会員だより

会員だより —歌代雄七—

 会員だよりトップへ

2018年  2019年  2020年  2021年  2022年  2023年  2024年

2022年12月
  随想93 極北事情

 年の終わりです。街にはジングルベルが流れ、ショピングセンターには綿の雪をかぶったツリーが鎮座し、寒さが肌を刺してくる。そこで、今月は最も寒さを感じ日本に近い北の果て、北極圏をテーマとしてみよう。

 北極圏は北極点から北緯66度33分の北緯線までを指し、冬場の冷え込みは摂氏マイナス50度に達し、夏場でも摂氏0度前後にとどまる。ロシアは北極海の最大の沿岸国であり、北極圏にあるロシアの領土・領海は併せて約300万平方キロメートルで、同国の領土と領海の18%を占めている。こうしたことから、今はウクライナ侵攻で非難を浴びているロシアだが、北極圏での軍備増強を積み重ねており、新型の原子力推進核魚雷「ポセイドン」が米本土を標的にしている。
 扨て、北極と言えば永久凍土、そしてその地下にはマンモスが眠っていると、多くの人が連想する。その永久凍土はシベリアだけでなくカナダやアラスカなどにも存在し、北半球の大陸表面の何と24%にもなる。これら極地の気温上昇は世界平均の2倍と言われており、国連環境計画(UNEP)の報告書に依れば、2100年には現在と比べて地球上の温度は3度も上がるとしている。因みに、北極では6度の上昇となる。となると氷が溶けだし、海面上昇を懸念されるところだが、併せて、永久凍土が30~85%も失われることも予測されている。

 全世界にあるその永久凍土に含有されるメタンや二酸化炭素(CO2)の炭素量は大気の2倍、メタンの温室効果はCO2{\displaystyle{\ce{CO2}}}{\displaystyle{\ce{CO2}}}の25倍である。この数値だけ見ても恐ろしいことだが、既にその兆候が出ている。ロシア少数民族のネネツ人が多く住む西シベリア、ヤマロ・ネネツ自治区で永久凍土の中のメタンガスが地中で爆発し、行き場を失ったガスが閉鎖空間にたまり、ある時点で周囲の土を吹き飛ばしている。爆発の後は、例えば外周100m以上の穴となり、深さは30m以上と隕石が落ちたクレーター状態を呈している。
 一方、液化天然ガス(LNG)をロシア北部のLNG基地から日本や欧州へ運ぶ計画がある。先に記した通り、ロシアなどでの北極海航路は温暖化の影響もあり海氷減少により航行しやすくなり、実用化が本格的になりつつある。然し、欧州のように天然ガスや石油をロシアに大きく依存するとウクライナで起きた関連事象に巻き込まれ兼ねない事象を経験する恐れがあることから輸入面での量的配慮は必要だろう。

 その北極航路の整備や海底資源開発を実施するうえで欠かせない国際ルールづくりに参画すべく動き始めている。具体的には海洋の酸性化やブラックカーボンなどの環境汚染物質などの観測研究を進める。既に北極圏は周辺8ヵ国を中心に北極協議会が中心となり、その利用や協力の面で話し合いがもたれている。日本もオブザーバーでの参加は認められたが、ひらたく言えば割り込む姿勢で動き始めている。
 日本サイドの北極圏に対しての具体的活動は、北海道大学、国立極地研究所、海洋研究開発機構などが連携して既に活動を始めている。一方、ロシア北東連邦大学、ロシア極東連邦大学、ロシア科学アカデミー研究所、更にはノルウェーのトロムソ大学、スバールバル大学センター等などと国際研究を進めることとなっている。遅ればせの感は否めないが「日本」も頑張ってほしい。

 そんな北極圏、豊富な天然資源や航路開設で米中ロの権益争いが深刻化している。中国は、経済権益への思惑を隠していない。北極圏を通る航路を「氷上のシルクロード」と位置付けて広域経済圏「一帯一路」構想と結びつけている。2022年には、北極航路観測科学試験衛星を打ち上げる予定だ。加えて原子力砕氷船の建造計画もある。更にその先にあるデンマークの自治領でレアアースや天然ガスなど鉱物・エネルギー資源が豊富に埋蔵されているとされるグリーンランドにも触手を伸ばしている。このグリーランドの人口は6万人だが、米国は既に領事館の設置を済ませている。
 一方、米軍は北大西洋条約機構(NATO)軍が北極圏のロシア領域に隣接する地域で軍事力の増強を図っている。南極のように主要各国による領有権主張の凍結や平和利用を定めた条約が採択されればよいのだが…。
 確かに南極と異なり北極には大陸がなく、領海や排他的水域が絡み合う沿岸国での議論が続いてきた。

 冷たい地域の話なので、関係各国が冷静に話し合えばよいのだが…。
 扨てさて、冷静さは歳とともに備わるものだが、先日ある会合で若い人たちを交えての会合の席では、不覚にもその冷静さを失った場面があった。
 我ながら若いのか、年相応の言動ができないのか、恥じ入るばかりだった…。

2022年11月
  随想92 バーレーン

 この国の名称は聞いたことがあるだろう。然し正確に国の所在を地図上で指せる人はそんなに多くはいないのでは? 面積は東京23区に川崎市を合わせた程度のところに人口は150万人ほど、その内バーレーン人は約半分の国だ。日本人は150人ほどしか居住していないが、日本大使館は存在する。
 そのバーレーン、古代から中継貿易の基地として、また真珠の生産で有名だった。場所はアラビア半島東部のペルシャ湾に浮かぶ島国で、東側にはドーハの悲劇で有名なカタールが存在する。更に隣国としてのサウジアラビアとの間では、25kmの海上橋で結ばれている。因みに、旧宗主国イギリスからの独立は約50年前の1971年だ。

 そんなバーレーンはその昔は凄い国だった。
 そこの地には、ペルシャ湾の海上交易を独占して繫栄した国家「ディルムン」が存在していた。時代は紀元前2200年~前1200年頃で、資源の少ないメソポタミア文明を支えていたとも言われている。確かにメソポタミアの遺跡からオマーン産の銅、インド産の金や象牙、アフガニスタン産の天然石ラピスラズリ、バーレーン産の真珠などが出土し、ディルムン商人が運んだことが文献の記録から知られている。

 その時代の古墳群が7万5千基も存在し、墓の形は日本の円墳のようで、遺体を葬った石室を石や土の墳丘で覆っている。規模は、直径5mほどから50mにも及ぶ周壁を持つ王墓もある。この墓がつくられる前は、このバーレーンには人が住んだ痕跡はない。
 では、彼らは突如どこから現れたのか。バーレーンの文化古物局による王墓の発掘で出土した石製容器辺にアッカド語でディルムン王の名が刻まれていた、「ヤグリ・イル」と。この名はアモリ系で、もともとはシリア砂漠などの西アジア内陸砂漠の遊牧民だった。紀元前2200年頃は地球規模の大干ばつがあったとされ、彼らアモリ人は砂漠での遊牧生活を捨て、南メソポタミアに移動し始めた。
 その一部がメソポタミアのその先にあった無人のバーレーンに到来し、海洋交易に乗り出したと思われている。それを裏付けるものとして、シリアやヨルダン、サウジアラビア北部など西アジア内陸砂漠の遊牧民の墓と似ていることが指摘されている。具体的には円形の石積塚で、東西方向の石室を持つ古墳群などが各地で確認されている。更にシリアのパルミラ近郊にある古墳群では、古墳の規模は直径9m未満の一般の墓と、数は少ないが9~15mの大型墳に分かれる。大型墳には周壁を伴うなどバーレーン島北部にあるワーディー・アッ・サイル古墳群に似た階層性が見られる古墳群が存在する。

 一方、海洋国家として歩んだバーレーンは、イスラムの国ながらアルコールは自由であり、週末ともなれは近隣諸国から飲食を目的に入国する人が多い。また女性はヒジャブどころか顔、姿を隠す必要がない。産業は石油精製や石油化学、アルミ精錬などの産業が盛んであり、昨今は大型油田やガス田が発見されており、近代国家へと歩みを進めている。更に中東の金融センターとしてドバイ、カタールの次のポジションとして世界的にも認識されている。
 そんな発展が期待され、自由度が高い島国バーレーンで残りの人生を過ごしませんかと問われたら、どう答えられますか? それも当然、冷房完備で広い部屋、メイドさん付、更に先方にとっては高度で貴重なあなたが経験してきたことをコメントするだけで月300万円の手当を頂ける、とのオファーがあったら……。

 筆者は、行く気は湧いてきません。何故なら羊肉はダメ、暑いところは嫌い、泳げない、免許は返納しているので車の運転は出来ない、アラビア語を覚える気も全くない とダメ尽くしですので……。
 当の然、どこからもこうした条件でお誘いがあるわけはないですよね!
 つまらん質問、失礼いたしました。

2022年10月
  随想91 黒田官兵衛

 多才で合理的、補佐役としての軍師に徹した黒田官兵衛、実は虎視眈々と天下を狙っていたとの説がある。確かにその言動は一部に見られた。では、筆者がタイムスリップして当時の概況を皆さんにお伝えして、その向きがあったか否か、ご判断願いたい。
 では、約650年前にタイムマシンで降り立ってみよう。1571年、播磨に勢力を張る小寺家の家臣の家に官兵衛は生まれた。ところは今でいう姫路だ。成人となった彼は卓越した交渉術を多面的に活用し政務に従事、また築城の名手であり、キリシタン大名でもあった。更には茶人として名を馳せていた。そして彼の評価の高さは何と言っても希代の策士であったことだろう。晩年は号を「如水」と、悟りか諦念かは分らぬが1604年に伏見で死去している。

 扨て、その時代の海外の状況を見てみよう。西欧列強は大航海時代であり、1571年にはスペインがオスマントルコを破ったレバントの海戦があった。そのスペインの無敵艦隊がイギリス海軍の前に壊滅したのが1588年だ。その1年前の1587年に官兵衛は豊前の郡に12万石を秀吉から与えられている。そんな時代に生きた彼は、軍師として表に出ないことから尾ひれがつき、逸話や後世の脚色、誇張も少なくない。それでは彼の身辺調査に入ってみよう。
 彼の才能は秀吉の中国地区の攻めで、いかんなく発揮された。鳥取城への兵糧攻めでは、米を高値で買い占め、領民を城内に追い込んで食料の減り方に拍車をかけさせた。また備中高松城攻略中、信長の死去の報がもたされた折、狼狽する秀吉に対し「天下取りの好機ですぞ、ご運が向いてまいりましたな」と囁いた。官兵衛のその一言で秀吉は気を取り直して、弔い合戦に京都に向かった。
 しかしこうした知能と冷静さに秀吉は警戒心を持ち、九州攻めの功労に豊前6郡12万石はあまりにも少なく、九州に追いやったことも含めて、疎んじられたことは事実だろう。一方、彼は如水と名乗りつつ九州の大名などをキリスト教に帰依させていき、彼の意向は九州を平定し、京に上るつもりでいた。

 彼の認識は、息子長政が参戦した関ヶ原の戦いが長引き、何れの軍が勝っても疲弊した状態の処に攻め込む予定だったが、戦いは1日で決着。官兵衛の目論見は瓦解した。
 東軍に与した息子長政が官兵衛の元へ戦勝報告に来た折、長政は「家康様が私の手を取って礼を言ってくれました」と。官兵衛はすかさず「それはどちらの手だった」との問いに、彼は「右手でした」と応えた。直後に官兵衛は「その時、お前の左手は何をしておったのか」と怒声を浴びせた。
 官兵衛はその場で長政が家康を討ち取り、家康の近習に捕縛され打ち首になっても、それを理由に戦いに臨む意思の表れの罵声だったのだろう。冷血な策略家であり、野望家でもあった官兵衛の一面を窺い知る一言だ。

 そんな彼は、その時代側室を持つことが一般的な中、よほどの愛妻家だったのか、或いはキリシタンだったからなのか、女性は生涯妻一人だった。その二人の子である長政は関ヶ原の功績により、52万石に加増され筑前の国に入った。その地に福岡城を築城したが、福岡と命名したのは先祖が住んでいた備前国福岡庄の地名に因んだものだ。その地名は、今でも岡山県瀬戸内市内に「福岡」は存在する。

 ──おもひおく 言の葉なくて ついに行く 道はまよはじ なるにまかせて──
 これは彼の辞世の句だが、その背景は彼の生涯に満足していないのか、はたまた天下取りが果たせなかった落胆の気持ちからなのか…。

 以上タイムスリップしての実況中継を交えてのご報告を致しましたが、もしあなたが晩年の如水だったら、九州から攻め上りますか?
 もし筆者が如水だったら、小心者故、剃髪をいいことにものぐさ坊主で過ごしていたことでしょう。

2022年9月
  随想90 恐竜

 この地球上に恐竜がのっしのっしと歩いていたのは、1億4500万年前から6500万年前の白亜紀だ。この頃は、生物誕生以降最も温暖だったとされている。またCO2濃度は現在の4~10倍も高く食物が繁茂していた。そのため草食恐竜が増え、これら恐竜を餌に肉食恐竜が増えていった。それらの化石は、中国やモンゴル、米国、カナダ、南米など世界中で発見されている。

 8年ほど前の2014年には、8400万~6600万年前の地層から推定26mの恐竜がアルゼンチンで発見された。その名は20世紀初頭の英国の巨大戦艦の名称にちなんで「ドレッドノータス」と名付けられた。この恐竜、骨格の7割が発見されている。分類上、恐竜は鳥盤類と竜盤類とに別れるが、この恐竜は竜盤類だが、この竜盤類も大きくは2つに分かれティラノサウルスなどの獣脚類とこの恐竜などの竜脚類に分かれる。
 この竜脚類は今までに体長30m以上と思われる化石が発見されているが、骨格の一部しか見つからないケースが多かった。その意味で地球の生命史上、最大の陸上動物である竜脚類のアルゼンチンでの発見は大きなエポックでありその意義は大きい。
 竜脚類は成長に不可欠な「代謝」が気温の上下に影響されにくい恒温動物であったことから巨大化に有利であった。併せて鳥類に似た呼吸システムを持ち、エネルギーを効率的に使えたことなど様々な偶然が重なりドレッドノータスが誕生したと、識者は語っている。然し、しかしだ、6500万年前に起きた小惑星の衝突で餌が極端に減り、鳥類の祖先を除いて恐竜は白亜紀と共におわりを告げた。

 一方、海外で恐竜の化石が見つかるのは砂が風に飛ばされ、化石が自然に露出する砂漠地帯に多く、緑に覆われている日本では化石があってもなかなか見つかりにくかったが、昨今発見されるケースが多くなった。
 日本での恐竜発掘の先頭を走るのは福井県で、日本の恐竜化石の8割は同県からの出土だ。他には北海道、岩手、福島、中部地方の各県、兵庫、徳島、山口、そして九州では大分、宮崎を除く各県で発見されている。
 かつての日本列島は、ユーラシア大陸の東の縁に付いていて、約2000万年前ごろから地下のプレートの移動によって引きはがされ、日本海が生まれた。大陸の縁のあちらこちらから、離れたかけらが集まって1500万年前に今の日本列島の原形がつくられたと、学説にある。

 恐竜が多く出土した福井県勝山市の手取層群は、白亜紀中期の1億2000万年前の地層にあったものだ。この層は北中国から来たかけらの可能性が大だと言われている。最も日本列島には南中国由来の地層が多いことが分かっているが、このように恐竜が埋まったまま地下プレートの移動で分散集合して日本列島を形成したことは夢のある話ではなかろうか。
 一方、それが故プレートの移動などの地質活動により、恐竜の化石が崩れたり、粉々になって原型をとどめないケースが日本での出土に於いては多くある。
 扨て、先の福井県勝山市には恐竜博物館があることをご存じの方も多かろう。JR福井駅から私鉄で60分乗車して勝山駅へ、そこからタクシーで10分ほどにある。映画「ジュラシックパーク」を観るのもよいが、化石とはいえ、本物のそばに立つのも一興ではなかろうか。

 地球誕生は今から46億年前、恐竜の世界は1億年程前、そしてこれから50億年後には太陽は消滅、つまり地球の消滅でもある。そんな中で我々人間はあくせくと…。つまりその人間の歴史は、たかだか一陣の風の如し…。

2022年8月
  随想89 目と目で

 この時期、舌の出し入れが激しいその対象は、お犬様。人間の最古の家畜であり、癒しの存在でもある。自宅で飼われている方も多かろう。今回の随想は、犬と人間のかかわりに触れてみよう。
 犬は飼い主と目線を合わせる。するとそこには信頼と愛情に関わるホルモン「オキシトシン」の濃度が上昇するとの研究が報告されている。オオカミは飼いならされても飼い主とは目を合わせないそうだ。そんな犬との出会いはいつ頃からだろうか。

 最も古い犬の骨は約3万3千年前の旧人の居住地跡から出土している。その地はロシアだったが、イスラエルのアイン・マラハ遺跡では高齢女性が子犬に手を添える形で葬られた約1万2千年前の墓が発掘された。因みに日本での最古の犬の骨は神奈川県の夏島貝塚で9500年前のものとして発見されている。
 大まかには、縄文時代では大切に飼っていた形跡があり、愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡では埋葬された状態の犬の骨が出土している。然し、弥生時代に入り犬は食用にされた形跡が増えている。7世紀後半の奈良時代では天武天皇が牛、馬、サル、犬、鳥の狩猟や肉食を一定期間禁止にしている。
 このことは日本書紀にも記されている。一方、鎌倉時代に入って、矢で射るための的として殺傷される所謂「犬追物」が流行ってきた。併せて、この時代には「犬合わせ」と称した闘犬も始まっている。
 江戸時代に入り、綱吉の時代には「生類憐みの令」が出されたことはご案内の通りだ。明治時代では各府県単位で「畜犬規則」が定められ、犬が個人の所有物となった。こうして長い歴史をみれば、犬にとっては迷惑な時代を何度も通り抜けてきているのだ。

 今日では約7軒に1件が犬を飼い、飼育数は約1千万匹との由だ。その背景は、犬種の数は450種以上もあり、好みの選択幅が大きいことに加え、刺激臭に対して嗅覚は人間の約1億倍などから検疫探知犬など彼らの特異性を活かして、人の役に立っているからだろう。
 犬種はプードル、チワワ、ダックスフンドが日本では人気NO3だが、一方、日本の柴犬や秋田犬はスウェーデン王立工科大学の研究チーム調査では最も狼に近いDNAを持っているとのことだ。その日本で、明治時代の小説に飼い犬が記されたのは、二葉亭四迷の「平凡」、夏目漱石の「硝子戸の中」、更には徳富蘆花の「みみずのたはこと」などに登場し始めている。

 目と目で通じ合う人と犬とのそんな仲、その昔は我が夫婦にも一時ではあったが、確かにあった。しかし、今では目が合えば闘犬状態。故もあり、筆者は目を合わせぬよう床を見つつ、気分的には尻尾を巻いた状態ですれ違っている。せめて犬との出会いがあれば、あうんの呼吸の仲間ができるのだが……。その環境に無い自分が悲しい。

2022年7月
  随想88 比爪

 今年のNHK大河ドラマは源氏をもとだねとして、北条義時を題材としているが前半のポイントは源義経の活躍部分が大きかった。その義経が最後に駆け込んだのは奥州藤原・平泉。初代は清衡、2代目基衡、3代秀衡、4代泰衡と続いたが4代目となって、義経を保護したとのことで、頼朝に攻められ滅ぼされた。
 100年程の栄華を築いたその中心は、中尊寺や毛越寺など浄土庭園のある平泉だった。そこから北へ約60kmに2代目基衡の弟で始まる比爪一族が治めた地があった。その地は盛岡市から10km超南に下ったところだ。筆者が20代の頃、営業で3年程東北を担当し、盛岡での定宿にしていた旅館のご主人からその存在を聞いていた。今回の随想はそれを思い起こして著わしている。

 比爪は鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にその存在は記述されていたが、永い間その館の正確な場所や役割が不明だった。10年ほど前に、比爪館遺跡での発掘で見つかった井戸の跡がはっきりしてきた。この井戸や溝の跡が比爪の中心であり、宴会や儀式で使う素焼き土器皿所謂「かわらけ」が1t以上も出土した。以前の調査では、比爪館は平泉と幹線道路で直結し、幅10mの溝に囲まれた広い地域であることは分かっていたが中心となる地域が判明していなかった。
 従来、京都から伝わった「かわらけ」は西暦1000年代としては東日本では奥州藤原氏だけが用いていた。とされていたが、当時最高級だった東海産、具体的には常滑や渥美などの陶器、白磁や青磁など中国大陸産の陶磁器が「かわらけ」と一緒に当時としては辺境であった比爪からも出土した。
 この比爪一族は、比爪以北を支配していたと推測されている。その根拠は「かわらけ」の分布から推測されている。比爪製は平泉製に比べて赤っぽく、口縁部が複数段になでつけられている。津軽、比内(秋田)などの地域で出土しているのが比爪系に分類できることからの判断だ。

 このように奥州藤原4代の世代交代が進む中で、比爪は独自文化を育み、平泉とは一線を画していた様子が窺える。1189年、平泉が頼朝軍に滅ぼされた際比爪は交戦せずに降伏している。識者の見解では頼朝が攻めなくても、奥州藤原があと数十年続いたら東北の覇権を掛けた争いが起きていたとの見解を持つ人もいる。
 何れにしても夢想は広がるが、平泉から約70km北東には岩手県釜石市の川原遺跡がある。そこでは12世紀の「かわらけ」や大量の鉄製品が出土している。推測できることは、ここから沿岸部に沿って船で南下し、北上川に沿って平泉に諸物資が運ばれていた。更に北海道の苫小牧市に隣接する厚真市で、60年ほど前に見つかった土器は12世紀後半の常滑産の陶器であった由。そこには仏教施設も存在していたとの説がある。

 こうしたことからだろうか、義経が平泉から逃れ北海道にわたり更には樺太経由でモンゴルに行ったとの説の根拠になっているのだろう。更にその説の先にはジンギスハーンとなり蒙古帝国を築いたとの説。
 この説には夢があり、無責任に楽しめる。
 無責任ついでに、その根拠と言われる事象を列記してみよう。
 ・紋章がジンギスと義経、同じ笹竜胆
 ・ジンギスはニロン族出身、日本が訛ったのでは
 ・義経が死んだのは1189年、半生が不明のジンギスハーンが歴史に登場したのは1206年
 ・ジンギスハーンが使った軍事作戦は義経のそれと似通っている
 何れにしても衣川の戦いで義経は死なずに、蝦夷に渡った足跡(?)は数多北海道には残されている。

 尚、この随想「森羅万象」に何度か登場願ったシーボルトが、彼の著書「日本」に、義経は中国大陸に渡りジンギスハーンになったと記しているが…。
 歴史ミステリーは数多く存在するが、義経も英雄故だろうかこうして伝説は残るが、多くの人は死を以って忘れ去られる運命。

 嘆くことなかれ、あなたのことは筆者が生きている限りは忘れませんよ!
 但し、その期間は50年弱程ですが…。
 誰ですか、「図々しいよ! 余命50年とは」と語るお方は…。

2022年6月
  随想87 ジューンブライド

 今月は若い女性憧れの結婚月、その結婚後に多くの人が辿るのが出産、子育てだ。然し昨今、日本では14人の赤ちゃんのうち1人の割合で体外受精による出産だ。この4月からは43歳以下の女性には保険適用となった。子供が欲しいが、なかなか出産に至らない人には朗報だ。

 日本より早く、体外受精など手厚い生殖医療補助政策に取り組んだのがイスラエルだ。ユダヤ人の歩んだ悲劇の歴史や宗教が絡むこともあり、先進国のなかでも1人の女性が生涯に産む子供の数を示す合計特殊出生率が3.1と突出して高く、日本の1.43のほぼ倍だ。因みにフランスも積極的に環境を整えて2前後、米国は1.8、ドイツ1.6、韓国が1.2に対してイスラエルは子宝大国であることが分かる。
 イスラエルでは1995年の国民医療保険法指定以来、女性18歳~45歳でパートナーとの間で2人の子供を得られるまで体外受精の費用は国の保険で全額賄われる。人口920万人の国で、体外受精は年間4万件以上だ。年間生まれてくる子の5%近くを占める。社会的支援も整っている、有給の出産・育児休暇が15週、不妊治療中の女性には年間最大80日の有給休暇が認められている。

 加えて、日本では原則認められていない代理出産もイスラエルでは認められている。婚姻関係の有無を問わず、イスラエル国籍を持つ男女のカップルに対して、国内の代理出産が1996年に認められた。具体的には医学的に子供を産めない等の条件を満たしていることが条件だ。
 尚、代理母と交わす契約書を保険省の専門委員が審査、承認し、代理母が出産した後、両親が裁判所で手続きすれば実子として認められる。今では代理母を探し、手続きを進めてくれる仲介会社が存在する。こうした会社はゲイカップルの人たちにも子供が持てるように手配している。適用は未婚の女性にも認められている。但し、代理出産は公的支援がなく25万~35万シェケル(740万~1,040万円)程の費用は自己負担だ。

 一方、ユダヤの宗派の1つに厳格な戒律の超正統派と呼ばれる信者の人口が急増しており、その出生率は宗教的理由で「6.9」と突出して高い。ユダヤ教教義の研究に生活のすべてを捧げ、近代教育を否定して就労せず、生活は国の補助金で賄われている。現在総人口の15%弱を占め、2017年までは兵役まで免除されていたことからも社会問題化している。この宗派の男性は、もみあげを伸ばし、黒い衣服と帽子を着用し、貧困層に多いとされている。人口増にもいろいろ背景があるようだ。

 扨て、筆者もこの歳ともなれば、日本の人口増にも寄与できず、何もせずにお国から宛行扶持を頂く、もはやこの身は世捨て人に近い。一旗も挙げずに散るのも人生だが、最後に勝負をした~~ぃ…。
 3,000円で12億円!
 雨の中、久しぶりに女房以外の女性から、やさしく声を掛けられた。
 「当たりますように…」、その声は、宝くじ売り場のボックスの中からだった。

2022年5月
  随想86 サルファーラッシュ

 16世紀、日本では戦国時代、つまり国は群雄割拠していた。そうした中、有力大名は京都を目指すものもいれば、西国大名の如くアジアを目指す大名もいた。つまり対外貿易であり、目指す大名の領地には外国人が住む国際都市が出現していた。その貿易対象となったのは日本からはサルファーであった。

 そうした大名の代表格は、豊後つまり大分の大友宗麟であり、薩摩の島津義久だ。双方とも領地で火薬の原料となるサルファー、所謂、硫黄が採れ、産地には人が集まり、関連産業が栄えた「サルファーラッシュ」だった。この硫黄を戦略物品として各大名は東南アジアに進出した。因みに大友宗麟は自ら船を仕立てて南蛮と称されるカンボジアと外交関係を結び、インドシナ半島にまで進出していた。
 1578年頃には、カンボジア国王が宗麟に銅銃や象を贈ろうとしたが、その贈答品を載せた船を島津氏は抑留した。翌年の79年に島津義久はそのカンボジア国王に書簡と贈り物を送っている。

 こうしたアジアに目を向けた大名は大友氏や島津氏だけではない。肥後の相良氏は中国の明に船を派遣、備前つまり長崎の松浦氏はシャム、現在のタイの国王に書簡を送っている。
 一方、シルバーラッシュに沸いた16世紀前半は西国の有力大名だった大内氏が主導した石見銀山が本格的に開発され、日本産の銀は瞬く間に海外に流出し、東アジアの「国際通貨」となった。こうした西国大名がアジアとの交易に乗り出したことにより、中国はもとより欧州の商人たちの日本進出も活発となった。これに伴い九州を中心として、西日本各地に中国人が「唐人町」を形成していった。 例えば、大友氏の本拠である豊後府内(大分市)では、唐人町の住人で中国人らしき名前の人物が近隣の町人と連れ立って伊勢神宮に参詣したとの記録が残っている。

 こうした状況は、室町幕府3代将軍足利義満の時代に始まった。当時は明との割り印をそれぞれが持ち、その印が合ったら正式に貿易として認めた勘合貿易であった。やがてこの実権は、堺商人と組んだ有力大名細川氏と博多商人と組んだ大内氏に移り、やがて大内氏が独占した。その後は既述の通りだが、もし硫黄や銀が買いたたかれることなく当時の世界価値で売却されていれば織田信長、豊臣秀吉、更には徳川15代の世が訪れたであろうか。

 筆者がタイムスリップして、当時に生きていたとしたらさて何に従事していただろうか。硫黄や銀の貿易商人? 否それらを海外に運ぶ水夫? もしくは現地の駐在員? はたまた坑道で採掘する坑夫だったかもしれない。であれば坑道の崩落で若くして命を落としていたかも・・・。
 「であれば」現在に生きる喜びをもっと感じねば・・・、と思いつつ筆を擱く。

2022年4月
  随想85 がん

 定期健診の頃となったこの4月、やはり不安を抱くのは「がん」だろう。
 個々の生活環境や遺伝環境が異なることから、心配の部位は人それぞれだ。もう少し掘り下げれば、ご案内の通り、肥満、喫煙、酒量等などのリスク要因が大きく影響することも報告されている。
 特に肥満は肝臓がん、大腸がん、子宮体がん、すい臓がんなど多くのがんのリスクを高めている。一方、既に逃げられない要因がある。それは到底、認めたくない要因だが、現実にあることなので、ここで記そう。それは肥満が横に伸びるものとすれば、この要因は縦に伸びるものだ。つまり「身長」だ。身長が高くなる程、がんのリスクが高まるとのことだが、ご存じでしたか。

 英国の中年女性約130万人を9年間追跡調査した結果をお知らせしよう。大腸がん、卵巣がん、乳がん、子宮体がん、腎臓がん、悪性黒色腫など10種類のがんで、身長が高いほどリスクが高くなることが報告されている。それは身長10cm高くなるごとに、がん全体で16%リスクが高まるということだ。 この結果は社会的・経済的状況とは関係ないとのことだ。また喫煙者では身長と発がんとの関連は認められなかった由。
 また英国以外でも欧州、米国、韓国の男女を対象とした大規模調査の分析結果でも、身長が10cm高いとがん発症リスクは10%上がることが示唆されている。

 もちろん、日本のデータもありますよ。
 国立がん研究センターが日本人を対象とした疫学研究では、1990年と93年にこの研究に登録した40~69歳の男女約11万人を平均19年間にわたって追跡をしている。結果、男性は身長168cmの以上の群が160cm未満の群よりがん全体の死亡リスクは17%高く、身長5cm高くなるごとに4%リスクが増加している。現在の日本男性平均身長は40代で171.4cm、50代で169.8cmですから、高リスク群に属する人が多い。
 一方、日本の女性の場合は、男性ほど身長によるリスク差は見られないが、卵巣がんに限ると身長156cm以上の群は149cm未満に比べて死亡リスクが2.2倍も上昇している。

 さて身長が高くなると、がんリスクが増える要因は何かとなると諸説が存在している。一つは高身長の人は細胞分裂を促進する「インスリン様成長因子」の値が高く、それががん化リスクにつながる説。一方、背の高い人ほど体内の細胞の数が多いため、突然変異を起こす要因数も増えるからだという説。
 あなたはどちらの説に与しますか??

 筆者、若い頃は171cmの伸長だったが、毎年の健診で悲しいことに少しずつ…。計測時には、多少見栄も手伝うのか、心ばかり踵が自然に上がっている。計測者からかかとを地面につけてと叱責され、「ハイ」と応えて着地させ、今年は167.8cm。毎年計測時に結果を伝えられると「本当?」と思わず声を上げるのですが…
 来年からは、身長が低ければ、がんリスクが低減することを思えば、無意識には踵は上がらなくなるでしょう。

2022年3月
  随想84 ラクダ

 いきなり、質問です。
 世界で野生化したラクダが一番多い国は何処でしょう? 考えてみて下さい。ヒントは、この3月には、真夏から秋に入る国で、人口は2,570万人、面積は日本の約20倍、内陸部には先住民が多く居住している国です。
 さて、この国では英国から入植がはじまったが、19世紀半ば頃から砂漠の広がる内陸部へ、資源開発などのため物資を運ぶ必要に迫られた。そのため約2万頭のラクダと約2千人のラクダ使いがやってきた。その送り出し先は、アフガニスタンや現在のインドとパキスタンにまたがる地域からだ。
 サァ~て、お分かりですね! 彼の国はオーストラリアです。

 ラクダは街から内陸部にある牧羊地へ飼料、鉱山へは資材、生活物資を運び、帰路は輸出用の羊毛や銅を積んで戻ってきた。然し、鉄道や自動車の登場で1920年代までにその需要は減少し、政府はラクダの殺処分をラクダ使いに求めたが彼らは野に放った。その後野生化し、増えたラクダは家畜の施設や水路を壊すことから、2009年~13年にかけて、政府主導でヘリコプターから16万頭を射撃し、駆除したが、現状では推計30万頭が残っているそうだ。

 今ではラクダ牧場が国内に10か所ほどあり、一番大きな牧場は豪東部の中心都市ブリスベンから車で1時間ほどにある。2016年にできたその牧場は3.4平方キロの敷地に500頭超が放し飼にされ、近い将来、5,500頭の放牧を目指している。筆者がブリスベンを訪ねた折、立ち寄る予定だったが諸事情で見送った。以下は耳にしたことを記す。
 ラクダのお乳は甘み、酸味、苦み、塩味のすべての味がする。そして、ビタミンCやミネラル、免疫力を高めるたんぱく質を含み、チーズやジェラート、チョコレートまでその牧場では作っているそうだ。更に肌への効能もあり、シャンプーやクリームなどのスキンケア商品などが製品化されている。
 これら製品は、ラクダの肉を含めて香港や欧州などに輸出されている。ラクダ乳は2ℓで約2千円程度と割高であり、ボディーソープは300㎖で約2,200円程度と高価である。一方、こうした製品は人気があり需要もあることから、関係者はラクダ集めに奔走しており、内陸部の先住民であるアボリジニなどの土地にいるラクダを買い、6週間掛けて飼いならしているそうだ。

 古代エジプトのクレオパトラがラクダ乳の風呂に入るなど古くから肌への効果・効能は知られているが。日本ではまだ縁遠いようだ。それにしても豪州のラクダはいい迷惑だろう。重用されたり、駆除されたり、はたまた重用されたりと人の御都合で翻弄された歴史を持っている。

 筆者がラクダと言うと、シルクロードへ思いを馳せる。砂漠や山間地を重い荷を背中に、文句ひとつ言わず 唯々黙々と歩くラクダをイメージする。
 つくづく思うが、ラクダに生まれず本当に良かった。生まれていたら、小生の性格からして飼い主を蹴飛ばしていただろう……。

2022年2月
  随想83 サバ

 その昔、雑魚扱いであったサバは今や高級魚に躍り出た出世魚だ。サバの旬は晩秋から2月頃までで、味噌煮や塩焼きが美味しい。漁獲量はこの数年は50万トン超で、サバ缶は18年からはツナ缶を抜いて水産物ではトップを走っている。サバは足が速いので刺身には向かない魚とされてきた。然し、昨今は生きたまま運搬できる「活魚車」を活用して、7~8時間輸送して居酒屋の「いけす」で悠然と泳ぐ光景を目にしている。つまり刺身として店で提供できるようになった。

 西の大分の「関さば」、東の神奈川の「松輪サバ」はブランドサバとしてつとに有名だが、他にも青森県の「八戸前置沖さば」、鹿児島県の「首折れサバ」もご存じの方は多かろう。他に釧路の「北釧鯖」、宮城県南三陸の金華山周辺の「金華さば」、そして高知県の土佐清水の「土佐の清水サバ」は神戸などに活魚として出荷している。それぞれブランド名にカタカナの「サバ」、ひらがなの「さば」そして漢字の「鯖」と付記名は色々だ。

 一方、サバ養殖も西日本を中心に広範囲で実施され、それぞれのブランド名も浸透し始めている。鹿児島の「むじょかさば」、「長崎ハーブ鯖」、佐賀県の「唐津Qサバ」、和歌山の「紀州梅お殿さば」、福井の「よっぱらいサバ」などは地元から全国区へとブランド浸透に努力を重ねている。巻き網にかかった小さなサバは1キロ数百円ほどだが、4~6か月「いけす」で育て1尾400g前後に太らせると1キロ1,700円~2,000円ほどになるそうだ。
 サバの養殖は、収益の多角化のため貴重な素材だ。タイやフグの養殖は稚魚が成長するまで数年かかるが、サバは半年で出荷が可能だ。また熱海などでは近海に小さなサバが多く集まることから定置網で引いたり、これら小さなサバを獲って「いけす」で育て、観光客にサバの「釣り堀」体験をしてもらうなど観光資源として活用している地域もある。当然観光地では客が獲ったサバを加工して食膳に載せて地域ぐるみで喜びを2倍にして提供している。
 その養殖は上記九州ブランド加えて、宮崎の「ひむか本サバ」などを含めて、九州は養殖サバの激戦区であり、さながら戦国時代だ。なお唐津Qサバは九州大学と地元佐賀市の共同研究によるものであり、完全養殖を実現している。
 共同研究と言えば、鳥取県の岩美町のお嬢サバはJR西日本との共同成果であり、完全養殖によるものだ。  なお日本でポピュラーなものは「マサバ」で、またの名を「ヒラサバ」ともいわれ、茨城や長崎などで多い。他に三重県や宮崎などで多い種類はゴマサバ、更には大西洋サバと呼称するサバたちもいる。

 30年超前、筆者が関西勤務の折、福井へ出張し関係者と懐石料理店の暖簾をくぐった。そこで若狭の国から京都まで魚介類や塩などを運ぶ鯖街道の話を聞いた。その中で一番多かったのが塩で締めたサバだったと聞き、なるほどと納得したが、片道80kmほどの街道を1昼夜で運ぶ人もいたそうだ。大変な仕事だと思ったものだが、この街道は1300年も続くと聞いて更に驚いたものだ。
 その懐石料理の席では鯖寿司が出たが、相手は小生が最終便で大阪に戻るだろうと想像し、土産に竹の皮で包んだサバ寿司を持たせてくれた。翌日は相手に告げられない次の訪問先を予定していたので、駅に戻るふりをしつつ、ホテルに入った。腐るといけないので、そのサバずしを真夜中に胃の中に納めて苦しんだ記憶が、「サバずし」と聞くと想いだされる。

2022年1月
  随想82 たんぱく質

 さて、年の初めにあたって、子や孫世代に大きな課題となるこれからの世界の食糧事情の一端を見てみたい。ご存じの通り、栄養素で大事なものの中で、将来に不安がもたれているのが「たんぱく質」だ。
 そのたんぱく質は、炭水化物や脂質とともに3大栄養素と呼ばれ、人間の体をつくる重要な役割を果たしている。英語のプロテインの語源は、ギリシャ語のプロテイオスで「第1となるもの」を意味する。このたんぱく質、将来に向けて永続的に世界の人々が入手できるか、疑問が生じてきている。

 疑問の背景としては大きくは2つある。1つ目は世界的な人口の増加だ。国連では、現状の76億人から2050年に約98億人、2100年には約112億人を予想している。2つ目は人口急増が予見される途上国の食糧事情に変化が見られ、肉や魚類などの良質なたんぱく質の需要拡大が予見されることだ。
 さて、現在の地球環境を考えて、牛が必要とするトウモロコシなどの飼料用の耕作地を大幅に増やせるだろうか。そして牛の出す呼気が温暖化ガスの排出量を高める要因ともなっている。このように課題満載だ。では解決策は? その一つとして今、脚光を浴びているテーマがある。それは人口肉、昆虫食だ。

 では先ずは、人口肉から。その前に牛肉1kgを生産するためにトウモロコシでは11kg、水は2万600ℓが必要なことを先ずは押さえておきたい。牛肉を増産することにより、水環境の悪化はもとより、牛のゲップでメタンガスが輩出され、現状世界の約15億頭の牛が温室効果ガスの4%を占め、温暖化の要因を増やすことにつながっている。こうした状況では人口増と食料環境変化に対応は難しいことが分かる、つまり環境負荷が大きい。そこでだ…。

 本題に戻ろう、人口肉はシリコンバレーのベンチャー企業、インポッシブル・フーズが「肉はなぜ肉の味がするのか」を探求し、風味の決め手となる「ヘム」という鉄分を含む分子と突き止めた。そのヘムを遺伝子操作で大豆の根から作り出したこの企業にはビル・ゲイツなど著名な投資家が出資しており、ハンバーガーのパテなど大量生産をしている。また米ビヨンドミートは大手スーパー「セーフウェー」などの肉売り場に植物由来のバーガーやチキンなどの製品を食べやすい形で提供している。この企業には先のビル・ゲイツや俳優のレオナルド・ディカプリオらが出資している。
 栄養価は肉や魚に比べても遜色なく、繊維や鉄、マグネシウムなどの微量栄養素も多く含まれることから欧米では抵抗感が薄れてきているとのことだ。但し、米国では畜産の業界団体が農務省に対して、こうした人口肉を「ビーフ」「肉」などと表示することに異議を申したてている。

 一方、若者が関心を示しているのが昆虫食だ。必要なエサが圧倒的に少なく環境負荷が小さい栄養源として注目されているのがコオロギだ。たんぱく質1kgを生産するのに必要なエサの量は豚がコオロギの約3倍、牛は約6倍だ。必要な水は豚が875倍、牛は5,500倍にもなる。排出する温暖化ガスは豚がコオロギの11倍、牛は28倍と生産効率は高い。既にコオロギの粉末を豆に配合したコオロギコーヒーが通信販売されている。また「無印良品」では粉末コオロギを材料に使った「コオロギせんべい」が発売されている。
 コオロギは35日で成虫になり飼育が簡単なことから牛や豚、鶏の一部代替となる時期が到来することだろう。米国では家畜の4本足になぞって、6本足の昆虫を意味するシックス・フーズなる企業が存在する。この会社コオロギの粉末を使ったチップスを販売している。味はバーベキュー、チェダーチーズ等いろいろで1枚当たり約1匹分のコオロギを使用している。
 日本でも長野県などではハチの子やザザ虫が食されており、ラオスやカンボジア、タイなどでは昆虫食文化が残っていると現地を歩いた折に耳にしている。このように昆虫の一部は、未来食として大いに期待されるだろう。

 さてその昔、会社の先輩に浅草周辺のゲテモノ専門店に連れて行かれたことがあった。煮物、天麩羅、揚げ物で出てくるそれとハッキリ分かる形状に、逃げ出したくなったことを、これを著わしながら思いだしている。その先輩、その後サウジアラビアに転勤となり、サソリと仲良くしているだろうと彼を思い出す度に思っていたものだ。
 さて、我が身、昆虫食が本格化する前に黄泉の国に行けるよう唯々願うばかりだ。