよう。

地球規模では、産業革命前まではCO²濃度は数千年規模にわたって一定だった。それを証明するのは南極などの氷床に閉じ込められた大気の試料で分かる。人類がこれまでに出したCO²は、化石燃料や森林破壊など合わせて5,550億トン、このうち約1,550億トンは海洋に取り込まれている。一方、約1,600億トンが陸上の生態系に蓄積され、約2,400億トンが大気中に残っている。大気中のCO²濃度は産業革命以前に比べ40%も増えていることになる。

理系の同輩はご存知のように、CO²は化学的に安定した物質であり自然の中ではもとに戻るには大量の時間が必要だ。人間が放出したCO²の15~40%は1千年以上も大気中に残り、完全になくなるのは数千年も必要とする。一方、自然任せにも限界がある。例えば、気温が上がることにより、森林では微生物の呼吸が盛んになり、CO²の放出量の方が増えるという。また海水に溶け込むCO²も放出に転じると聞く。

その海洋、現状では毎年CO²を23億トンも吸収して累積は先に記す通り1,550億トンとなっている。一方、陸上は毎年植物の光合成などにより26億トンの吸収を実施しているが、植生で1~100年、土壌で10~500年で循環している。

なお、地中に埋まっていたCO²は化石燃料などとして3,650億トンが 採掘などにより減少している。

何れにしてもこのCO²増加に伴い、南極・北極の氷が解け海水上昇は避けられず、南太平洋諸島が沈下する見通しや気候変動により地球各地域でその影響を受けている。
 温暖化対策進める国連の会議「COP21」に期待するところだ。

さて、悩みの多い時期は通り過ぎた同輩各位、でも周りから邪険にされないように生きねばなりません。が、それでも小突かれるようなことがあっても努々、楽だからと言って「練炭自殺」だけはなさらないように! 地球上にCO²をばら撒くことになりますから…
 子孫には迷惑をかけられません。

2018年1月
 随想34 お伊勢参り

今年も正月を迎えた。また一つ齢を重ねることになる。さて、今年は何処・どこへ旅するよとか、貴方は周りの人にお話しているのでは…
江戸時代に「せめて一生に一度」と謳われた、お伊勢参りが盛んであった。宣教師ルイス・フロイスは、「各地から神宮への巡礼」だと記していることから、安土桃山時代から庶民の伊勢参りはあったのだろう。 では、そのお伊勢参りについて考えてみたい。

伊勢神宮は内宮と外宮、別宮など125社の総称だ。江戸時代はお伊勢参りは庶民の夢だった。「東海道中膝栗毛」で、弥次さん喜多さんが道中で名物を食べ、伊勢の遊郭がある古市で大いに騒ぐ様子を描いている。これがブームとなり数十年に一度の「おかげ参り」では、数百万人が参拝したとの話もある。こうした背景には、元禄期に街道や宿場が整備され、安心して旅ができる環境が整ったからだろう。

一方、現在で言う旅行社の存在も伊勢参りを広めた功績を認めねばならない。それは神宮に仕える神職の「御師」。営業範囲は、北は津軽、南は薩摩まで及んだ。仕事はお得意先の勧誘や道中の手配や宿泊は勿論、神楽奉納も請け負っていた。

しかし便利な「旅行社」がついてもその費用は、一家の1年分の生活費に相当するものだ。そのため有志のグループの「講」でお金を積み立て、順番に伊勢を参拝する仕組みも存在していた。地域によっては若者の通過儀礼のケースもあった。

昨今のお伊勢参りの人の数は、年間800万人台で推移しているが式年遷宮があった2013年には1,400万人超の人が訪れている。いつの時代でも拠りどころがないことに潜在的な不安を感じ、「心の安寧」を求めているのだろう。

それでは、これを読まれている貴方を当時の旅姿で江戸から伊勢までご案内をして進ぜ様。まず用意をしてください。手甲 / 脚絆、草履、編み笠も忘れないでください。用意が出来たら出発しましょう。旅程は片道約500キロ弱、往復30日前後だ。丸子宿ではとろろ汁が名物です。茶店によって食しましょう。歌川広重も茶店の様子を描いています。

さぁ~ 大井川に着きましたよ、荒れ川です。濡れないように肩車で渡りましょう。これからは歩いて/歩いて、向かう先は熱田神宮です。この名古屋・熱田神宮の門前町、宮宿で泊まって、七里の渡しで少し風のある中で桑名宿まで行きましょう。少し船酔いが出ましたか、伊勢の国の東の入り口に着岸しました。この船着き場にある大鳥居は遷宮ごとに建て替えられますよ! そうだ名物の焼き蛤を食べてから出立としますか。

ゆっくり休んで歩いたこともあり、元気が出てきましたネ!では外宮と内宮の間にある古市によってパァ~と遊びましょう、命の洗濯だぁ~。
 さて、夜も明けた、正殿に向かって歩き始めよう。 着きましたが「唯一神明造」という独特の建築様式の正殿は、御垣に遮られ我々には全容が見られない。残念だが…では、奈良や京に寄って帰るとしますか…

小生も時間はたっぷりあるからタイムスリップして、この時代を旅したい! でも、膝が痛いから往復1,000キロ程の歩行には耐えられないナァ・・・では、新幹線で名古屋まで、その後は近鉄特急で行ってまいりますョ。貴方への土産は「赤福もち」を予定していますが、それでよろしいですか

このストーリー、時代が錯綜して頭おかしくなりませんでしたか。

おかしくなられた方は正常です。ご安心を・・・


☆歌代さんの過去の投稿は、旧ページをご覧ください。